第13話 由依さん、うちに来るってよ

 訓練を終えた俺は、いつものようにふらりと家路を歩いていた。


 今日も色々ありすぎて疲れた……。早く家に帰ってベッドにダイブしたい……。

 

 そう思いながら歩いていると、前から制服姿の由依さんが歩いてきて、バッタリ鉢合わせする。


「誠司くん!」

「由依さん、訓練終わり?」

「はい。あの、誠司くんはどうでした?」

「俺は……うん、とても助かってたよ。気配りとか、そういう場面もあったし」


 ウサギカフェに行って、瑞希さんのパンツを見たなんて、口が裂けても言えないよな。


「そうですかー」

 

 ふわりと笑って、目を伏せた。その横顔が、いつもよりほんの少しだけ柔らかかった。


 そんな時だった。


「誠司!」


 振り返ると、買い物帰りの母がエコバッグを提げて現れた。


「それと……えっと由依ちゃん?」

「あ、はい、そうです。芹沢 由依と申します」


 その礼儀正しい挨拶に母は声を弾ませた。


「あなたが由依ちゃんね!この間の雨の時は誠司を家まで送ってくれてありがとうね」

「は、はい……どうもです」


 母の目がますます輝く。

 

 その目を見た由依さんは少し怯えた様子で、俺の方へと近づく。


「えっと、誠司さんこの方は……?」

「俺のお母さんです……」

「はーい、誠司の母の千鶴でーす! ねぇねぇ、由衣ちゃん? 今日はうちでご飯でもどう?」

「母さん、いきなり誘ったら迷惑だろ……」

「迷惑って……由依ちゃん本人に聞いてもないくせに、決めつけるのはどうかと思うけど?」


 ぐっ……。母の目がギラリと光ってる。これは、いつもの理屈攻めモードに入るやつだ。


 そうだ。俺の母親は誰かを気に入るともう諦めなきゃならないくらい、巻き込まれる。


「えっと……あの、もしご迷惑でなければ……その、ぜひ……」


 控えめに、でもしっかりと、由依さんが申し出を受けると。


「ほら見なさい! 由衣ちゃんも食べたいって言ってるのに! それでも断る意地悪な人なの? うちの家訓をもう忘れたの!?」

「はい……『他人に気を使えぬ者に己の誇りを語る資格なし』な……」

「よろしい、じゃあ由衣ちゃん。私達についてきてー!」


 ああもう、この流れじゃ断れるわけがない。

 

 一瞬ぽかんとしていたが、由依さん安堵したように微笑んでいた。


 3人で仲良く話しながら帰宅すると、リビングで花音がソファに寝転んで、スマホを触って待っていた。


「ただいま」

「あ、お兄ちゃん帰ってきた……あれ?この子は?」

「は、初めまして。芹沢由依です」


 丁寧な声に、花林は一瞬視線を停め、それからパッと顔がほころんだ。


「可愛い!! 髪もキラキラしてるし、優しそうで……お人形さんみたい!」

「そ、そんな……褒めなくても……」

 

 花音に褒められた由依の頬が、真っ赤になる。


「花林、それ以上はやめとけ」

「えー? だって可愛いんだもん。お兄ちゃんが選ぶ子はいい子に決まってるし! あ、私は妹の花林だよー。よろしくね」

「あ、はい……よろしくお願いします。」

 

 やれやれ、花林とも仲良くなれそうだな。俺は制服から着替えるためにその場を離れた。


 自室に戻った俺は制服を脱ぎながら、俺はインカムに手をやる。

 

「マリ先生……今日は報告しておくべきかな?」


 いやでも、よく考えれば今夜は純粋にプライベートで、訓練じゃない。

 

「こんなプライベートいちいち報告しなくても良いんじゃないのか?」と迷い、結局、そのままインカムは元に戻した。


 今日は、あえて何も言わないことにしよう。そんな軽い決意を胸に、部屋を出てリビングに戻った俺を迎えたのは……。


「えっ、なんかもう……すごく和んでるんだけど……?」


 母と花林と由依さんが、すっかり女子会モードで盛り上がっていた。


「由依ちゃんってば、すごく調理が上手ねー」

「はい、家でもよく料理をするので」

「由依さん、プロみたい……」


 何これ、家族公認みたいな雰囲気になってない?


「由依さん、そんなに手伝わなくてもいいんだよ? 今日は訓練じゃないし」

「いえ……これも立派な実地訓練ですから」

「……真面目だね」


 苦笑する俺の横で、母がスパッと言い放つ。


「誠司? あんたは今日の資料でも書いてきなさい。男子はね、空気読んで退くのも大事」

「退けって言われた!?」


 俺は抗議の目を母に送ったが、「はやく部屋行け」と無言の圧で睨まれ、泣く泣く部屋へ退却するのであった。


 この家での俺の扱いがひどすぎるよ……とほほ……。








 


 部屋に戻った俺は机に向かい、ウサギカフェでの訓練内容を思い出しながら整理していく。


(マジで瑞希さんのパンツを見たって、どういう風に書けば良いんだろう……?)


 書いていてちょっと冷や汗が出る内容だったが、それも任務。真面目に記録する。


 しばらくして、コンコンと軽く外からノックの音が響いた。


「誠司くん、晩御飯……できました」

「了解。今行く」


 リビングへ戻ると、食卓には煮込みハンバーグ。見た目からして、うまそうな予感しかしない。


「これ、私が作ったんです」

「え、マジで? いただきます」


 一口食べてみた。……柔らかい。肉汁がじゅわっと溶けて、ソースがしっかり染みてて、完璧だった。


「……うまい」

「ほんとに!?」

「うん、普通に、いや、プロ級って言ってもいいくらい」


 由依さんはぱあっと笑顔になり、花林がすかさず口を挟んだ。


「やっぱり! 料理できて可愛くて、しかも礼儀正しいとか、もう最強じゃん!」

「そんな……そんなこと、ないです……」


 顔を隠すように俯いた由依の耳が、真っ赤だった。


 そこへ母が軽やかに笑って、


「いいお嫁さんになるわね、由依ちゃん」

「そ、そんな滅相もないですっ」

「いっそ、誠司のお嫁さんになっちゃえば?」


 ――その瞬間だった。


 由依さんの顔が、ぱぁんっ!!って音がするレベルで真っ赤になった。


「ちょっ、母さん! 何言ってんだよ!?」

「いや、冗談よ冗談。でもそうなったら私は嬉しいわよ」

「そ、そそそんなつもりじゃ……」

「由依さん、真に受けなくていいからね?」

「は、はい……」


 そう言うと、由依さんは落ち着きを取り戻していた。


 母さんもいきなり何言ってんだよ。そんなこと言ったら由依さんがパニック状態になるだろうに……。


 ハンバーグをもう一口食べながら、ニヤニヤと笑う母さんに呆れていた。


 それから、晩御飯も終盤に差し掛かってきた頃。


 「ねえねえ、由依さん」


 唐突に、花音がにじり寄ってきた。顔には“面白い話が始まりそうな気配”が満ちている。


「お兄ちゃんの訓練ってどんな感じだったの? お兄ちゃん、変なことしなかった?」


 ぶしつけな妹の質問に俺が口を開く前に、由依が丁寧に答えた。


「いえ、あの、誠司くんは……すごく優しかったです。私が緊張して失敗しても、怒ったり呆れたりしないで……むしろ、『よく頑張ったね』って、言ってくれて……すごく頼りになる方です」


 ――由依さんの言葉が、やけに真っ直ぐだった。


 そんな彼女を見て、花音と母さんはピクリと眉を上げる。


「……えっ、それ本当にうちの誠司?」

「頼りになる……? え?」

「おかしいわね、家では完全に逆なんだけど」

「ほんとほんと。母さんと私の完全下位互換として存在してるよね、お兄ちゃん」


 ――おい待て。


「おい、それは言わない約束ですよね!?」

「え? そんな約束したっけ?」

「記憶にございませんねぇ」


 ニヤニヤと悪い笑みを浮かべる二人。ぐぬぬ……完全にやられている……!


 だが由依さんは、何やら目を輝かせて乗ってきた。


「もっと、もっと知りたいです……誠司くんのこと」


 えっ、そんな食い気味に!? しかも“もっと知りたい”って、好感度イベントみたいなセリフ!?


「いいの!? じゃあ教えちゃおっかなー! 兄貴の“素の姿”!」

「花音、あんまり変なことは言うなよ!?」

「うちのお兄ちゃんさ、去年、ゴキブリ出たとき、私の部屋に“避難”してきたんだよ?」

「“戦略的撤退だ”とか言いながら、布団かぶって震えててさ……こっちは勉強中だったんだけど?」

「補足すると、ゴキブリを倒したのは私。素手で。あと誠司はそのあとしばらく台所に入れなかったわ」

「ま、まぁ……誰だって苦手なものはあるだろ?」


 俺は反論を試みるが、すでに視線が痛い。


 由依さんの俺を見る目が、「そんな一面が……」って言ってる。声に出してないけど、言ってる。絶対。


 その後も2人は止まる気ゼロでどんどん話を進めていく。俺はもう、茶碗で顔を隠して耐えるしかない。


「ふふ……。誠司君にそんな一面があったんですね……新発見です」


 由依さんは、まっすぐ俺を見つめて笑っていた。それが、どこか心からの言葉に聞こえた。


「……頼むから、家では頼りない設定は伏せてくれ」

「ようやく、誠司がかっこつける時代、来たわね」

「ねー」


 母と妹がニヤニヤと盛り上がる中、俺は照れていたのか口をとがらせて茶をすすった。


 ……でも、由依さんが笑ってくれたなら、それでいいかなと思った自分がいたのも、事実だった。

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