第33話 ロリコン絵師をぶっ倒せ!!

 事務所の蛍光灯が微かに唸る中、絢瀬は無感情に、だが確信をもって言い放った。


「この絵師はな、自分のファンの未成年と次々に連絡を取り、関係を持ってるクズなんだよ」


 沈黙。空気が凍りついた。


 次の瞬間、絢瀬はポケットからタバコを取り出し、口に咥えると、ライターの火を吸い込んだ。

 紫煙がゆるやかに天井へ昇っていった。


「二次元だけじゃ、その性欲が収まらず、現実で犯罪に手を染めた野郎だ。その隙を──俺らは叩く」


「気持ち悪……」

と、あんこが声を漏らした。


 絵師に対する怒りとも困惑ともつかない表情のまま、彼女は絢瀬を見つめていた。そして口を開いた。


「それなら、早くそのことを警察に話して、捕まえてもらいましょうよ。そいつが本当に犯罪者なら──」


 しかし、絢瀬はぷはっと煙を吐き出すと、呆れたように笑った。


「いやいやいや、あんこ、お前はまだあまちゃんだぜ」


 片手で頭をかき、もう片方の手を腰に当てながら、やれやれと肩をすくめた。


「ただ通報しただけじゃな、警察の腰は重いし、証拠も足りないってんで握りつぶされちまう可能性もある。

 第一、それだけじゃ“社会的制裁”には足りねえんだよ」


 そう言いながら、絢瀬はゆっくりと立ち上がった。

 そして、机をぐるりと回って、あんこと園田の前へと出た。


「がっつり潜入して、証拠写真掴んで、週刊誌にぶちまけてから──その上で、逮捕」


 低く響くその声には、明確な悪意と、戦略家の冷徹さが宿っていた。


「そこまでやらないと、アクアどころか、絵師すら数年したら“何もなかったように”復活しちまう」


 その現実を、あんこもわかっていた。

 芸能界もV界も、“忘れる”のが早すぎる、そう思っていた。


 そして、皆が納得したところで、絢瀬が指をパチンと鳴らした。


 そうすると、奥のドアが音もなく開き、一人の男が現れた。

 無造作に伸びた髪に、くたびれたシャツ。

 だが、手に抱えた機材は明らかに本物だった。


「紹介しよう。こいつは俺らと繋がってる週刊誌のカメラマンだ」


 男はうなずくと、カメラケースを机の上に置き、軽く会釈した。


 それを横目に見ながら、絢瀬は次に、シャチ女のもとへと歩いていった。


「いま、その絵師は釣られてる最中だ。

 リプで食いついてる。だから──シャチ、お前がホテルまで連れ込め」


「了解しました」


 シャチ女は無駄のない動作で敬礼をした。


 人格矯正プログラムで生まれ変わった彼女の瞳には、かつての狂気とは別種の冷たい忠誠が宿っていた。


 絢瀬は頷き、最後にあんこと園田を指さした。


「そして──その現場を、俺らで制圧だ」


 一瞬、沈黙が流れた。

 だが、それは決意の前の呼吸だった。


「──了解」


 あんこがそう言い、園田も無言で頷いていた。


 作戦は静かに、だが確実に始動した。



 それから数日して──


「指定されたのは、会員制の飲食店“Nouvelle Lune”。銀座の裏手、表向きは完全紹介制。

 ……まったく、いやらしい趣味してんな」


 そう言って絢瀬は苦い顔をして資料をテーブルに広げた。

 そこには、店の外観写真と内部の構造、および裏口の位置情報が記載されたデータがまとめられていた。


「こういう店は、客の顔を覚えてやがる。下手に偽の会員カードで潜入なんてすりゃ、秒でバレる」


 煙草を咥えながら、絢瀬はシャチ女に向かってバッジ型の小型機器を差し出した。


「これ、GPSつきのバッジだ。

 お前の衣装に自然に馴染むように加工してある。

 ……俺らはそれで追う。上手くやって、誘い込めよ」


 シャチ女はバッジを受け取り、黙って首を縦に振った。


「了解しました」


 彼女が応えると同時に、作戦は静かに動き出した。


 そして、さらに数日後、銀座──


 私たちはその“Nouvelle Lune”から徒歩で五分ほど離れた、目立たない裏通りのワンボックス車の中に身を潜めていた。

 車内には複数のモニターが並び、店内の監視カメラ映像が映し出されていた。


 ──もちろん、正規の映像ではなかった。

 店のシステムはすでにこちらがハッキング済みだった。


「ん……まだ来てないな、まおうのやつ……」


 あんこは画面に目を凝らしながら、手元のキーボードを打っていた。

 店内のカメラは死角が少なく、VIP個室以外のほぼ全域をカバーしていた。

 問題は、個室内に入られた時にどう察知するか──だった。


 その時、バタンと助手席のドアが開いた。


「すいません、前の取材が長引いて……」


 息を切らしながら入ってきたのは、先ほど紹介された週刊誌の記者だった。

 目の下にクマをつくり、シャツの裾を慌てて整えながら、モニターの映像に目をやった。


 絢瀬はその姿を見て、ふぅと煙を吐き出した。


「なにやってんすか……こっちは命かけてんですよ?」


 軽く笑うような口調。だがその目は、まったく笑っていなかった。


「あ、あぁ……すいません、すぐ準備します」


 記者は冷や汗をかきながら機材のバッグを開けた。


 その一連のやりとりの中、絢瀬はさりげなく後部座席の園田へと視線を送った。


 ……目配せ。無言の合図。


 園田は短くうなずいた。


 あんこはそのやりとりに気づくことなく、なおも監視モニターに目を走らせ続けていた。


「……あ、来た」


 あんこが呟いた先、カメラの中に、例の絵師、“まおう”が現れた。

 見るからに気取りきったオーラと、ブランドで固めた服装。そして、その背後には、控えめに笑うシャチ女の姿。


 作戦は、順調に始まっていた──少なくとも、その時までは。

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