第10話 報告書とカフェとマリ先生の妄想
side由依
「おはようございます……」
いつもより少し早く着いた研修室のドアを開けると、マリ先生がすでにデスクで書類に目を通していた。いつもながらキリッとした目元。だけど、今日はやけに視線が鋭く感じる。
「由依ちゃん。……ちょっと、昨日の件、最初に言っとこうか」
「は、はいっ!」
もう、なんとなく察した。うん、あれだ。自転車だ。私の最大の失態だ。
「昨日、帰りに自転車にぶつかりかけたって件ね。ああいうの、本当に気をつけてよ?」
「はい……、ほんとうに、気をつけます……」
先生の口調は厳しいけど、どこか心配そうだった。たぶん、本当に怒ってるというより、心底ヒヤッとしたんだと思う。誠司くんのことも、私のことも、ちゃんと見てくれてるのが伝わる。
「……いや、怒ってるわけじゃないのよ。ただね、こういうのって、あとから『あの時こうしていれば』って悔やむことが多いから。そうなる前に、しっかり意識しておきなさいって話」
なんか胸が少しだけ痛くなった。私の不注意で、あの人がケガしてたかもしれない──それを他人から指摘されて、やっと現実味を帯びる。
でも──。誠司くんは男の人なのに、あのとき私を庇ってくれた。あの腕の中の感じ、ドキドキと、ちょっとした……安心感?
……って、何考えてんの私!
「あ、あの、それで報告書を……」
「うん、読ませてもらうわね」
私はファイルを手渡す。マリ先生は眉ひとつ動かさず、視線を文字へと落としていった。私は手を前で組んで、何も考えないふりをして立つ。心の中では合掌してたけど。
「……」
沈黙。ページをめくる音がやたら大きく聞こえる。ページ三枚目に到達。先生の眉がぴくりと動いた。
「えっ……『誠司くんに抱きしめられて──』?」
「ひゃっ!?」
声、出た。マリ先生が報告書を二度見、いや三度見くらいしてこっちを睨んでくる。
「ちょ、ちょっと!由依ちゃん。これはどういうこと?」
「えっとえっと! ち、ちがうんです! 普通に抱きしめられたわけじゃなくて、あの、その、自転車が! 急に目の前に飛び出してきて! 誠司くんが、とっさに……!」
「咄嗟に?」
「はいっ! 避けるために、ぐいっと、こう……!」
私は自分の体を両腕で抱えてジェスチャーをして見せる。傍から見たらただの羞恥プレイだ。
「……誠司くんが、自分から?」
「そうです!」
「……ふぅ。そういうことなら、いいけどさ」
「……はい、すみません……」
ようやく納得してくれたのか、マリ先生は目元をゆるめ、けれど口調は慎重そのものだった。
「……これ、書き直さないとね」
マリ先生はペンを取り出して、「抱きしめられた」の箇所をスッと線で消した。
「“一ノ瀬誠司氏に自転車接触回避のため、緊急回避行動として一時的に身体接触あり”――これで」
「……まるで公文書ですね」
「公文書だよ。LPS訓練記録はね。由依ちゃん、肝に銘じておいて」
「はい……ありがとうございました」
わたしは深く頭を下げた。ほんと、冷や汗が止まらない。
……それにしても、誠司くん……。あのときの腕、ほんとに、あったかかったな……。
そんな事を思い出していると、マリ先生は急に私の前に顔を近づけてくる。
「で、抱きしめられた時の気持ち、どうだった?」
「へっ?」
「胸、ドキドキした? っていうか、胸、触られた?」
「っっっ……してません! してないですし、触られてませんし! でも……その、ちょっと……」
「ちょっと?」
「すごく、良かったです……」
うあああああっ、口が勝手に喋ってる!? なに言ってるの私!? 違うの! “良かった”っていうのは、“守ってもらえて安心した”って意味であって、別に、別にそういう――!
「ふぅぅぅぅ~~~っ!!! はーい、大正解の反応、いただきました~!」
「うぅぅぅっ……」
もう限界。私の顔は熱湯風呂に放り込まれたみたいに熱い。真っ赤。これ以上ここにいたら精神的に死ぬ!
「で、では、また訓練でっ!」
私は研究室から逃げ出すように出ていった。背中から聞こえるマリ先生の「青春だね~」という声が、なんだか悔しくて、でもちょっと、嬉しかった。
俺は研修室のドアをノックした。
「どうぞ~、誠司くん。入りなさ~い♪」
軽快な声が中から聞こえた。軽快だけど、油断すると地雷踏ませてくる声だ。俺は深呼吸してからドアを開けた。
「失礼します。報告書、提出に来ました」
「はいは~い、ごくろうさま♪……っていうかさ、ちょっとその前に聞きたいことあるんだけどぉ?」
マリ先生は報告書より先に、俺の顔を覗き込むように見つめてくる。その目が、妙にキラキラしているのが怖い。
「……なんですか?」
「昨日、前から自転車突っ込んできた時、由依ちゃん、抱きしめたんですって?」
「――っ!」
咄嗟に返す言葉が見つからず、俺は思わず目を逸らした。小声で訊いてくるとはいえ、この圧はズルい。
「あれは……仕方なかったんですよ。危なかったから。咄嗟に……体が勝手に動いて……」
「ふ~ん? なるほどなるほど~。正義感の塊! 頼れる男! プレイボーイ!」
待って、最後のだけなんかおかしい。
「いや、プレイボーイは違うと思いますけど!」
「で、感触はどうだった?」
「はぁ!?」
「由依ちゃんって意外と胸あるでしょ? 柔らかかった? ぐにゅっと?」
「何言ってんですか先生!? セクハラですよ、それ!」
「いいじゃないのぉ〜。私だって一回くらい、男の子にがばって抱かれてみた〜い!」
「……他の男に言ったら、訴えられますよ? 最悪教師を首になる可能性だって……」
「ぶー、誠司君の意地悪ー」
性的な冗談・質問でさえも違反となる場合があるのに、本当にこの人は教師の自覚あるのか?しかも、男子を守るためのLPSの先生なのに。と、心の中でツッコミをしていると、ようやく話題が本題に移った。
「でね。次の訓練は瑞希ちゃんとの“ウサギカフェデート訓練”、明日の放課後に決定ね」
この間約束したもんな。ちょっと楽しみかも。
「じゃあ訓練ルール、改めて確認しとこっか」
先生が机の引き出しから、きっちりと打ち出された用紙を取り出す。
「じゃあ、次の訓練の話ね。ウサギカフェでのデート訓練。ルールはちゃんと頭に入れておいてよ」
「……は、はい」
先生は指を折りながら、テンポよく説明を始めた。
「まず、男子は絶対に先に店に入れない。女子が先導、周囲確認してから」
「了解です。防犯ってやつですね」
「次、座る位置は男子が壁側。通路側とか窓際はNG。目立たせちゃダメ」
「死角に……誘導、と」
「注文は女子が全部やる。男子は“これ食べたい”って言うだけでOK。メニュー選びは自由だけど、やり取りは女子の仕事」
「な、なるほど」
「接触は禁止。距離を詰めるときは、必ず許可取ること」
「わかりました」
「最後に、お会計は女子が全額出す。男子に財布を出させたら、その場でマナー違反認定。いい?」
「……肝に銘じます」
「うん、それでよろしい!」
俺がそう返事すると、先生は満足げにうなずく。
「明日のウサギカフェ、ウサちゃんが飛びついてきて──その反動で瑞希ちゃんに倒れ込んじゃって……ぎゅって……また抱きしめちゃったりして……!」
先生、うっとりすんな。鼻の下、伸びてますよ。
「……いや、あるわけないでしょ。ていうか、あってたまるか」
俺は額を押さえながら応える。まるでギャグに付き合わされてるツッコミ役の気分だ。
「でも、ほら? 由依ちゃんのときも『まさか』が起きたわけでしょ? うっかり瑞希ちゃんともって可能性ゼロじゃないわよねぇ……」
妄想が加速してる。教師の威厳はもうゼロだ。
「マジでやめてください。想像してる顔、完全に変態ですから」
「なによ、いいじゃない。そうなったらLPS的にもちゃんと理由があるから、セーフ判定よ?」
「……逆に、理由がなかったら?」
そこだけは真面目に確認しておきたい。というか、そうじゃないと怖すぎる。
「そりゃもちろん、大問題よ。例え男子でも、問答無用で指導案件。場合によっては謹慎、出席停止よ」
まぁそうなるわな。
「だから、明日もちゃんと“ルール通り”に、ね?」
「気をつけます」
瑞希さんは、真面目で知的だし、そんな事ないと思う。
とりあえずもう先生の変態妄想トークに付き合うのうんざりだ。早く帰ろう。
「それじゃあ先生、俺はこれで帰ります」
「はーい、明日よろしくねー」
研究室を出ようとすると、そこに、無表情の東雲瑞希が立っていた。
まずい……聞かれてた!?俺の脳内で警報が鳴り響く。先ほどの抱きしめ妄想、全部まるっと聞かれていた可能性がある。どうするよ……。破廉恥ですと言われてしまうぞ……?
だが瑞希は一言も発さず、ただすっと横を通り抜け、何事もなかったように研究室に入っていった。
あ、あれ?……ま、まさか、聞こえてなかった……?
俺はしばし動けずに固まる。
「助かった……」
小さく呟いた俺の声は、誰にも届くことなく、空しく廊下に消えていった。
——— ——— ——— ———
ここまで読んでいただきありがとうございます!少しでも面白いと思った方は応援コメントや☆を頂けるとモチベになりますので何卒宜しくお願い致します。
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