第008話 希望の種が紡ぐ未来

――春。


町の桜は散り際の風に舞い、校門前にひらひらと花びらを落としていた。


新入生たちの列の中に、前行アムの姿があった。

制服はまだ少し大きく、首元がそわそわと落ち着かない。


「アム、前向いて歩いて」


隣に立つ母・センが微笑みながら背を押した。タケルは入学式には間に合わないが、仕事先からメッセージを送っていた。


(君が無事にここに立ってくれて、父さんは嬉しい)


その言葉を胸に、アムは校門をくぐる。


その瞬間だった。

風がふわりと吹き、校庭の花壇に咲くチューリップが、アムに向かってわずかに揺れた。

まるで、歓迎するかのように。


アムは立ち止まり、笑う。


「こんにちは」


その言葉に、花がふわっと香った。


――教室。


新しい机、新しい椅子、新しい空気。


先生が黒板に名前を書きながら話すなか、教室の中ではひそひそとした子どもたちの声が飛び交っていた。


アムは少し緊張しながらも、周囲を見回した。


前の席には、姿勢のいい女の子がいて、ノートをきっちり開いていた。

後ろの席からは、「右脳で解析〜」「左脳で記録〜」と、どこか張り合うような声が交互に飛び交ってくる。

似た顔立ちの双子の少女たちは、机の上に同じ種類のノートを広げていたが、微妙に違う色のペンで、それぞれのやり方で書き込んでいる。


ふたりは互いの答案用紙をチラ見しながら、どちらが先に答えを書けるか競っているようだった。視線がぶつかるたびに、「ふーん、そっちの答えね」と火花が散るようなやり取りをしている。


その隣では、眠そうに頬杖をついた男の子が、窓の外をぼんやり眺めている。

そして、前の方の席では、先生の話にちょくちょく突っ込みを入れては、周りを笑わせる元気な男の子がいた。


アムは小さく息を吸って、顔を上げた。


「うん、だいじょうぶ」


自分に言い聞かせるようにそう呟いた。


――放課後。


帰り道、アムは校舎裏の植物園に立ち寄った。

ふと、ツバキの葉がざわめく気配。


「……まただ」


木陰から、異形の影がじわりと現れた。


黒く歪んだ腕、紅い双眸。口元は笑っているようで、感情はない。

二次の悪魔。


アムは何もできず、ただ固まる。


その瞬間。


植え込みの陰から、一匹の黒い狐がぬるりと姿を現した。

日常ではアムの鞄の中やベッドの隅で静かに眠っているその狐――モルモンだった。


目の前の悪魔を見据え、モルモンの尾がふわりと揺れる。


一閃。


まるで風そのものになったかのように、モルモンは跳ね、鋭く悪魔の喉元へ飛びかかる。


悪魔は叫ぶ間もなく霧散し、闇に溶けた。


アムは気づいていない。

振り返ったときには、もうそこに影も気配もなかった。


ただ、どこかで“守られている”感覚だけが、微かに胸に残る。


モルモンは再び低木の影へと戻り、何事もなかったかのように尻尾を丸めた。


――それが彼の日常。


黒い狐の姿のまま、誰にも気づかれず、アムのそばにいる。


家ではペットのように扱われ、学校への道中もこっそりついていく。

だが、彼の使命はひとつ。


「アムを、絶対に気づかせずに守り抜くこと」


それが、モルモンの誓いだった。


――その少し離れた屋上。


ひとりの少女が、モルモンの戦いの一部始終を目撃していた。


肩に白い羽を宿す天使の子。


彼女の名前は、光冠(こうかん)ユナ。

アムの同級生のひとりで、天界から地上へと派遣された“見定める者”としての役割を担っていた。


彼女は、狐が悪魔を消し去った瞬間を食い入るように見つめていた。


「……あの狐、ただの動物じゃない」


風に髪をなびかせながら、ユナは心の中で言葉を続ける。


(才とは異なる……けど、明確な力を持っている。それに――アムくんと近い距離にいるような……)


その直感は、彼女にとって初めて心を強く揺さぶった“謎”だった。


ユナは知らず知らずのうちに、モルモンという存在に惹きつけられはじめていた。


(この子をもっと、理解したい)


それは“見守る”のではなく、強く惹かれる気持ちの芽生えだった。


――天界。


回廊を歩く高位天使セリスは、浮かぶ記録を見つめていた。


「監視は続ける。だが……介入の時ではない。今は、彼を見守るべきだ」


天界直属の地上組織『才秩序保護局』は、人間界での観測と悪魔対応を強化していた。


――とある本部。


「このルートで潜んでる可能性高いよ!」


地図に赤いピンを立てながら、ランが元気よく声を上げる。

隣で端末を操作するのはセンだ。


「じゃあ私が先にワープする。センさんは後から支援お願い!」


「はいはい、飛びすぎて転ばないようにね」


「らじゃーっ!」


二人は剿滅隊そうめつたいの幹部として、日々戦場を駆けていた。


センの才は『ヒプノシス』――眠りを操る力。直接の攻撃ではなく、相手の動きを封じ、妨害することを得意とする。


悪魔の討伐数こそ多くはないが、捕獲数では圧倒的な記録を誇り、ランとのコンビは現場でも名が知れていた。


――夕暮れ。


ゼノンは、高台から町を見下ろしていた。


「あと少し、だ」


彼の背後には、集まりつつある神の器たちの記録。


六年という歳月の中で、すでに五人の器たちと協力関係を築いていた。


だが同時に、交わることを拒み、敵対の姿勢を見せる者もいた。


それでもゼノンは、焦りを見せることはなかった。


「六年。約束の時間は、もうすぐ終わる」


彼の目に映る未来。 そこには、アムが中心に立つ光景があった。


「世界は、変われる。僕たちが願いを信じる限り、希望は必ず育つ。 だからこそ、今を繋ぎ、未来へ託すんだ。」

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