第17話

夕方、明日の朝ごはんの仕込みのために台所に立っていると、美穂さんがふらりと顔を出した。


「綾香さん、ちょっといいですか」

「え……どうかしました?」

「突然ですけど、今夜、みんなでごはん食べませんか? もう、夏も終わりますから。お疲れ様会、ということで」

「あ、それいいですね。ちょうど冷蔵庫に野菜もありますし」

「もちろん、私も頑張りますよ」


そう言って、両手でグータッチの格好をする美穂さん。

その姿に、私も自然と笑みがこぼれた。


しばらくして、美咲ちゃんもエプロン姿でやってきた。


「わたし、ピーマン切る!」

「じゃあ、お願い。指、気をつけてね」


同じようにふらっと顔を出した長岡さんは、「買い出し行ってくるわ」と言って、財布を手に出ていった。

宇津井さんもいつの間にかやってきて、黙ってコンロの前に立ち、火加減を確認している。

それぞれが自然に動いていて、誰も指示を出していないのに、ちゃんとひとつの流れになっていた。


私は冷蔵庫から、明日の朝に出そうと思っていたゼリーのボウルを取り出す。

透明な器の中に、桃とぶどうが浮かんでいる。

冷たい光をまとったその色合いが、なんだか夏の終わりにぴったりだと思った。


「それ、なに?」


美咲ちゃんが目を輝かせてのぞき込む。


「ゼリー。朝から冷やしておいたの。デザートにしようと思って」

「えー! おいしそう!」

「本当は明日の朝ごはんに出そうと思ってたけど、今日食べちゃおっか」

「やったー!」


日が暮れるころ、共用スペースにテーブルを並べて、料理を並べた。

鶏もも肉のグリル、夏野菜の揚げびたし、冷やしトマト、とうもろこしのバター炒めなどなど。

我ながら、どれも気取らないけれど、ちゃんとおいしそうに作れたと思う。


「いただきます!」


美咲ちゃんの声の後に、みんなが笑って箸を伸ばす。

長岡さんは「これだけ美味そうな料理に、酒を合わせねえなんて反則だろ」と言いながら、みんなで飲むためのビールと、美咲ちゃんのためであろうジュースを買ってきていた。

食べながら、飲みながら、みんなでぽつぽつと夏の話をした。


「そういえば、夏祭り、楽しかったですね」


私が言うと、美咲ちゃんがすぐに反応した。


「わたあめ、すっごく大きかったよね! あと、金魚すくい!」

「宇津井くんが掬いすぎて大変なことになったよなぁ」

「……ははは」

「美咲ちゃんは寝ちまったから、俺がおんぶして帰ったんだぜ」

「えー、そうだったんだ!」


驚く表情を見せる美咲ちゃんを見て、長岡さんが笑う。


「海も、気持ちよかったな」


宇津井さんがぽつりとつぶやく。


「美咲ちゃん、浮き輪でくるくる回ってたの、覚えてる?」

「うん! クラゲいないって叫んだの、わたし!」

「スイカ割り、惜しかったなあ。あれ、ちょっと右だったら当たってたよ」

「その後のお母さんの一撃、すごかったよね」

「……剛腕」

「お母さんだって、強いんだから」


笑い声が重なって、テーブルの上にやさしく広がっていく。


「帰りに食べたラーメン、あれもおいしかったなぁ」


私が言うと、長岡さんが「汗かいたあとにあれは反則だよな」と笑う。


「美咲、替え玉してたよね?」

「うん! だっておいしかったんだもん」

「……美咲ちゃんが……あんなに静かに食べてたの……初めて見たかも」


宇津井さんの言葉に、みんながまた笑った。


「でも、やっぱり……毎日の朝ごはんがいちばん好きかも」


美咲ちゃんが、ちょっと照れたように言った。


「だよね。みんなで食べると、なんでもおいしくなるよね」


美穂さんがうなずく。


「朝のお味噌汁の匂いって、なんか安心するんだよな」


長岡さんのその言葉に、私も静かにうなずいた。


「……今年は、ちゃんと夏だったなぁ」


宇津井さんが、つぶやく。


「姉ちゃん、本当にありがとう」

「え……?」

「あの時、みんなでご飯を食べないか、って言ってもらわなかったら、今頃こんな風になってねえだろ、と思ってな。……これからも、こうして集まれたらいいな」

「いや、私の方こそ……!!」


長岡さんが言うと、美穂さんが「そうですね。ここに来て良かったです」と返した。

宇津井さんも、こくりと頷き、美咲ちゃんは笑っていた。

私はみんなの姿を見ながら、たまらなく嬉しい気持ちになった。


私の方こそ、何をしたらいいのか分からなかったとき、ここに来て、何をするべきなのかが分かった気がしたのだ。

みんなで朝ごはんを食べて、一日を頑張る。

会社員の頃には持てなかった気持ちで、今は胸が溢れていることに、今更ながら気づいた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


たくさんの大皿も空になったところで、デザートにゼリーを出すことにした。


「わあ、きれい! しかもおいしい!」


美咲ちゃんがスプーンを口に運びながら、うれしそうに笑う。

誰かと囲む食卓には、季節の終わりをやさしく包む力がある気がした。

窓の外では、虫の声が静かに響いていた。

風の匂いが、ほんの少しだけ秋に近づいているように思えた。

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