第2話 雌伏两日、魚玄機が立つ!

 白髪の白居易は李白の肩に手を置き、なだめた。

「太白、私の父や祖父とて地方の役人で、言うほどの名家ではない。安史の乱以降、科挙の制度改革があって、名門でなくても受験できたからだ」

 李白はまだむくれていた。

「それじゃ、安史の乱も悪いことばかりじゃなかったってことかい」

「陰陽と同じで、物事には両面があるということだ」

 白居易ははぐらかした。彼はある意味人転がしが上手い。

「さて、この辺で一杯やろうじゃないか。杜牧も酒が欲しい時分だ」と注文用タブレットの電源を入れた。ピポッと軽やかな音がする。

 その音で杜牧は目を覚ました。

「私はどれくらい寝てた?」

李牧はとにかく良く眠る男だった。そしていびきが酷い。李白の怒りの一因でもある。

「俺はこいつのいびきで寝不足だっ!」

杜甫がまぁまぁとその場を収めた。

「熱いおしぼりも大量に注文しましたから、このさい頭から足まできれいに拭ってさっぱりしましょう。それから迎え酒です」


 突然、玲瓏たる女の声がした。

「お止めなさい、この酔っ払いども! 大量のおしぼり? いったい誰がこの2日間、給仕からゲロの始末までしたと思ってるの。ホントにだらしのない男どもね!」


 王維、李白、杜甫、白居易、寝起きの杜牧、半覚醒の李商隠の視線が部屋の奥に集まる。そこには下僕とばかり思っていた少年がいた。が、よくよく見ると男装の麗人ではないか。知性を湛えた瞳は、同時に燃えるような情念をも宿して黒く光っていた。名の通り、玄武の黒さである。

「私は魚玄機ぎょげんき。あなた方は知らなくて当たり前、私の生まれは杜牧殿や李商隠殿より後でしたから。いいえ、生まれの後先ではない。私が花街の生まれゆえに。すなわち裨史はいし(世間話などを歴史風に書いたもの。転じて、小説)の存在ですから。

でも! 吟じて満点を取るなら出来ますわ。李商隠殿、マイクを!」


 風流男児として名を馳せた若き頃の李商隠なら、ここは妓楼通いで鍛えた流れるような所作でマイクを手渡すところだが、なぜか「大唐が滅びる」と言って凍りついていた。

 魚玄機は「ほほほ、大唐ならとっくに滅びてますわ」と妖艶な笑みを浮かべるや、卓上のタブレットに指を滑らした。指は「春夜宴桃李園序」と入力していた。

 李白が叫ぶ「おい、俺の文章を詠うのか。これ反則じゃないの?」

 かまわず魚玄機は大きく体を伸ばした。


 カラオケルームに朗々と響きわたる男とも女とも言えない不思議な聲。大胆につけられた抑揚はまるで流麗な舞いのようであり、かつ、五臓六腑に染みわたる強さがあった。


 夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客

  (それ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり)  

 而浮生若夢、為歓幾何

  (しかし、浮生は夢のごとし、歓を為すこと幾何(いくばく)ぞ)

 古人秉燭夜遊、良有以也

  (古人燭を秉りて夜遊ぶ、まさに以(ゆえ)有るなり)

 況陽春召我以煙景、大塊仮我以文章

  (まして陽春我を召くに煙景を以てし、大塊の我に仮すに文章を以てするをや)


 男たちは悠久の風景の中にあった。まるで幻燈のようなキラキラした時の粒が瞬時に彼らのそばを駆け抜けていった。

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