第32話 欲望のままに


妃芽の元カレ倉地貴秀は、学校では誰もが認める爽やかで頼りになる彼氏だった。

笑顔が絶えず、優しい言葉で妃芽をリードし、まわりから羨ましがられる存在。

しかし、その裏には誰にも見せない、歪んだ一面があった。

彼は頻繁に身体の関係を求め、妃芽に執拗に迫った。

「もっと一緒にいたい」と言いながら、すぐに身体を重ねることをねだる彼の姿は、表のイメージとはまったく違っていた。

ある日のこと。

倉地は妃芽を公園で呼び出した。

「ちょっとトイレ行って、しよう」

彼は低い声で囁き、人気のない公園のトイレに誘った。

妃芽は内心で恐怖を感じながらも、彼のペースに飲まれそうになった。

「こんな場所で……そんなことするなんて……」

彼の目は異常に輝いていて、まるで理性を失った獣のようだった。

妃芽はその時、表向きの優しい彼氏の姿とは真逆の、倉地の本性を痛感した。

それは、彼女の心に深い傷を残し、彼との関係に冷たい壁を作った。

ある日の放課後。

妃芽と倉地がふたりきりで歩いていると、倉地がふいに口を開いた。

「そういえばさ、最近幼なじみの琴葉がよく家に来てるんだよね」

彼は軽い調子で言う。

妃芽は微かに眉をひそめたが、倉地は続ける。

「今度お泊まりすることになってさ。

まあ、妃芽とセックスできないから、幼なじみとするかな~なんて、冗談だけどね」

その言葉に妃芽の心臓は跳ねた。

冗談なのか、本気なのか、言葉の真意がわからなくて動揺が隠せなかった。

「そういうこと言わないでよ……」

妃芽は小さくつぶやいた。

倉地はニヤリと笑い、軽く肩をすくめる。

「悪かったよ。でも、あいつとは昔からの仲だし、まあ色々あるんだよ」

妃芽の胸はざわついた。倉地の軽い言葉が耳に残ったまま、妃芽は部屋に戻った。

窓の外に広がる夜空をぼんやり見つめながら、ふと胸の奥に温かいものが蘇った。

(真悠のこと……)

柔らかな笑顔、静かな優しさ、いつも真っ直ぐに自分を見つめてくれるあの瞳。

「彼とは全然違う……」

妃芽は小さくつぶやいた。

倉地の軽薄な言葉と、真悠の誠実な姿が、頭の中で交錯する。

(真悠の前では、私は素直になれる。怖くても、不安でも、ちゃんと向き合いたいと思える)

だけど、その気持ちを認めるのはまだ怖かった。

だから、彼女は目を閉じて深く息を吸った。

(まだ答えは出せないけど……)

胸の中の揺れ動く感情を、静かに抱きしめるようにして、

妃芽はこれからのことを思い巡らせた。

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