第32話 闇の恐ろし人格矯正プログラム!?

 暗殺事務所。

 闇色の壁と無機質な蛍光灯が灯る作戦室。

 その重たい扉がギィ……と開き、あんこと園田は静かに足を踏み入れた。


「……ん?」


 そこに先にいたのは、一人の見知らぬ女。

 スラリと背が高く、ストレートの黒髪を丁寧に結い、制服のようなスーツに身を包んだその姿は、清楚で控えめな印象すらあった。


 女は二人を見ると、すっと立ち上がり、丁寧に頭を下げた。


「よろしくお願いします。先輩方」


「……え?」


「誰……?」


 あんこと園田は同時に声を上げた。その瞬間、目が慣れてきた二人の視界に、その顔のパーツがはっきりと映った。


「ま、ま、ま、まさか……」


「そ、そんな……」


 そして、次の瞬間。


「変わりすぎでしょ!!」


 あんこが思わず叫んだ。


 そう、そこに立っていたのは、かつて“シャチ女”と呼ばれたあの狂犬──かつて、あんこと絢瀬の命を狙い、バイクの上から容赦なく3発連続でランチャーを乱射してきた、元しろさぎ高校伝説の殺し屋だった。

 暴力的で、会話も成り立たないような危険人物。

 あの“シャチ”が、今ここで、まるで別人のように礼儀正しく頭を下げていたのだ。


「よくぞ気づいた」


 その声とともに、別室の扉が開き、現れたのは、スーツ姿の絢瀬社長だった。

 背筋を伸ばし、眼光鋭く、それでいてどこか飄々としていた。


「俺らが開発した人格矯正プログラムで、生まれ変わらせた。」


 誇らしげにそう言って、顎をしゃくった。


「え……ええ……?」


「まさか、あのシャチ女が……?」


 あんこと園田は顔を見合わせ、ただただ唖然とした。


「あのプログラムはな、本来は捕らえた敵性人物から情報を聞き出した後で、従順な戦闘員に仕立て直すために使うんだ。

 まぁ拷問の類もつきもんだがな」


 あんこはぞっとした。


 (やっぱり拷問とか普通にあるんだ……。知りたくなかった……)


「だが、こいつには情操教育の一環として使ってみた。

 2ヶ月はかかったが、ようやく完成したぞ。なぁ? シャチよ」


「大変、ご迷惑をおかけしました」


 そう言って、シャチ女──いや、もはや別人のようなその女は、再び深々と頭を下げた。

 声に刺もない。乱暴な口調も、肩の力みもない。ただ、従順で、静かな眼差し。


 そんなシャチ女をみて引いているあんこたちのことはお構い無く、絢瀬は満足げにうなずき、そして、時計に目をやった。


「──さて、そんな雑談をしてる場合じゃなかったな。こっからが本題だ」


 一気に空気が変わった。


 椅子の背に寄りかかりながら、絢瀬の瞳が鋭く光った。


 作戦室の照明がわずかに揺らいだ。

 その薄明の中、絢瀬は無言で一枚の写真をテーブルの中央に滑らせた。


「おまえたちも、もう話は聞いてると思うが──今回、ターゲットはこいつだ。南海アクアだ」


 写真に写っていたのは、ファンの前では一切見せることのなかった、彼女の“中の人”だった。

 地味な私服に、無表情な目。けれど、あの声、あの表情がこの人物から生まれていたのだと思うと、不思議な不快感がこみあげてきた。


「……やっぱりね」


 あんこは心の中でつぶやいた。

 予想はしていた。あれだけ派手に転生して、人気をさらっていったのだ。

 この暗殺組織が動かぬわけがない、そう思った。


 絢瀬は続けた。


「ただな、当然だけど……こいつの“中身”をただ殺ってしまったら、どんなにうまく工作しようと、"ニジライブが邪魔になって消した"って言われるのがオチだ。炎上は避けられん」


 その場にいたあんこ、園田、そして再教育済みの“シャチ女”も小さくうなずいた。


「それじゃあ、どうするのよ?」

と園田が問いただした。


 絢瀬はふっと笑い、さらに一枚、冴えない雰囲気の男の写真を机に置いた。


「ああ、そこで狙うのがこっちだ。南海アクア──そして、“夕陽咲”か。

 そのVモデルを作った絵師だよ」


 男は、いかにも地味で、影の薄そうな存在だった。

 だが、その眼差しにはどこか妙な執念が宿っているようにも見えた。


「え、え、え、なんで絵師さんを……?」

とあんこは呟いた。


 絢瀬は口の端を吊り上げ、下卑た笑みを浮かべた。


「こいつはな、訳ありなんだよ。

 今回は“殺し”じゃねぇ。

 この絵師とアクアを“死ぬより辛い、生き地獄”ってやつに叩き落としてやる。」


その言葉に、作戦室の空気が冷たく締まった。


 あんこはその一瞬、絢瀬のその笑みにゾクリとした。

 底知れぬ闇が滲んでいた。

 けれど──一方で、確かにムカついていた。

 あれだけ綺麗に“引退”して、同情と涙を集めて、ほんの数カ月後に笑顔で“転生”。

 しかも、前よりも注目を集めている、気に食わなかった。


 あんこは心の奥底で、静かに、その“報い”を望んでいた。


 (……いいわ。やってやろうじゃない)


 内心のワクワクを押し隠しながら、あんこは視線を絢瀬に戻した。

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