『ありがたや霊水』のご利用について
黒澤 主計
前編:これは、私の『責任』……なのか?
私は、世界を救うために存在している。
それが、特別な人間たる私の使命。
「先生、今日もとってもありがたいです!」
信者が惚れ惚れと私を見る。「うむ!」と堂々と胸を張った。
「このありがたい霊水のおかげで、妻と二人でとっても元気です」
ペットボトルの水を手に、彼はとても満足そうにする。
喜んでもらえて何よりだ。
どうも、お買い上げありがとう。
『ありがたや霊水』
それが、私の自慢の商品の名前。
「はああっ!」と意識を集中し、私はペットボトルの水に『念』を送る。
私の名前は
もちろん、私はインチキなどではない。幼い頃から『霊』の姿を見ることが出来、自分自身も『オーラ』を発することにより、水などにパワーを送り込むことが出来た。
初めは小さな健康サークルに過ぎなかったが、私の霊力が本物であるために、少しずつだが勢力を拡大できている。
現在、教団の信者は二百名ほど。毎週の日曜日に集会を行い、信者たちは私の『ありがたい話』を聞いた後、それを世に知らしめるべく各家庭を訪問して回っている。
ちなみに、『ありがたや霊水』の値段は一本二千円。ペットボトル入りで五〇〇ml。もともとは市販の天然水を使っているため、原材料費は二百円。実に良心的な価格だ。
「今日も一つ、世の中を幸せにしてみせる」
口元の髭を指先でつまみ、私はそっと微笑んだ。
「先生、大変です!」
広報担当が、勢いよく扉を開けた。
「なんだね? 騒々しい」
三十そこそこの、まだ若い男。やり手ではあるが、どうもテンションが高いのが玉に瑕。
今も私は、『ありがたや霊水』を製造しようとペットボトルの天然水にパワーを送り込んでいる。これを飲めば病も治り、長寿が期待できるという優れ物だ。
「実は、厄介な問題が発生しまして」
こめかみの汗をハンカチで拭い、彼が状況を報告する。
「先生の霊水を使い、『イタズラ』をした者が現れたようなんです」
問題の人物の名は、ヨシオ少年。
「先生。本当に、ウチの子がとんでもないことを」
彼の両親は、二人とも熱心な信者だった。父親は五十近い白髪の男性。妻は四十手前の痩せた女性だった。
彼らは信心深く、月に何本も霊水を購入してくれている。日曜には子供と三人で近隣の家庭を訪問していると嬉しそうに報告していたものだった。
「とてもありがたいお水なのに、こんなイタズラなんかして」
言って、隣の息子に頭を下げさせる。
ヨシオ少年。くりくりっと大きな目をした、利発そうな顔の子供。
「で、一体何をやったというのかね?」
広報と目配せをしつつ、少年の両親に問いかける。
「それが」と二人は言葉を濁す。
「実験、したんです」
沈黙していた少年が、はきはきと証言をする。
「教祖様の霊水にどんなパワーがあるのか、色々と試してみたんです」
最初の実験は、沼だった。
「ほら、『水辺には幽霊が出やすい』って話があるじゃないですか。幽霊は『水』とか湿気が大好きで、じめじめしたところに現れやすいって。じゃあ、そこに霊水を撒いたらどうなるんだろうって、試してみたくなったんです」
ヨシオ少年の案内を受け、私たちは森の中へと入る。
じめっとした腐葉土の地面を踏み進み、小さな沼のあるところに出る。
「おおう」とついつい声が漏れた。
「幽霊が出るって噂の場所だったから。沼に教祖様の霊水を足してみたんです」
言って、少年は沼の方を指差す。
沼の中心部辺りに、半透明の老人の霊が見えていた。全身を水に浸からせて、首から上だけを覗かせている。
その他にも、若い女の霊やら子供の霊やらが付近をさまよう形になっていた。
「霊水を混ぜてから、前よりもずっと『幽霊の気配』が濃くなったみたいで」
ものの見事に、『心霊スポット』になっていた。
「ふん! はぁ!」
かなり、疲れた。
気合いを込め、霊気を放出。どうにか、沼に集まった幽霊たちは浄化できた。
「まったく」と肩を落としながら少年を見る。
子供の好奇心は厄介だ。まさか、私のありがたい霊水で幽霊を呼んでしまうとは。
「とりあえず、これは飲み物だからね。こういう感じの使い方は……」
「あ、まだ終わりじゃないです」
しれっと、少年は私の言葉を遮る。
「すみません」と彼の両親は頭を下げていた。
まさか、近所にこんな場所が出来ていたとは。
空は暗雲が立ち込めている。校舎に近づくと、全体からねっとりと澱んだ霊気が押し寄せてきた。
「普通の場所に霊水を足したらどうなるのかなって、また実験したくなっちゃって」
ヨシオ少年は照れたように笑う。
「で、今度は何を」
禍々しい校舎を眺め、私は一応確認を取る。
「学校のトイレです。そこの個室のシンクの中に、霊水を混ぜたんです」
軽く頭をかきながら、ヨシオ少年は白状する。
「そしたら、『トイレの花子さん』が出てきちゃいました」
おかっぱ頭の少女がいた。
トイレの個室のドアを開けると、ぼんやりと私を見つめ返してくる。
「ふん! はぁ!」
今回も気合いを込め、すぐさま浄化。
「先生、良かったです。この学校、少し前から噂になってて。トイレに入ると不気味な笑い声が聞こえてくるとか。あと、ドアが開かなくなって閉じ込められたとか」
広報が耳打ちし、私はうんざりと溜め息をつく。
言わずもがなだが、普通の人間には霊は見えない。私以外の人間には、漠然と嫌な気配が感じ取れるくらいにしかならない。
まったく、と私はヨシオ少年を見る。
だが、まだ終わったと感じられない。学校に溢れる瘴気は、まだまだ薄まる気配がない。
「実は、他のところでも色々やっちゃって」
親は一体、何を見ていたのか。
たしかにあの家は、大量の霊水を買い込んでいた。だが、『二千円』は一般家庭にとってそれなりの大金なんじゃないのか。霊水としては格安だけど、多少は贅沢な品だろう。
もうちょっと、しっかり管理しておきなさい。
「プールに混ぜたらどうなるのかな、と思って。そしたら、水面から白い手が出てきて」
私はそっと拳を見る。
「先生。泳いでいる生徒が何かに足を引っ張られたとか。そんな報告が出ています」
広報の言葉を聞き、私は念を集中した。
これは、出張費を取った方がいいんじゃないのか。
霊能者が除霊するのって、相場は何十万円かするんじゃないのか。それなのに、なんで私はこんなに無料でやっているんだろう。
「どうでしょう。やっぱり元は、先生の霊水が原因ですし」
そうなの? これ、私のせいなの?
「花壇のお花に霊水をあげたらどうなのかなって。そうしたら土から腕が」
ヨシオ少年が、私を花壇に引っ張っていく。
「絵の具を使う時、霊水で筆を洗ったらどうなるかなって」
教室に案内される。似顔絵の目がぎょろぎょろと動いていた。
「あと、水道局の見学に行った時、こっそり施設の水に混ぜてきたんです。そっちの方でも幽霊がいっぱい出てきたみたいで」
そこは遠いので放っておこう。
ごめんね、水道局の人。
除霊の方は、あらかた終わった。
学校を取り巻いていた瘴気は、どうにか除去できたと感じられる。
「ですが、これは結構まずいですね」
広報がこっそり耳打ちをする。
たしかに、これは良くない状況だ。
学校の問題は解決できた。以後は怪事が起こることはない。
けれど、厄介なのはそこから先だ。
「これ、本当に口に入れて大丈夫なものだったんですか?」
日曜の集会が、こんなにきつい時間になるなんて。
信者たち。あんなに私を尊敬していたのに。なんだか今日は、会見に現れた記者たちみたいになっている。
「霊水を撒いたら悪い霊が寄って来たって話、本当なんですか? これは、そんな危険な代物だったのでしょうか?」
ほとんど野次みたいな口調で、演壇の私に問いかける。
どうしよう、と広報へいったん目配せをした。
「現在、調査中です」
口にできるのは、それだけだった。
「やはり、『使用上の注意』を書かなかったのがまずかったですね」
会見の後、広報がそう呟いていた。
そういう類のものだったのか? 霊水とは、そういう代物だったか?
普通は飲むよね。それ以外の用途で、そもそも買おうとしないよね。
なんで変な使い方されたことで、私が責められなきゃならないの?
「トイレの便器に流したら、『赤いちゃんちゃんこ着せましょか』って声が聞こえてきて」
以後も、おかしな報告が上がってきた。
どこかの水場に『霊水』を足すと、なんらかの霊現象が起こるらしい。
次第に噂が広まって、『おかしな実験』をする奴が増えてきた。
おかげでまた、いらぬ出張をさせられることに。
私にも理屈はわからない。とりあえず、水のあるところに霊が集まりやすい。そこにパワーを持った水を足すことで、そういう効果が強まるのだろうと思っている。
でも、これはいくらなんでも酷いだろう。
「霊水を混ぜて食パンを作ったら、エルヴィス・プレスリーの顔が浮かんだそうです」
へえ、それは凄いね。
「霊水でお皿を洗ったら、『一枚、二枚』と誰かが唱える声が聞こえたとか」
何百年、この世をさまよっているのか。
「和式便器に流してみたら、詰まってしまったそうです」
もはや霊現象ですら。
再び、憂鬱な時間がやってきた。
「先生。やっぱり霊水は危険なものなんですか? 今まで買ったものですが、怖くて飲むことができません!」
お前ら、本当に信者なのか。私を尊敬してるんじゃなかったのか。
もっと盲目的に、教祖って崇められるものじゃなかったのか。
だが、どう説明すればいいだろう。霊水は飲む分には危険はない。本来の用途なら、今まで問題は報告されなかった。
「先生、飲んでも健康にならなかった人もいるようですが」
追い打ちのように、そんなことまで言われてしまう。
本来の用途でも、パワーが疑われ始めている。
こんな時、どう言ったらいいだろう。
「効果には、個人差があります」
口にできるのは、それだけだった。
もう、これ以上いじめないで。
私は何も悪くない。霊水には本当にパワーがあって、飲めば健康になれるのに。お金だって、そんなに取ってるわけじゃないのに。
その後もあちこちから、おかしな実験報告が入ってくる。霊水をどんな形で利用すれば、どんな霊現象が起こるのか。『洗面器に満たした状態で午前零時に覗きこんだ』とか、『犬を洗ってみた』とか。
「先生、大変です!」
また大慌てで、広報が私の部屋に入ってくる。
今度はなんだ、と舌打ちしながら振り返る。
「霊水にメン○スを入れたら、爆発したそうです!」
クソが!
さすがにそれは嘘だろう。
ユーチューブの動画上で、『実験してみた』とタイトルが出ている。私の『ありがたや霊水』にメ○トスを入れたところ、大爆発を起こしたという。
「これはきっとフェイク動画だ。さすがにこれはクレームだな」
コーラじゃないんだから、メ○トスで爆発なんかしてたまるか。
「撮影しなさい。今ここで、メ○トスを入れてみるから」
ペットボトルの蓋を開け、私は真っ白なメ○トスを投下した。
集会の前にやるんじゃなかった。
おかげで、部屋の雑巾がけをする余裕もない。
どうにか着替えは済ませたものの、髪はぐしょぐしょのままで演台に立つ。
「先生! あの霊水を特定の食品と合わせると爆発するという話でしたが、本当の本当に安全なものだったんですか?」
うまく説明する言葉が見つからない。体内に入ったら、まずはエネルギーが全身を巡る。だから水自体は普通の状態に戻るはず。
そう思いたいのだけれど、だんだん自信がなくなってきた。
「まことに、遺憾です」
口にできるのは、それだけだった。
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