記憶

 読子と石上の計画では、由紀子が明美に接触したタイミングで、すでに屋上に到着しているはずだった。

 

 でも、読子が普段通りの校舎を急ぎ足ですすんでいると、いつのまにか、全く意図しない場所に立っていた。

 学校で迷子?……そんな事、あるわけが……と、読子は一瞬混乱する。

 

 でも、読子は次の瞬間、明美に憑依した「忌み物」の妨害にあっていることに気がついた。

 どうやら、学校の瘴気を操作し、校舎を迷宮化しているらしい。

 読子は力を使って、周囲の瘴気を薄め始めた。周囲の瘴気を薄めると、濃い霧が晴れる様にかろうじて正しい道筋が見えてくる。でも、読子が少し進むと、また行手がぼやけ、中々思う様に進めない。

 

 読子たちが関わっていることが、「忌み物」に露見してしまっているのかもしれないと……読子は思った。

 計画の前提が崩れた事を石上に知らせようとスマホを取り出す。しかし、スマホは圏外を示しているし、メッセージも文字化けで、まともに文章が読めなかった。

 

 仕方なく、地道に読子は足を進める。空間も時間も捻じ曲がり、大した距離ではないはずの校舎の中を右往左往する。

 次第に、読子は焦燥感に駆られる。先ほどから、建物の上の方から深淵のプレッシャーがひどくなっていく。

 由紀子の身に危険が迫っていると感じた読子は、鼓動が早くなる。急がなければ、由紀子までもが闇に取り込まれてしまう。そう思って、何とかたどり着こうと必死で校舎を進むが、瘴気は濃く、中々正しい道を見つけられなかった。

 

 刹那、ポケットから神楽鈴の音が鳴った気がした。


 暖かな気配を感じて、読子はポケットのスマホを取り出す。機械全体が、ほんのり発光しているようにも見えた。急いでスマホを耳に当てる。

 

「石上さん!」

 

「すまない。気がつくのに時間がかかった。妨害されているのかい?」

 

「校舎の中が迷路みたいになっていて進めないんです!

 少しずつ解除しながら進んでいますが、すぐに修復されてしまって中々辿り着けません。このままだと由紀子さんがっ……!」

 

「落ちついて。奴らは僕らの横槍に気が付いているみたいだけど、直接的な攻撃をしてきてるわけじゃない。

 その迷宮は多分、『万人向けのトラップ』だよ。僕が外から正しい道を示すから、僕の力を辿ってくれ。きっと辿り着ける。」


 その言葉を聞いた瞬間、読子の進む先に、光の糸の様な物がふわりと浮かんだ。頼りなさげなその糸は、廊下の奥の方に向かって続いていた。


「……見えました!ありがとうございます。急ぎます!」


「気をつけろよ。僕の方も、自分なりに加勢する。」


「お願いします!」

 読子は石上の言葉を聞くと、駆け足で光の糸を辿った。

 

 ……息を切らしながら階段を駆け上がると、見慣れた屋上の扉が見えた。

 でも、ドアの隙間から闇が溢れ始めている。それは薄気味の悪い気配を漂わせながら、鎌首を燻らせる様に来る者を拒んでいた。

 

 由紀子が危ない……と感じた読子は、構わず屋上のドアに駆け寄ると、明美がやっていた様にドアノブを回す。

 焦りに任せて乱暴に何度かドアノブをまわした瞬間、扉が勢いよく開き、屋上に躍り出た。


 闇に囚われた由紀子と、闇を纏った明美の姿が目に入る。

 説得している時間はないと判断した読子は、意識を脳裏に集中させると、自身の能力、「わたどの」を一気に展開した。


 ………………………………


 わたどの……。それは「忌み物」が人に押し付けた力。

 

 廊は本来、人の中に「忌み物」が植え付けた自分たちのための回廊だ。

 深淵たる常世と、人間が暮らす現世を繋ぐ、うす昏い精神世界の回廊。

 それを管理する定めを「押し付けられた」のが読子の家系、比良坂ひらさか家の血筋であった。

 わずかばかりの対価だが、その代償として読子は「廊」を制御できる。

 

 そして、それを逆手に取ることで、「忌み物」に囚われた魂を現世に引き戻す。比良坂家は代々、その役目を担ってきた。


 闇をもって、闇から人を救う。

 それが、比良坂 読子ひらさか よみこの、力の正体だった。


 ………………………………


 おそらく……由紀子や明美の目には、読子の体から、黒い闇が無数の蛇の様に溢れ出した様に見えただろう。

 

 でも、読子にとっては、能力の根幹が「回廊」である、という概念がある。

 そのため、読子の主観では、力を展開すると、自分の中から、長くうす昏い回廊が滑り出てくる様に感じられた。


 屋上全体が闇の繭に覆われた瞬間、読子は、ふわりと回廊の床に降り立つ。


 この回廊は、「忌み物」の世界と人間の世界の境界。

 

 回廊の一方、深淵の先には、異界の住人「忌み物」の世界があり、もう一方には、人間の世界、「忌み物」と繋がった宿木やどりぎの精神世界が広がっている。

 

 読子は、宿木のいる方向に視線を向けて、板張りの廊下を歩きだす。

 微かに流れてくる現世からの瘴気の中に、読子は明美の気配を探る。

 そして前方が明るくなったと思った瞬間、読子の目の前に、どこかの部屋で一人遊びをしている幼い少女がいた。


 ………………………………

 

 明美は、自信がなかった。

 姉は小さい頃から気が強く、遊んでいるとしょっちゅう泣かされた。両親は当時、仕事がうまくいっておらず、甘えようとすると怒鳴られ、泣き喚いていても無視された。一生懸命作った両親への感謝のプレゼントは理解してもらえず、姉が友人と遊んでいる時に壊されてしまった。

 明美は涙すら浮かべず、壊れてしまったプレゼントをノリやテープで修復しようとするが、不器用なせいか、どれだけ頑張っても、元に戻す事はできなかった。


 何で、私はお姉ちゃんみたいに、ちゃんとできないんだろう。

 明美は幼心に、自分が周囲の誰よりも劣っているのではないかという、疑念にさいなまれながら暮らしていた。


 小学校に上がっても、中々文字や算数が覚えられず、体の小さかった明美は、運動も他の子についていけなかった。


 お姉ちゃんのお下がりをいつも着ているせいで、他の友達よりも、持っているキャラ商品も古いものが多かった。

 友達との会話も、話題についていけず、自然、姉の後ろについて回ることが多かった。でも、姉は自分たちの遊びに夢中で、あまり明美の相手をしてくれなかった。


 たまに、遊ぼうと誘ってくれる友人もいた。

 でも、鬼ごっこをしても足が遅くてすぐ捕まるし、ゲームをしていても、ルールがよくわからず、負けてばかりで、友人たちはすぐに呆れ顔になり、そのうち声をかけてくれなくなっていった。

 

 そんな寂しさを感じていた時だった。

 

 数日前に越してきた転校生が、明美の持っていたキャラグッズを見て嬉しそうに話しかけてきた。

 そのキャラクターは、年替わりで新しいデザインに代わるため、現行のシリーズにはもう登場していないキャラだった。

 明美がそれを持っていたのは、お姉ちゃんのお下がりを使わされていたからだ。

 でも、キャラデザインがかわいくて、明美はこの古いキャラクターデザインが好きだった。

 だから、転校生が嬉しそうにそのキャラクターへの愛着を話し出した時、明美自身は何となくうれしくなった。

 

 最初は、転校生にどう接していいかわからなかった。普段から、こんな風に好きなアニメのことを友達と話すことなんてなかったから。

 でも、興奮しながらキャラ愛を語る転校生は面白かったし、共感できるところも多かった。熱心に耳を傾けてあげていると、彼女はとても満足そうな顔をしていた。そして、明美の鈍臭さなど気にも止めず、翌日から嬉しそうに声をかけてくれる様になっていった。


 初めてできた、優しい友達。それが由紀子だった。

 由紀子がそばに現れてくれたことで、明美は次第に、自分の世界を作ることを怖がらなくなっていった。

 

 でも、ある日のこと、明美は自分のミスでサッカーの試合に負けてしまい、友達から随分罵られた。

 明美の肩を押して、汚い言葉を投げかける子もいて、明美は今までにないほどの劣等感とショックを受けた。

 

 由紀子は慰めてくれたが、明美はその日、すぐには気持ちの整理がつかなかった。

 下校途中、由紀子の家の前で別れて、一人とぼとぼと家路を歩いていると、心の奥の方で、ひどい言葉を吐いたクラスメイトへの暗い感情が沸々とわいてくるのを感じた。


 息が詰まるような、黒く爛れた感情を感じて俯いていた自分の上に、突然、影が差す。

 明美は足元の影に気が付き、足を止めると、えっ……?と思いながら、目の前にいる人を見上げた。

 

 夕焼けに染まる路地の真ん中に、長い影が立っていた。

 夕日を背中から浴びているから影になって……といった感じではなかった。

 本当に、真っ黒な縦長の穴のような影が、自分を覗き込んでいた。

 

 ぽかんと口を開けたまま、それを見上げる明美。

 不思議と、怖いとか変だといった気持にはならなかった。驚きすぎて、思考が停止していたのかもしれない。

 

 闇が手を伸ばしてくる。闇色にきらめく何かが、明美の眼前に迫る。明美はそれを避けようともせず、ただかすかな戸惑いともに、立ちすくんでいた。

 

「おーい!アッキー!おやつもってきたよー!」


 ハッと気が付いて明美は振り返った。家に帰ったはずの由紀子が、片手に紙袋をもって駆け寄ってくる。どうやら一度家に帰って、お菓子を取ってきたらしい。


「ユッコちゃん。」

 振り向いた明美は、明るい表情になって手を振った。きっと明美を励まそうと、家のお菓子をたっぷりくすねてきたのだろう。

 手を振り終わって、由紀子を待ちながら、あれ?っと明美は首を傾げた。


 ――わたし今、何をしていたっけ?


 思い出せない。誰かと一緒にいた様な気がして振り返ってみる。でも、そこには誰もおらず、ただ、夕陽が電信柱に長い影を引いているだけだった。


 何度も首を傾げながらも、由紀子が明美に追いついて、

「明美の家で一緒に食べよう!」

 と手を取ると、明美も、

「うん!」

 とはしゃいだ声をあげて、二人で走り出した……。


 ………………………………


 読子は楽しげに駆けていく二人の子供を、眩しい想いで眺めていた。


 それにしても……と読子は暗い気持ちになる。

 

わたどの」は宿木の中にある「忌み物」に関連した記憶を辿ることができる。

 そうする事で、宿木と「忌み物」がどう結びついたかを調べ、その根本から宿木の魂を解放する。それが「わたどの」の祓い方だった。


 樋口明美は、こんな幼少期に、すでに「忌み物」と邂逅していたのだ。

 まだ年端もいかない、酸いも甘いもない、あどけない子供にまで、闇は近づいていたのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。

 この時は幸い、運良く避けることができた。でも、随分昔から「忌み物」は明美に目をつけ続けていたのだろう。


 そして結局、闇は明美を籠絡ろうらくして、今に至る。


 読子は力を使い、さらに深く明美の記憶を辿る。

 どこかにあるはずなのだ。

 明美が闇に頼らざるを得なくなったきっかけが。そして、そこに「忌み物」の本体がいる。

 読子が気持ちを集中すると、再び周囲はぼやけて別の場面へとつながる。回廊は滑る様に姿を変えながら、読子を明美の記憶へといざなった。


 ………………………………


 明美の両親の仕事が軌道に乗り始めた。

 両親の機嫌は途端に良くなり、それまでの反動なのか、子供達が望むものを積極的に買い与えてくれる様になった。

 高校入学したばかりの姉がスマホを買ってもらい、家にもタブレット端末やパソコンが置かれる様になった。


 姉は少しヤンチャなところがあって、時々夜遊びを両親に咎められていた。さりとて、遊びを止める様子はなく、両親も、まあ、人様に迷惑がかからないならいいかと、放任気味だった。


 中学生になったばかりの明美にとって、自由気ままに行動する姉の姿は羨ましかった。

 時々尋ねてくる気のいい姉の友達が、明美に様々なサブカルチャーを吹き込んでいく。それらは、時に退廃的であり、時に不道徳であったが、引っ込み思案だった明美にとって、様々な衝撃を与えた。


 その頃の明美は、由紀子のおかげもあって、人見知りは減り、極端な劣等感に悩まされることはなくなっていた。

 成績は決していい方ではなかったし、スポーツは相変わらずダメだったけど、最近、自分の意外な才能に気がついた。


 それは、ダンスの振付をすぐ覚えられる、というものだった。

 

 ちょうど、体育の授業で習い始めたというのもあるし、昔から由紀子とアニメキャラの真似をして踊っていた事もあった。

 そのおかげなのかどうか、とにかく、ちょっと難しい振り付けでも、他の子よりも早く覚えられたし、綺麗に見せるコツも直感的に理解できた。


 友人たちから称賛されたのは生まれて初めて……と言っていいかもしれない。

 割と音感のいい由紀子ですら、明美の飲み込みの速さに、驚きの声をあげた。

 沸々と湧き上がる充足感に、明美は酔いしれた。

 余人から見れば大した事ではなかったかもしれない。でも、長い間、人を見上げることしかできなかった明美にとって、それは大きな変化だった。


 もしかしたら人生が変わるかも……と思い、姉の知り合いが通っているダンス教室を紹介してもらった。

 このまま続けていけば、自分の中の何かが変わると思った。


 でも、現実はうまくいかなかった。

 そのダンス教室は、有名なダンサーを輩出している事もあって、競争心を重視するレッスンをしていた。

 センスがあると言っても、明美は体力がなかったし、小さい頃からやっている子たちに比べれば、基礎力に雲泥の差があった。

 担当になった先生との相性も悪かった。何度か理不尽に怒鳴られたし、レッスンについていけない明美に、周囲は冷淡だった。


 結局長続きせず、明美はダンス教室に通うのをやめてしまった。両親は小言を言ったし、姉は根性なしと鼻で笑った。教室を変えてみたかったが、両親が首を縦に振ることはなかった。

 

 折角、自分の殻から抜け出す機会だと思ったのに、早々にそれに挫折し、明美の鬱々とした日々が戻ってきてしまった。

 昔と違って、笑い合える友達はいる。

 でもこのまま、誰にも、何にもなれずに人生を浪費していく将来の自分を想像して、無表情に鏡を見つめている事が、時々あった。

 鏡を見つめていると、時折、背後から黒い影が抱きしめようとしてくる妄想がよぎる。

 一瞬、気味が悪くなり振り返るが、そこには何もない。疲れた顔の自分にため息をつきながら、明美は顔を洗った。

 

 そんな明美の暗い表情を心配したのか、ある日、由紀子が嬉しそうに「ねえねえ、これどう?」とスマホを差し出してきた。

 

 有名なSNSだった。芸能人、モデル、一般人。色んな人が入り乱れてショート動画をあげている。明美も学生の嗜みとして、時々見てる。


 由紀子の差し出したそれには、明美たちと同年代の女の子が、可愛らしく踊っていたり、滑稽なコントをしていた。よく知っている物だし、それだけでは、さしたる興味は湧かなかった。

 

 これがどうしたの?と言いたげな表情を向けると、由紀子は苦笑しながら首を振る。

 

「違う違う。私たちがやるの、動画投稿!」


 呆気に取られる明美。考えた事もなかった。

 いや、正確に言えば、自分もこんな風にできたらな、とは思っていた。有名になって、色んな人にカワイイって言われながら注目されるのって、きっと気持ちいいんだろうな……って。

 でもそれには、すでに有名である事が前提だと思っていた。


「そんな事ないって!そりゃ最初から視聴数なんて伸びないだろうけど……。でもほら、やり方次第で誰にだってチャンスはあるよ!それに明美のダンスも、短いやつならいけるでしょ?」


 確かに。

 ダンス大会などとは違って、動画は必要なところだけ切り取れる。たった数秒に、自分の表現を盛り込んで、運良く人の目につけば、一気に称賛が集まる。有名なミームも、元を辿れば個人の投稿動画だ。


 半信半疑。

 でも明美の心は動いた。

 

 二人は試しに何本か投稿してみた。友人たちと協力して、最初は仲間内だけ。他のSNSにも宣伝用のアカウントを作ってアップしていく。

 少しずつ……ほんの少しずつ、無名のフォロワーが増えていく。時々だけど、高評価がいつもより多く付く。

「私の動画も見て!」って、凄くかっこいいダンサーの人から相互フォローの声がかかる。

 

 それは人から見たら、大した変化ではなかったかもしれない。

 フォロワー数だって、百を超えるまでに随分かかった。高評価が全然つかない時だってあった。あまりに些細なトロフィーだから、家族に見せるのすら何となく恥ずかしかった。

 

 でも、手の中の小さな画面から、自分の世界が確実に広がっていく感覚に、明美は心がときめいた。

 由紀子はすごく喜んでくれた。

 由紀子が参加してない動画も、アップすれば、いの一番で高評価をつけてくれた。進んで協力してくれたし、知り合いにも宣伝してくれた。


 きっとこのまま、飛び上がれる。由紀子と階段を駆け上がっていく想像が広がり、明美の中で、明るい未来の概略図が組み上がり始めた。


 そして、心が翼を得たと思った瞬間……例の感染症が、全てをぶち壊した。

 

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