第2話 寝落ちもちもち

『そういえば』

「ん?」

『もうすぐ文化祭だね』


 美怜は試合が始まるまでの待ち時間で、湊に話を振りながらピッとエアコンをつける。

 最近の九月は夏かと思うほど暑いし、ゲームで興奮して余計に暑くなったのだろう。


「あー、そういえば今月末だっけ?」


 湊が椅子に深くもたれかかり、腕を頭の後ろで組みながら返事する。

 ギーッと音が鳴りながら背もたれが倒れた。


 私立宮下高校の文化祭は、毎年九月末──今年は二十六日からの二日間に渡って行われる。

 また、文化祭前の一週間は、授業無しで一日中出し物の準備に使えるという、生徒からは大歓喜の期間も存在する。


 ──というのを、湊は今美怜に言われてやっと思い出した。

 本日は九月十八日。


(あと二週間どころか、もうほぼ一週間しかないじゃん)


『もー、なんで忘れてるの。昨日とかもちょっと話し合いあったじゃん。忘れないでしょ普通』

「普通は、な。どっかの美少女さんのせいで睡眠時間取れてないの」

『なら私のせいか』

「美少女ってことに自信ありすぎだろ。もう少し日本人らしく謙虚であってくれよ……」


 湊は「間違ってねーけどよ」と言いながら立ち上がり、エアコンを消して扇風機を回す。

 日をまたいでもまだまだ暑いが、一人暮らしの湊にとっては電気代が気になってしまった。


『ふーん……可愛いとは、思ってるんだ』

「んー? なんか言ったかー? すまん、扇風機つけてたからよく聞こえなかったわー」


 小さくぼそっともらした美怜の本音は、扇風機の近くにいた湊に届かなかった。


『べっつにー』

「なんだよ気になるじゃん」

『湊くんに言ったわけじゃないしー』

「今俺しかいないんだけど……」


 美怜は少しだけムスッとした様子で部屋の電気を消し、ベッドにボスッとあお向けに寝転がる。


 背中まである長いストレートの髪がふわっと広がる。

 いつもはクリっとした目は、トロンとしながら天井を眺めていた。

 中学生の頃から履いているショートパンツと白のTシャツというかなり薄手の寝巻きだが、最近の九月の暑さを見ればどうということはない。


 美怜は枕元にスマホ置き、頭を枕に預ける。


「あれ、美怜FLOWやめたのか?」

『んー、ごめん。疲れちゃった』

「おわっ!?」


 美怜の声が急に近く、大きくなり、湊は思わず反射的に声を出して驚いてしまった。


「もう横になってるのか。また寝落ちするぞ?」

『別にいいよ。湊くんしかいないし』

「……ッ! ……それが問題だっての」


 湊は顔が赤くなるのを自覚しつつ、パソコンの電源を落とす。

 そして、美怜に倣って部屋を暗くしベッドで横になる。


 時刻は二十五時。

 眠くなるのも必然の時間。


『えー、なになに? あっ、もしかして私と寝落ちもちもちするのヤダ、とか?』

「ねお……っ」

『もー照れちゃってぇ』

「……照れてねぇよ。けど、寝落ちもちもちって言い方はやめよ?」

『照れてるじゃん』

「照れてない」

『やーい』


 美怜のそんないじりも、どこか勢いがなくなっていた。

 湊がそんなことを思っていると、通話越しに「ふわ……ふぅ」とあくびが聞こえてきた。


「眠い?」

『…………まったく?』

「嘘つけ」


 美怜の滑舌が悪くなっていた。

 数カ月の付き合いから湊には分かる。

 眠いのをずっと我慢して、一緒にゲームしてたことが。


「通話終わるか?」

『まーだ』

「いや……俺は別にいいけど、七瀬さんがまた寝落ちするぞ?」

『う……まだしないから。今日こそは、湊くんが寝落ちするのを見届けるから』

「前もそんなこと言って先に寝たじゃん……あのときだって──」

『わー! 言うなぁ! 知らぬが仏でいたいの!』

「俺もそれがいいと思う」

『あの時の私、ほんとに何言ったの……』


 美怜は「寝落ちもちもちだね♡」と湊を挑発しつつも、毎回湊より先に寝てしまっている。

 その度に寝言をボソッと漏らしては、湊が空気を読んで通話を終了している。


 美怜の動きに合わせて擦れる掛け布団の音が、ガサゴソと通話越しに聞こえてくる。


『ねー……』

「ッ! ん、なに?」


 美怜の眠気がだんだんと限界に近づくと、それに比例するように声が高く、そして甘くなっていく。

 そんな声が耳元に置いたスマホから聞こえてきたために、湊は少し動揺してしまった。


 学校の人たちは絶対に聞くことが出来ない、可愛らしく甘えた、そんな声に。


『……恋バナ、しよ?』

「はは、好きだなぁ七瀬さん。でも、俺じゃなくて女子たちとしろよ」

『んーん、湊くんのが聞きたいの』

「んなこと言われても……」


 美怜ほどではないが、湊もかなり眠たくなってきていた。「まーた寝ぼけて変なことを……」と湊は困りながらあくびをする。


 だが、美怜は寝ぼけて聞いたわけではなかった。

 湊の恋愛事情を──今の彼女・好きな人事情を知りたいというのは、心の底からの本心である。


『ねーすきなこいるのぉー?』

「……さぁな」

『んー……じゃーあ、きになるこはぁ? どんなひとが……すきなのぉ?』


 美怜は呂律もうまく回らなっていた。

 ふにゃっとした美怜に、湊は「君だよ」と言いたい気持ちをぐっと堪える。

 それでも、「どんな人が好き?」と聞かれて湊が思い浮かぶのは──美怜のこと


 夜は更けていく。

 暗闇の中、時計の針が進む音と、時折スマホから聞こえてくる布団の音と「ん……」という美怜の声だけが、湊の部屋に満ちていた。


 ──……もう、言ってしまってもいいんじゃないか?

 眠気で頭が回らなくなってきた湊は、スマホに顔を近づけてゆっくりと口を開く。


 そして────口を閉じた。


(好きな気持ちは多分、ほんと。でも……いや、だからこそ。来たるべき時に正面から伝えたい。だから、今は…………)


「……さぁ、な」


 そう、湊は一言返す。

 ただ真っ直ぐに、美怜のことを思って。


『すぅ……』


 すると、通話越しに寝息が聞こえてきた。

 どうやら今回も美怜が先に寝落ちしてしまったようだ。


「ったく……人が苦労しているのも知らないで」


 湊は軽く悪態をつきながらも、その顔はどんな青空よりも澄みきっていて、どんな花よりも華やかだった。

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