第15話 セクハラを受けそうになる瑞希さんと、お弁当、ふたつ。どっちから食べる?

side瑞希


 研究棟の廊下を、私は、静かに歩いていた。手に持っているのは、昨日のLPS訓練の報告書。形式通りの内容に、ちょっとした反省点も添えてある。客観的に見れば、問題ない。


 ……“あれ”さえ除けば。


 マリ先生の研究室の扉をノックする。返事は――なかったが、内部からガチャガチャという機械音が聞こえたので、躊躇いながらもノブを回す。


「失礼します。月岡です。報告書、提出に来ました」

「んー? ああ、瑞希ちゃん。はいはい、そこ置いて~。ありがと~」


 椅子をくるくる回しながら振り返ってきたのは、相変わらず白衣が乱れ気味のマリ先生。


 そして、報告書を手に取った瞬間、彼女の目元がピクリと動いた。


「……あら?」


 いやな予感。


「パンツ、見せちゃったのね?」

「っ……」


 ……やっぱりその話題から入りますか。


「誠司くんに見せちゃったのねぇ~。ふふふ、うっかりさん♡」

「……故意ではありません。事故です。報告書にも、そう書きました」

「うんうん、読んだわよ? “ウサギカフェでウサギに飛びつかれた拍子に、パンツが見えてしまった可能性がある”……。可能性じゃなくて、確定でしょ?」

「……見えたと思います。たぶん」

「なるほどねぇ……」


 先生は腕を組んで、深刻ぶった顔をしていたが――その目は、完全に笑っていた。


「でも、瑞希ちゃん……私、誠司くんのことは信用してるの。パンツ見たくらいじゃ“セクハラだー!”って騒ぐような男子じゃない。……っていうか、もしそんな男子だったら、今ごろ人生詰んでるでしょ?」

「……はい。確かに、その点は……誠司さんは、誠実でした」

「でしょ~?」


 勝ち誇ったように指を鳴らす先生。なんか悔しい。


「でもね、スパッツ。次からはスパッツ履こうね? ね?」

「……はい。以後、気をつけます」

「よろしい。で、そのときはどんなパンツ履いてたの?」

「……はい?」


 先生の口から飛び出たその質問に、思わず思考が硬直した。


「いや、だから~。パンツ。模様とか。色とか。興味あるじゃない?」

「ないでしょう、普通は……!」

「あるの! 私は! 女同士でしょ? 恥ずかしがらなくていいの!」


 いや、無理。普通に羞恥心ある。


 けれど、先生は執拗に覗き込んでくる。目がマジだ。まぁでも柄くらいなら良いか……。


「……白地に、ウサギのワンポイントが、ひとつ……」

「わあっ! かわいい~! それ、ガチで可愛いパンツじゃない! 何よ何よ、瑞希ちゃんって実はそっち系なの!? もっと大人っぽいの履いてると思ってたのに~!」

「っ……そ、そんな趣味で選んだわけじゃなくて……あのただ可愛かったので……」

「ふふふ、ピュアねー。超ピュア」


 顔が熱い。私は理知的でクールで通してきたのに、この仕打ちはひどい。


 早く研究室から出よう。


「とりあえず、瑞希ちゃん」

「は、はい。なんでしょうか?」


 研究室から出ようとした時、マリ先生に止められる。


 マリ先生の表情がニヤニヤしてる……。なんか嫌な予感がする。


「じゃあ、ちゃんとスパッツ履いてるかどうか、スカート捲って見せて?」

「え?」


 やっぱりだ。流石にこんな校内でスカート捲るなんて無理に決まっているでしょう。

 

「いやいやいや、女同士だから。別に変な意味じゃなくて。確認ね? “スパッツの有無”という、純然たる事実確認」

「……先生、それは立派なパワハラという名の変態行為では?」

「なにを言ってるの。私はただ、生徒の安全を守るために――」

「あー、急用を思い出しましたので、これで失礼します」


 私は即座に鞄を肩にかけ、ドアの方へ向かう。背後からは「ちょ、見せてってば~! 一瞬だけ! 一瞬だけでいいから!」という悪霊のような声が追ってきたが、無視した。


 なんなんですか、この人。研究室のドアが閉まった瞬間、私は一息ついた。


 冷静で、合理的な対応。逃げることは、時に最適解。


 見せるわけがない、見せたら最後、何をされるか分かったものじゃない。


 私は教室の扉を開けながら、スカートの裾を一度軽く押さえた。今日の私は、念には念を入れて、ちゃんとスパッツを着用してきている。


 マリ先生が……「それなら見せなさいよ」などと、変態丸出しの発言をするまでは、スパッツにここまで安心感を覚えることになるとは思っていなかった。


「女の敵は女って、こういう時に言うのね……」


 独り言のように呟いてから、自分の席に座る。そして、鞄の中をのぞくと――そこには、ラップで丁寧に包まれた二段のお弁当箱。


「………………ふふっ」


 気づけば、頬がゆるんでいた。


 中身は、昨夜からこっそり準備していた手作り弁当。もちろん、誠司さんのためのもの。


 昨日、あんな事故を起こしてしまって――そのお詫びという名目だが……本当は、ただ何かしてあげたかっただけかもしれない。


「……全然、私らしくない」


 私は食堂で席を取ろうとしている誠司さんの姿を思い浮かべながら、ふっと目を伏せる。


 いつも落ち着いていて、どこか周囲に流されない人。でも、時折見せる困った顔とか、ちょっと気が抜けた表情が――悪くない、どころか、むしろ可愛いと思っている自分に驚いていた。










 昼休みのチャイムが鳴った瞬間、俺は前の席の宏樹に声をかけた。


「なあ宏樹、今日も食堂行くか?」

「おう、行こうぜ」


 教室を出た瞬間にスマホがブルッと震え、画面を見ると、一件のメッセージ。


 差出人は由依さんだった。


『今日、お弁当作ってきました。よければ、教室に戻ってきてください』

「……マジか」

「え、何? 女子からメシのお誘い? またLPS訓練か?」

「いや、まあ……そういう感じ。お前も一緒に食べるか?」

「……俺は遠慮しとく。前のやつ、まだ夢に出てくるんだ……」


 宏樹は青ざめた顔で俺の肩を叩くと、そそくさと教室から逃げ出していった。


 相当トラウマになってるんだな……。


 教室に戻り、待っていると、数分後。扉が静かに開き、由依さんが現れた。


「お待たせしました、誠司さん。……あ、机、くっつけても?」

「あ、ああ。もちろん。てか、すごいちゃんとしたお弁当……」

「ふふ、初めてだから、気合い入れたんです」


 広げられた弁当箱の中には、彩り鮮やかな野菜に卵焼き、唐揚げ、そして中央に鎮座するふっくらとしたハンバーグ。


「って、これ……俺の好物……ハンバーグ?」

「はい。……昨日、夕食のときに好きって言ってたの、聞いてましたから」

「記憶力良すぎない?」

「誠司さんのことですから」


 なんだその自信。照れるんだが。


「さ、冷めないうちに食べましょう」

「うん、ありがとうね」


 そう言って俺に箸を手渡してきた、その瞬間だった。


「失礼します」


 教室のドアが開いた。そこにいたのは瑞希さんだった。


「……お弁当、作ってきました。昨日のお詫びも兼ねて」

「えっ……瑞希さん?」


 俺の前に、由依からのハンバーグ弁当。隣には、瑞希が差し出した二段重ねの弁当箱。


 この状況、ちょっと待て。


「誠司さん……こちらの方は?」


 由依が静かに問いかける。警戒というより、単純な確認というトーン。


「えっと、同じ訓練生で……LPSの相手役の、月岡瑞希さん」

「芹沢由依と申します。私も訓練生です」


 由依が丁寧に頭を下げた。お嬢様モード発動。


「はい、月岡瑞希と申します。同じ訓練生としてこれからよろしくお願いします」


 瑞希も真面目に返す。二人の間に流れる、教室の空気が、妙に華やいでいる。が……。


「誠司くん……両手に華って、贅沢だなぁ〜?」


 女子のひとりがニヤけた声を上げる。


「芹沢さんに月岡さん……あの二人から? やっば」

「LPS男子ってあんなにモテるの?」


 ヒソヒソ声が教室内を飛び交う。その一方で……。


「……一ノ瀬、どこまで行くんだ……」

「……もう、貴族じゃん。昼の貴族じゃん……」


 男子勢の視線が熱い。いや、熱苦しい。


「ふふ……誠司さん人気者ですね」

「う、うんそうだね……」


 2人はこんなに注目されて大丈夫なんだろうか?


 それとも、2人は俺と違って人気者だから、慣れてるのかな?


 ていうか、早くお弁当を食べないとな。


「二人とも、じゃあいただきます」

「「どうぞ」」


 声が重なった。


 ……食べづらさ、限界突破。


 でも美味い。由依のハンバーグはジューシーで優しい味。瑞希の弁当に入っていた卵焼きは甘すぎず、繊細なバランス。


 視線が痛いけど、心だけはちょっと満たされていた。

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