第9話 訓練外、予定外、想定外

「うわっ……土砂降りじゃん……」


 俺は思わず立ち止まって空を見上げた。さっきまであんなに晴れてたのにな。まるで俺たちの退店を狙っていたかのようなタイミングで、空が全力で水をぶちまけてきやがった。


「傘……持ってないんですか?」

「完全に油断してた。朝は晴れてたし、天気予報も見てないし……」


 由依はそんな俺を一瞥すると、無言で鞄をごそごそと漁り始めた。


 そして、取り出したのは——小さな折り畳み傘。しかも見るからに一人用。


「……入りますか?」

「いや、入らないでしょこれ……ていうか、由依、それだと由依さんが濡れますよね」

「……問題ありません。男子を守るのが、女子の役目ですから」


 由依は真剣な顔でそう言って、傘をぱっと開いた。肩のあたりはすでに濡れ始めてる。


「いや、でもこれはちょっと……お前が風邪ひくって」

「でしたら、密着して、体温の分散を——」

「く、くっつすぎじゃない!?」

「訓練ですから」

「お、おう……」


 というわけで、俺は由依さんと“物理的に”密着しながら、雨の中を歩くことになった。肩が当たって、腕が当たって、何なら時折、髪の匂いまで感じる距離感。


 たのむ……早く雨、止んでくれ……!


 俺は願った。切実に願った。なぜかって?この状況、男子の精神衛生に悪すぎる。心臓が持たない。俺じゃなかったらぶっ倒れていただろうな。


 由依さんは真剣な顔してるけど、ドキドキしてないのかな?


 そんな事を思っていた時……。


「危な——っ!」

「えっ?」


 前方の曲がり角から、猛烈なスピードで自転車が突っ込んできた。


 俺は咄嗟に、由依さんの腕を引き寄せた。というか、完全に抱きかかえる形になって、道端の自販機の陰に飛び込む。


 ギリギリで、自転車は俺たちをかすめて通り過ぎた。


「っ……ふぅ……」


 心臓が、さっきの三倍くらい跳ねてる。


「だ、大丈夫ですか? 由依さん」

「……はい。でも……」


 由依はうつむいて、声を絞り出すように言った。


「……男子を守る立場の私が、こんなへまをするなんて……ごめんなさい」

「いや、何言ってんですか。咄嗟だったし、由依さんが悪いわけじゃないよ」

「でも……っ、私……」


 由依の声が震えていた。悔しさなのか、責任感なのか——きっと、両方だ。


「由依さんが謝ることじゃないよ。俺は、無事だろ?」


 その言葉に、由依はようやく顔を上げた。そして——


「……ありがとうございます。誠司くん」


 ほっとしたような、柔らかい表情で、微笑んだ。


『なに今の!? 大丈夫!? 二人ともっ!?』


 耳元のインカムが突然騒がしくなる。マリ先生の声だ。


「あ、うん。自転車ぶつかりかけただけです。俺も無傷。問題なし」

『ほんと? ならいいけど……っていうか、今の、ちゃんと記録取れてるからね〜?』


 余計なことを言うのがマリ先生の仕事です。多分。


 そんな中、空を見上げると、雨脚が急に弱まっていた。どうやら通り雨だったらしい。雲が切れて、夕焼けが差し込んでくる。


『じゃ、訓練終了。時間もちょうどいいし、解散していいわよ〜』

「……じゃあ、ここでお別れですね」


 由依がポツリと言う。どこか、名残惜しそうに。


「家まで、お、送っていきます!まだ道も濡れてるし」

「……それは訓練外になるんじゃ……」

『その通り〜。由依ちゃん、訓練外だからダメよ~?』


 マリ先生の声に、由依はぐっと口を閉じた。そして、ほんの少し残念そうに——でも律義に、頭を下げた。


「……今日はありがとうございました。誠司くん。また、次の訓練で」

「うん、またね」


 それだけ言って、くるりと背を向ける。肩を落としながら、小さな背中が遠ざかっていく。


 また、って言ったな。次の訓練、ちょっと楽しみにしてる自分がいることに、俺は気づいてしまった。




side由依


 家に帰るなり制服を脱ぎ捨て、私はベッドに倒れ込んだ。天井を見つめたまま、無言で手を伸ばして、枕を顔に押し当てる。


「…………ッッッッッッ!!!!」


 心の底から、叫んだ。いや実際は声になっていないけど。


「や、やってしまった……っ!」


 ベッドの上で何度ものたうち回る私。布団がくしゃくしゃになっても気にしない。


 雨の中、私が傘を差し出して、二人で歩いてたあの時間。それ自体は……その、まあ……悪くなかった、むしろドキドキしてた。

 

 でも。あんな、不注意な、初歩的な、致命的なミスをするなんて。


「はぁぁぁ……自転車……」


 あと数センチ、いや数ミリでもタイミングがずれていたら、誠司くんは──LPS訓練生の彼がケガをしていたかもしれない。


 その結果、もし彼がケガをしていたら──私は、LPS訓練課程から除籍になっていたかもしれない。


「……いや、下手したら……もっと悪いことになってた」


 誠司くんは“男”だ。つまり、社会全体が“保護すべき存在”として最優先して扱う、超貴重資源だ。その彼を、私──“守る側”である女が、訓練中にケガさせたなんてことになったら……。


 「……新聞沙汰……? いや、SNSで特定されて炎上……?」


 LPS女子課程の信頼は地に堕ちるし、うちの旧家も面目丸つぶれ。


 想像もしたくないくら大事になっていただろう。


 私はLPS女子課程の生徒だ。男の子を守る側でなければならない。その私が、彼をかばうどころか、咄嗟の判断もできずに──結果、庇われた。


「……言い訳なんて……できないよ……」


 相合傘でドキドキしてた? 密着してて集中できなかった? そんなの理由にもならない。

 まさかあんなに近くで肩が触れてて、体温が感じられて、香りまで──って、いやいや今はそれどころじゃない!


 ……でも──ふと、脳裏に浮かぶ。あの一瞬。私の手を引いて、自分の胸の中に引き寄せた、あの時の誠司くんの動き。


「……すごかった……」


 無駄がなかった。ほんの一秒の間に周囲を確認して、私をかばって、進路を変えて、安全確保。

 

 あれはたぶん、本能的な判断。でも、できる人は本当に少ない。


「……やっぱり、他の男の人とは違う……」


 誠司くんは気づかないかもしれないけど、気配りができて、周囲への配慮もできて……優しくて。

 

 それでいて、いざという時には、ちゃんと守ってくれる。


「…………んっ……」


 思い出して、また顔が熱くなる。

 

 腕の中にいた、あの時の感触。心臓が跳ねる音が今でも耳に残っている。


「……はぁぁぁああああっ!!」


 またベッドに顔をうずめる。もはや布団と一体化したい。私が羽毛になりたい。


 誠司くんは気にしてないって言ってくれた。失敗を責めるんじゃなくて、「無事でよかった」って、笑ってくれた。


「…………ほんと、ズルいよ……」


 そんなこと言われたら、また意識しちゃうじゃない。


 私は天井を見つめながら、小さく息を吐いた。失敗は、取り返すしかない。次は、ちゃんと守ってみせる。


 そう思いながら、私はもう一度布団に潜り込んで、しばらくそのまま、赤くなった顔を冷やしていた。







 「……で? 今日の訓練、どうだったの?」


 母が、スプーンを止めて俺をじっと見る。横で妹の花音は無心でカレーに夢中だ。


「うん、まあ……普通、かな」

「“普通”って、あんたね……誠司の身になにかあったらどうするのよ。雨、降ってたでしょう? 濡れなかったの?」

「いや、濡れた。傘持ってなかったし」


 そう言うと、母の眉が跳ねた。明らかに、怒るぞこれ、って前兆だった。


「……え? じゃあどうやって帰ってきたの?」

「訓練相手の由依さんが折りたたみ傘持っててさ。途中まで送ってもらった」

「はああああっ!? それでなんで、その子を家に上げなかったのよ!?」


 母、まさかの声量三割増し。びっくりしてカレーの福神漬けが喉に詰まりかけた。


「え、いや、だって……まだ知り合って間もないし。いきなり家に来てもらうとか、そんなの無理でしょ」

「風邪でも引いてたらどうするのよ!? 女の子がよ? しかも、あんたを守る立場の子が、肩濡らしてまで送ってくれたんでしょ?」

「う……」

「昔、私が高校の頃ね、同じようなシチュエーションで傘貸してもらった男子を、家に上げなかった同級生が大炎上したの。『礼節も、男子に対する最低限の思いやりもない』って。今でもLPSマナー教材で例として使われてるんだから」

「その教材、俺の学校でも見たけど……、こんな身近で適用されるとは思わなかったよ……」

「誠司、あんた、ほんっとに気配りが足りない!」

 

 ……しまったな。由依の肩、確かにちょっと濡れてた。しかも何にも言わずに、ただ「じゃあ、また明日」って笑って帰ってったんだよな。

 

 あれ、もしかして、無理してたのか?


「今度、その由依ちゃんに会ってみたいなー!」


 突然、カレーおかわり中の花音が顔を上げた。


「え? なんで?」

「だって、お兄の訓練のパートナーなんでしょ? どんな子か気になるじゃん。いいなー、私も守ってもらいたいなー、由依ちゃんに」

「おまえな、由依さんは訓練でやってるんだよ。別に俺専属ってわけじゃ──」

「でもさ、お兄が“送ってもらった”ってことは、やっぱそれなりに信頼してるってことでしょ? それって結構、仲良しってことでしょ? ふふーん」

「いや、違うって、そういうのじゃなくて……!」

「誠司。今度、訓練の帰りにでも連れて来なさい。ちゃんと“ありがとう”ってお礼も言いたいし、温かいスープでも出してあげたいわ」

「……マジで言ってる?」

「当然でしょ。家にまで送ってくれるくらいの子なんだから、親として一度ちゃんと話したいわよ」


 逃げ場、なし。


 俺は結局、うつむいて「わかったよ」とだけ呟いた。

 

 けど、心のどこかで──確かに、あのまま濡れたまま帰したのは悪かったな、って、今になってすごく思う。


 「ちょっと悪いことしたかもな」


 思わずつぶやいたとき、脳内にあの瞬間がよみがえる。


 飛び出した自転車。俺は反射的に、彼女を抱きかかえて引き寄せて──。その瞬間、全身が火照った。あの感触。距離。柔らかさ。


 ちょ、やば。思い出すな。思い出すな、俺。


「……あれぇ? お兄ちゃん、顔赤くなってない?」

「は?」


 不意に花音が俺の顔を覗き込んできた。こいつ、嗅覚だけは獣並なんだよな。


「なんかあった〜? さっきの由依さんとの濡れ濡れ傘イベントで、なにか“触れ合い”とか“事故”とか“わたしもうお嫁に行けない”系イベントあった〜?」

「ねーよ!」

「絶対あったやつじゃん、その反応〜!」

「違うっての!」


 花音の追及から逃げるように、俺はカレーにスプーンを突き立てた。


 カレーは、うまい。由依さんを抱き寄せた事は忘れよう。


 そう思って口に運んだカレーは、いつもより、ちょっとだけ甘かった気がした。



——— ——— ——— ———


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