深層ハンター共通弱点

 人は、癒しを求める。

 それは食事だったり、睡眠だったり、娯楽だったり。あるいは、誰かからのありがとうの言葉や、何かを成し遂げた達成感なんかも、それに近いのかもしれない。

 人と言うのは往々にして、心と体を癒してくれる何かをモチベーションに、何かを頑張っていることが多い。


「はあああぁぁぁぁぁ…………」

「溶けるわねぇ…………」

「……………………」


 さて、私たちは今、とろけている。

 日本人のみならず、世界中の人間を堕落させる恐ろしい沼にその体を浸し、もたらされる至上の快楽を享受するのみの、脳がとろけた人形となっているのだ。


 湯気の立ち上る水面にはお盆が浮かんでおり、その上に置かれているのはちょっとお高い日本酒。

 他にも水面には、誰が持ち込んだのかわからない黄色いラバーの鴨が浮かんでおり、ぱしゃりと肩に水をかける動きに合わせて起きた波を受けて、石で造られた温水の池を揺蕩っていく。


 ぼーっと見上げたその先には、星の浮かぶ夜空。煌々と輝く星々の中、一際目立つ双子月。ダンジョンの外では見ることのできない、まるでバケツをひっくり返してしまったかのように空を埋め尽くす、星屑たち。

 そんな夜空に覆いかぶさるかのように枝を伸ばすのは、この施設が出来上がる寸前にひなたが植え、希少属性である緑属性を持つハンターが植物魔術で生長させた結果の産物である、およそ自然に相容れることなどありえない紅葉と桜。


 十一層ダンジョン街第二街区には、住宅やら工房やらよりも先に、温泉施設が完成していた。


:あの

:俺たちこれ、マジでいいのか?

:黙れよ

:音だけだから!音だけだからセーフです!

:ちょっと同接多いの草


「うへー……至福ですねぇ…………」


 タオルを頭に乗せ、だらんと力を抜いたふわりが溢す。いつもは淡い緑の髪にたくさんついているヘアピンが無いから、ちょっとだけ情報量が少ない。

 その隣でひなたは一口お酒を飲んでいた。

 私はと言えば、そんなひなたに抱えられ、とても心地よい柔らかさに身をゆだねていた。


「にしてもやっぱりシアちゃんの髪、長いわね」

「ずっと伸ばしてるから」

「そこまで長いと大変じゃない? ドライヤーとか、髪洗ったりだとか」

「ドライヤーは魔導具頼り。髪洗うのは大変」

「いつでもボブの人間からすると考えたくないですねぇ」


 縁にタオルを敷き頭を預けていたふわりが首から上を起こし、頭上にまとめられた私の髪を見ながらぼやく。

 実際割と大変。冬弥が長い髪を好きと言っていなければ、きっと私はショートカットだっただろう自信がある。


 ちょっと身長が低いために水面が近い。ひなたにもたれていることもあって、ちょっと顎にお湯が当たっている。もうちょっと沈み込めば顔が埋まりそうだ。

 だいぶ無理やりまとめたせいで崩れかけのソフトクリームみたいになっている私の髪も、ちょっと油断したらお湯の中に広がってしまうかもしれない。

 もしそうなったらしらたきみたいになるのだろうか。


 とぼんやりと回らない頭でくだらないことを考えていた私の頭に、何かが乗せられた。

 多分鴨である。人の頭で遊ぶとは失礼な人だなんて思ったけど、気持ちのいい温泉に浸かっているからかそんな感情は消し飛んでいった。

 陸地を全て温泉に沈めれば世界平和が実現するのかもしれない。

 いやそんなことしたら人類は滅亡する。やはり頭が回らない。


「お? あれれー!? センパイじゃないですか!」

「げ」


 シャワーを浴び終わった人が浴槽まで来たと思ったらうるさい奴が来た。

 いつも装備しているガントレットが無い分、かなり腕が細く見える。というかイルの場合は、普段装備している武装が過剰なくらいゴテゴテしているだけなのだが。

 特に腕回り。色んな機構が詰まった武器のため、それだけで嵩張るみたい。


「あら、イルちゃんじゃない。ヌル攻略戦以来かしら?」

「ひなたセンパイにふわりセンパイまで! もしかしてしばらく滞在するおつもりで!?」

「ええ。休憩ついでに、ね」

「パーティ組んで十一層で活動してるんですよ。イルちゃんも一緒に組みます?」


 お湯の中へと入り、ひなたの横に腰を下ろしたイルにふわりが声をかける。

 そんな提案に、イルは少々残念な気持ちをにじませる顔を作った。


「あー……私、明日仕事が。フリーじゃなくなったので」

「確かイルちゃん、迷安の特捜部に入ったのよね?」

「はい! 夢だった迷安所属ハンター、それも新設のエリート部隊のさらに最精鋭になれたのはまあ、すごく嬉しいんですが……」

「忙しそうですもんねぇ」


 ふわりの言葉に、にへらとイルは笑う。普段あまり見せることのない、バカでアホっぽそうな顔ではなく、ちょっと憂いを滲ませる表情だ。

 紅葉の葉が私たち四人の目の前にひらひらと落ちてくる。

 できた小さな波紋は、浴槽の淵まで届いて解けた。


「皆さんとフィールドに出たりできればいいんですけど」

「まあ、厳しいわよね」

「ん。今の迷安特捜部は任務中。とはいえ休暇は取れると思うんだけど」

「今月分はもう使い切りました!」


 呆れた視線が三つ分イルに突き刺さる。先ほどまで休みたくても休めないみたいな雰囲気を出してしんみりしていたのに騙されていたが、そういえばこいつ『イベントが来てるんです! ゲームは仕事よりも重いんです!』とか言ってVRMMOやっていた気がする。

 やはりバカでアホかもしれない。当の本人は冷たい視線を投げられてぽかんとしている。


:自業自得じゃねえか

:あほの子なのでは?


 頭の上に乗っていた鴨をイルがつまんで取る。

 おもむろに真上に投げたそれは、空中で数回転してから着水。ひっくり返った姿で水面をぷかぷかと揺蕩い始める。

 ぽちゃんと音を立てたそれは、ゆらゆらと逆向いた体を揺らしている。


 体の前に抱えていたドローンカメラを、なんとなく体に寄せてみた。


:あの……!

:えなになに何が起きてんの

:急にドクンドクン言い始めたんだけど


 良い感じの大きさでしかも丸いため、凄く抱えやすい。

 ステッカーも水で剥がれるようなものでもないし、ドローンカメラ自体も完全防水のため、安心安全。故障の心配はいらない。

 ぎゅっとしてみれば、ずっと温泉につかっていた機体はあったまっていたらしく、触れる肌に熱を感じた。


「で、シアちゃんはいつになったら私の身体から降りてくれるのかしら?」

「んー。上がるまで?」


 顔だけ振り返りつつひなたにそう返せば、脇の下に手を差し込まれてひょいと横に下ろされてしまった。

 柔らかかった椅子がなくなった。ひなたと比べると浴槽の床はとても固い。

 というか、高さがなくなったせいでちょっと背筋を伸ばさないと顔が水面に埋まってしまう。


 姿勢を正している私の目の中に、並んで温泉に浸かるみんなの姿。

 ひなたの赤い髪、イルの金の髪、ふわりの緑の髪。


「信号機」

「……ぷふっ! あはは!」

「まあ確かに、信号機カラーね」


 イルが真ん中なので、余計に信号機に見えて仕方がない。

 流れてきた鴨の身体を正しながら、そんなくだらないことが頭をよぎる。

 切実に、くだらないことばかり考えられる街にしていきたいとそう思う。ここが誰かの居場所に、帰る場所になればいいなとも。


 自然と、空に視線が吸い寄せられた。

 この街はまだ明かりが少ない。住宅はないしお店もない。あるのは街の運営に必要な最低限の施設のみ。

 だから、夜空に星が映える。


 いつしか、星空が見えないくらいに活気のある街に発展していけばいいな。

 寂しいけれど、星が見えないっていうのはきっと、人の営みの証だから。

 なんて、ぼんやりとした頭でぼんやりと考えた。


「さて、そろそろのぼせちゃうかも。私は先に上がるわね」

「私も、随分長く入ってたので。また明日、現場で会いましょう!」

「ん……おつかれー」

「お疲れさまです!」


 ざばっと音がして、ひなたとふわりが立ち上がる。

 やっぱりこの二人が並ぶとサイズ感が際立つ。ひなたが色々大きくて、ふわりが色々小さい。絶対本人たちの前では言えないが。

 そんな二人の肌を、お湯が滴り落ちていく。浴場の床にぽたぽたと雫を落としながら、ふたりは脱衣所まで歩いていく。


 石でできている浴槽の淵に首を預ける。タオルに頭を乗せる。

 自然、上を向いた視界に映りこむのは雅な紅葉と桜に、双子月。


 ゆらゆらと落ちた桜の花びらを追いかけた目の先では、鴨がまたひっくり返っていた。

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