第16話 最初の晩餐
「先ほどの無礼、大変失礼いたしました」
於、ニイハー孤児院、客間。
すでに子供たちは寝静まったこの場所で、ゼラは院長夫婦、キャド・ニイハーとケイシー・ニイハーに跪き、謝罪の言葉を口にした。
「改めまして、わたくしはゼラ商会会長、ゼラ・サラン・マッカード。一商会の代表者として、此度の不躾な発言を謝罪します」
「院長様、副院長様に置かれましては、わたくしの発言によりご不快に思われたと存じます。また、この孤児院に在籍している子供たちも同様です」
ゼラは一瞬だけ、ガラスのない窓をちらとみる。暗闇が広がっている。夜明けは遠い。
「明日の朝、いち早く皆様にも謝罪したく。また、お詫びの品も急ぎ準備させていただきます」
しばし、この隙間風ばかりの客間に沈黙が流れた。やがて、口を開いたのはこのニイハー孤児院の院長、キャドだった。
「顔を上げなさい、ゼラさん」
ゼラはそれでも膝を折ったまま、しばし動かなかった。
「あの、貴族の世界や上流承認の皆様の礼儀かは知らないが、あんまりそういうのは……それにあの、貴族の人にそんなこといわれても……」
おかげで、いよいよどうすればいいかわからなくなったキャドは、動揺を隠しもせず、わたわたと妻=ケイシー・ニイハーに助けを求めようとした。だが、それより早く、ケイシーのほうがゼラの背中をさすり、そっと立ち上がらせた。
「あなたに、見てもらいたいものがあるの。きて」
まるで不思議な術に導かれるように、ゼラはケイシーに手を引かれるまま、客間を抜けて、歩くだけで床が泣く廊下へ、そして、先程ゼラが大暴れした食堂に至る。
「あの、わたくし……」
ゼラは申し訳なさそうに目を伏せる。対して、ケイシーは、座って、と一言。そして、食堂のテーブルに備えられた椅子を引く。ゼラは黙って誘導に従い、椅子に腰かけた。
「待っててね」
そういって、ケイシーは食堂から出て行った。どうしたものかとゼラは一瞬、背後に視線を送る。そこに立つコクヨウはしかし、ゼラを一瞥もしなかった。ただ、その隣には随分と居心地の悪そうなキャド・ニイハーがいたので、ゼラはそれ以上何かをする気が起きなかった。
数分待っていると、やがて盆に白い深皿を四つ乗せたケイシーが戻ってきた。
「はい、召し上がれ」
それは、この食堂のテーブルにあった、あの見た目のあんまりよろしくない、肉の沈んだ湯であった。
「うちの料理は、わたしも手伝いますが、基本的に子供たちに作らせています」
そういわれると、もう手を付けないわけにはいかなかった。ゼラもコクヨウも覚悟を決めた。
「あの子達に遠慮する必要はありません。コクヨウもお腹が空いているでしょう」
「そうですね。面倒な主人を持ったものです。この孤児院きっての出世株、という言葉は間違いだったようです」
コクヨウはさも当然といった風でゼラの隣に座った。
「まっ、主人の隣に平気で座るとは、いい性格をした執事ですこと」
「コクヨウの前ではそういう言葉遣いなのね」
ケイシーが揶揄う。ゼラは顔を赤くして伏せた。
「まあいいじゃないか。おれも、君たちのおかげでお腹が空いていてね」
「それは、どういうことですの?」
「決まっている。うちの年長さんたちのせいさ」
キャドはやれやれ、と肩をすくめていう。ゼラにはさっぱり理解できなかった。
「あの子たちは、君がああやって大声を出したのは、お腹が空いているからだ、と言っていたのよ」
そういって、ケイシーは、ふふ、と思い出し笑いを口にした。
「え?」
ゼラは驚きで妙な声が出てしまう。
「わたし達もびっくりしたの。いつも暴れてばっかりの子たちだから。でも、急にわたし達のために立ち上がって。なんだかちょっと、意外な面が見れて嬉しかったわ。だから、貴方の失礼な物言い、無しにしてあげようって、夫とも」
ケイシーは、しれっと席に着いた夫=キャド・ニイハーをちらと見た。キャドも深く頷いた。
「それに、あなたのことだって、あんなひどいことを院長先生に言うのはお腹が空いているからに違いないっていわれるとね。なんだかもう、おかしくて。いや、おかしいから許す、というわけでもないが。でも、君が言うことは全部至極真っ当だ。おれ達にも商才があればいいのだけれど、そうもいかない。子供達にはずっと迷惑をかけている」
キャドは悩まし気に眉を顰め腕を組んだ。ゼラは珍しく顔をこわばらせ、必死で言葉を掛けた。
「そんな、あの、わたくしは……」
「もういいでしょう。わたしは不出来な主人のせいで腹が空いています」
そういって、誰よりも先にコクヨウが肉と湯にフォークを刺した。
「まあ、わたし達はそんなに行儀の悪い子に育てた覚えはありませんよ」
そういいながら、ケイシーもキャドも、深皿にフォークを向け、その中身を食べ始めた。ゼラも遅れながら、その肉にフォークを刺し、ほぐし、その一片を口に運んだ。
気のせいか、三人の視線がゼラに刺さる。
「……別に、おいしくは、ありませんわ」
その言葉に、その場の全員が苦笑いを浮かべた。
「お肉も二度の過熱で固くなっていますし、なんか入っている香辛料の使い方もちぐはぐで……お肉から風味は出ていますが、それと合っていなくて……油も灰汁も出すぎていて、気持ち悪いですわ」
「思ったより言うな」コクヨウの顔が引きつる。
「……でも、ありがとうございます。この孤児院では貴重なものだと理解しています」
ゼラは、フォークで肉をぼろぼろと崩し、それらをぱくぱくと口に運んだ。その様子を微笑みながら、夫妻も見守りつつ、食事を進める。
「あの子たちがね、あのお姉ちゃん一人でご飯食べるのはかわいそうだからわたし達も食べるなって、そういったのよ」
次から次へと、あの言動の子供達からかけ離れた様態が夫妻から告げられるものだから、ゼラは反応に困った。
「それは、本当に何と言ったらいいか……」ゼラはついつい俯く。
「だから、明日は、貴方もあの子たちと一緒にテーブルを囲んであげてください。みすぼらしい料理だとは思うけど、それだけできっと、少しはおいしくなるわ。子供達もそれを望んでいます」
「……そういうこと、ですのね」
「ゼラ様?」
「でも、この料理は、まずくはない」
ゼラはぐるりと、一緒にテーブルを囲む三人を、否、食堂全体を見回した。そして彼女は、食堂の入り口に小さな影がうろついているのをしかと認めた。院長夫妻が溜息をつく。そして、おいでなさい、と声をかけてみるが、誰一人として入ってこない。
彼らがそう決めているのなら、とゼラは思ったが、やはりそのまま廊下にいられるのも奇妙である。
「コクヨウ、お菓子」
「はい、ゼラ様」
コクヨウはどこからともなく紙袋を取り出した。それを受け取ると、ゼラは大きな声で次のように言った。
「明日、このお菓子を年少さんの子供達に分けてくれる、お兄さんやお姉さんを探していますわ」
その言葉に、ぞろぞろと先ほどのファンキーな様態の子供達が現れた。
「勘違いするな、おれ達はお菓子につられたわけではない」
ゼラを囲むように子供達は立つ。対して、ゼラは菓子の入った紙袋を、両手で渡す。
「わかっていますわ。はい、明日の朝までに、すっかり食べてしまわぬよう気を付けること」
子供が確かに袋をがっしと掴む。そして、その上からゼラは素早く手を重ねた。逃がさない、という姿勢に、子供達の顔がにわかに緊張する。しかして、ゼラは朗らかに言う。
「そういえば、取引先のお招きがなければ、いつも食事は、あの屋敷で一人でしたわ」
そして、ゼラは改めて、子供たち全員を見る。
「今日のお食事、確かに楽しませていただきましたわ。貴方達は、確かに素敵なシェフでした。明日はもっとまともな料理を寄越すように、わたくしと一緒にテーブルを囲んでくださる?」
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