コンビニ(前編)
記者の
どうしても、その店に行く必要があった。
たとえ財布に厳しくても。
その夜も丸山は、件の店に足を向けた。
初訪問以降、すでに何度か通っている。
今日こそは目的を果たせるかと期待しつつ、都心のビル群の間を進む。
手持ち唯一の革靴に、何年も前に買ったジャケット。ジャケットの胸ポケットにはペンが一本だけ挿してある。
こんな格好で歩いていても、日が暮れれば汗ばまない程度には、季節は秋になっていた。
やがて東京でも有数の繁華街に足を踏み入れる。
行き交う雑多な人々を尻目に、一軒の雑居ビルの階段を降りる。
地下一階。
埃臭い空間に現れる、大きな鉄の黒いドア。
あたりの小汚さとは不釣り合いに、ドアには真新しい電子錠が取り付けられていた。電子錠にはカードの挿入口がある。
丸山はそこに、財布から取り出した一枚のカードを差し込んだ。
カードの表には店名のロゴと会員制バーの表記があったが、ドアの向こうはバーとはいささか異なることを、丸山は当然知っている。
静かな電子音と、解錠の乾いた音。
丸山がドアを開けると、中では黒いスーツ姿の店員が待ち構えていた。
店員は丸山の顔を覚えていたらしく、「いつもありがとうございます」と口にした。
ひどく義務的な調子で。
丸山は店員の案内で、奥の部屋の一つに通された。
部屋は薄暗く、中央には大きな楕円のテーブルが置いてある。
テーブルの天板は緑のフェルト敷きで、その奥には、糊の効いた白シャツに黒いベストという出で立ちの人物が控えていた。
さらに背後の壁にはスクリーンが掛けられている。
そしてテーブルを囲んでいる、老若男女さまざまな面々。
白髪の紳士。
着飾った淑女。
金髪の青年。
和装の老婦人。
皆、無言だった。
その中に、丸山も加わる。
ここは客にとあるギャンブルを提供する、地下カジノだった。
当然違法で、紹介制の一見さんお断り。
それゆえのアンダーグラウンドな雰囲気が、室内に漂っている。
丸山はテーブルの手元にチップの束を置いた。店に入ったとき、エントランスのカウンターで現金から交換したものだ。
「それではお客様もお揃いのようですので、ゲームを開始いたしましょう」
シャツにベストの人物——このカジノのディーラーが言った。
「本日最初の店舗はセブンファミリィ西宝ビル1F店。ここからすぐのコンビニです」
するとディーラーが脇に退き、背後の壁に掛かっていたスクリーンへ、天井のプロジェクターが映像を投影し始めた。
それはよくあるコンビニの店内映像——おそらくは防犯カメラの映像だった。
映像の中で、十代の少女が棚を物色している。
するといきなり映像が一時停止され、ディーラーが進み出て言った。
「プレイスユアベット! 賭けをお選びください」
「飲料。チルドカップのタピオカミルクティー」と、白髪の紳士。
「サンドイッチ・調理パン類から、サンドイッチの何か」と、着飾った淑女。
「菓子類……プライベートブランドのポテトチップス」と、金髪の青年。
「わたくしも飲料で、500mlペットボトルだったらどれでも」と、和装の老婦人。
ディーラーが丸山を見やる。暗黙の催促。
「……おにぎりの何か」と、丸山。
そして各々、賭ける金額のチップを自分の束から取り、前に置いた。
「ノーモアベット! 賭けを締め切ります」
そのディーラーの言葉と共に、スクリーンの映像が再び動き出した。
これは「コンビニを訪れた客が何を買うかを予想する」、という違法ギャンブルだった。
独自の非合法ネットワークを通じて集められた全国のコンビニの防犯カメラ映像から、一人で入店し一点だけ商品を購入した客がピックアップされ、その中からランダムに選ばれた映像が、この地下カジノで賭けの対象になる。
参加者は、特定の商品にも、カテゴリーの大分類や小分類に対しても賭けることができた。
予想が当たれば、予想の細かさに応じた倍率の払い戻しがある。
要するにカジノのルーレットを応用したルールだった。
コンビニの商品点数の多さゆえに的中は滅多にないが、その分当たればまとまった金額が手元に転がり込んでくる。
丸山たちが見守る中、その十代の少女は結局、ガムを一個だけ買ってコンビニを出た。
(続く)
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