22話
閉店後の《Janus》。
雨が上がったばかりの夜、静寂が店内を満たしていた。
リゼはカウンターに肘をついて、静かにあくびをひとつ。
「……今日は、いい日だったなあ……」
誰もいない店内。
ふと見上げた天井灯が、ほんのり揺れて見えた。
ゆらり、ゆらり。
まるで、水の底にいるみたい。
いつの間にか、まぶたが落ちて――
……気づいたとき、空気が変わっていた。
店内の灯りはあたたかいまま。
でも、匂いが違う。空気がほんの少し、濃い。
足音が聞こえる。
誰かが席に座る気配。
「あの、閉店……してたんじゃ……?」
リゼが立ち上がると、カウンターに人影がいくつも見えた。
見覚えのある顔。
でも、どこか違う。
常連のガルドは、穏やかな笑顔のままグラスを見つめ、
あの剣士は、隣の客と穏やかに談笑している。
何かが……変だ。
シズクの姿を探すと、カウンターの奥に立っていた。
けれど――どこか、遠い目をしている。
「マスター……?」
声をかけても、こちらを見ない。
それでも手は止まらず、グラスを磨いている。
まるで、別の時間の中にいるかのように。
「これは、夢……?」
誰かのグラスに泡が立ち、しゅわしゅわと音を立てる。
その音に、なぜか涙が出そうになる。
それは、心の深いところに触れる、懐かしいような、寂しいような泡の音だった。
リゼはカウンターの椅子にそっと腰を下ろす。
不思議と、誰も彼女の存在を気にしない。
それでも、誰かが彼女のためにそっと一杯を置いた。
色の薄いカクテル。泡が小さく立ち上り、はかなく消えていく。
リゼは、少し迷って――飲んだ。
やさしくて、あたたかくて、
けれどすぐに消えてしまう、そんな味だった。
そして――ふ、と。
「リゼさん、寝たままじゃ風邪ひきますよ」
誰かの声に、はっと目を開けた。
そこは、いつもの《Janus》。
シズクがカウンターの奥で、グラスを並べている。
「……夢……?」
「何か、いい夢でも?」
「……うん。ちょっと、変だけど……やさしい夢だったかも」
ふと気づく。
目の前のカウンターに、小さなグラスがひとつ。
色の薄いカクテル。
微細な泡が、まだひとつだけ残っていた。
それが弾けて、音もなく消えた。
リゼはそっと微笑む。
「……夢じゃなかったら、いいな」
その声に、シズクは何も言わず、
ただ静かに笑った。
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