第7話 秘匿組織合同会議:間宮議長の記録

※用語の意味や世界観の補足は、「第7話 補足:主な用語」をご覧ください。


 秘匿組織合同会議——GHQによる旧内務省解体に伴う日本超常資産の離散を出来うる限り防ぐために秘密裏に設置された会合を由来とし、第三次世界大戦以前は秘匿されていたオカルト部署や庁・委員会の会合。現在組織名にその名残がある程度に留まるその会議は混迷を極めていた。決議はまとまらず、各部署や庁・委員会の代表たちは好き勝手に自身を正当化する発言をし、内閣総理大臣によって任命された議長は軽んじて扱われていた。その上で、この会議は超常を扱う官僚たちの国会として扱われていた。ある意味では重要な会議はひと月に二回、開かれた。

 会議に必要な全ての官僚が集まった今、混沌と化した話し合いが始まった。


「えー、これより、2003年10月第二回目の会議を始めます」


 その一言を放つまでに、間宮議長は原稿を三度読み返した。意味があるとは思えなかったが、それでも、誰かが始めなければならなかった。自分でなければ、誰か他の者が、同じように黙殺されながら読み上げるだけの人形になるだけだ。それがこの国の『超常行政』という機構の現実だった。しかし官僚たちは、まるで彼の声など初めから存在していなかったかのように、各々の時間に戻っていく。文庫本のページをめくる音、机に爪を立ててリズムを刻む音、ため息と咳払い。誰一人、彼の言葉に応答しない。彼らの沈黙は、意思の放棄ではなかった。むしろ、すでに構造として組み込まれた拒絶だった。何も聞かず、何も考えず、ただ座っていることで、自分たちの正当性を保つ——そんな異常が、ここでは“常識”だった。冷房は止まりかけの機械のように低く唸り、まるで別の次元からノイズだけを拾っているかのようだった。誰かの咳が、やけに甲高く、空間の奥に反響する。時計の秒針が壁に音を刻み続け、無視された時間だけが、ここに存在していた。

 挙手の動作に、議場の空気がわずかに揺れた。誰も期待していなかった“発言”の兆しに、間宮の背筋が反射的に伸びた。次の瞬間、耳に届いたのは、懐かしいようで不愉快な名前だった。——またその名か、と間宮議長は思った。彼の声が出るたび、会議は建設的な方向とは真逆に進む。理由など不要、破壊のための発言。それがこの男の流儀だった。


「官僚諸君。我が庁、内閣電脳情報庁を解体するとはいかな理由か」


 前回議題に上がり解体の決議が取られた庁、内閣電脳情報庁。間宮議長は手元にある前回資料を読み直す。


——内閣電脳情報庁を解体すべきである。


 その一言から始まった会議は普段よりもスムーズに進んだ。まるで決まっていたかのように……。普段なら水を得た魚のように他者を妨害する彼らが、あの日ばかりは奇妙な沈黙と肯定の連鎖を繰り返した。誰が火をつけ、誰が火種をばらまいたのか。間宮議長にも、それは分からなかった。


「内閣電脳情報庁代表どの。それは前回決まったことだろう。今更何を言おうと変わらないことだ」


 間宮議長が指名してもいない怪奇庁代表が勝手に話し出す。それもまた、この場ではいつものことだった。議長という肩書は、黙って聞くことと、無視されることを職務とする役職にすぎなかった。


「しかし、我々は1995年に設立されたばかりだ。設立以来、我々は各官庁の情報インフラの統合を推進してきた。行政電脳化推進本部を新設し一部に吸収されるという判断には、合理性の名を借りた暴力を感じざるを得ない。それなのにこれはあんまりな仕打ちではないか」


 幼子を虐めるかのようと言いたげな内閣電脳情報庁代表は秩序的に無秩序な官僚たちを見渡す。主に先程発言した怪奇庁代表には特に鋭い視線を送っていた。


「その情報インフラの統合がいけなかった。ただそれだけのことだよ。内閣電脳情報庁どの」


 内閣情報分析庁代表が発言する。もはや咎める気すらない間宮議長は、それを眺め記録だけをしていた。この記録は一体誰が読むのだろうかと疑問に思うこともあるが、後世に残すため、必要なことだからと割り切って記録を進める。


「行政電脳化推進本部。いいじゃないか、これから君たちは推進するだけなのだから。そう電脳化は我々独自で行う」


 運輸通信省代表がそう発言をする。


「君たちは、迫り来る電脳化の波を一次遮るためだけの存在だったのだよ。そう割り切りたまえ」


 経済省代表もそれについ従いした。間宮議長は恐ろしいものを垣間見た。彼らが協調するとこんなにも早く会議が進むのかと。前回の会議と同様に……。


「それよりも、怪奇庁改組を承認していただきたい」


 怪奇庁代表はそう発言する。もはや決まっているかのような発言で、本来なら誰もが怒り出すだろう。


「ふざけるな。我らの解体についての方が重要だ」


 しかし今回は、内閣電脳情報庁代表を除き怪奇庁代表の発言を咎める者はいなかった。


「怪奇庁改組の正式な決定は2004年になる。2005年に内閣電脳情報庁の解体と同じくして怪奇庁は新たな組織へと改変される。予定通り、蝶は羽ばたくのだ」


 周囲の空気がわずかに変わる。その発言を最後に怪奇庁代表は腕を組み、もはや発言することはないと意思表示するかのようだった。間宮議長には、怪奇庁代表の背後に見えぬはずの蝶の幻覚が見えた気がする。これは因果の流れなのだろうか。前任も言っていた。たまに因果の流れを感じることがあるが、そのときは流れに身を任せなさい——今その意味が分かった気がした。この会議そのものが誰かの手のひらの上で、一部の代表たちはその上にで転がさられているだけなのだろう。議長である間宮も含めて……。

 怪奇庁改組に反対する者は現れなかった。内閣電脳情報庁代表を除いて決議は採択された。記録の隅には蝶の図柄が描かれていた。無意識に自分で描いたのだろうか。間宮議長は震える手で蝶をなぞる。視線を感じ、その方へ向くと怪奇庁代表と目が合った。黙っているようにとでも言わんばかりに、口元に人差し指を当てると、わずかに微笑んだ。間宮議長は背筋に氷を入れられたかのように身体が冷え切った気がした。白髪の悪魔はそれでも優しく微笑んでいた。彼——もしくは彼女の座るテーブルの上には時を刻まぬ置き時計が置かれていた。間宮議長は自然と手が動く。蝶を描く手は止められない。描いた内の一匹の蝶が羽ばたくのが見えた。

 間宮議長は記録していた議事録を眺める。これは一体誰のための議事録なんだろうか。そう考えるたびに思うのだ……この議事録を、いまこの瞬間、誰かが読んでいる気がする。それとも、この会議室のどこかに、すでに「読んでいる者」がいるのだろうか。未来への呪いとしてこれらは残り続ける。誰がための記録か、それを確かめる者へと……。

 間宮議長は、辞表を握りしめて総理大臣室を訪れるだろう。そんな未来を垣間見た。

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