第7話 トイレには綺麗な女神様がいる

 広員の様子がおかしい。


 学校が終わり、家に帰って料理を振る舞い、二人で夕食。


 片想いの相手に料理を提供できる幸せと、一緒に夕食を食べられる幸せ。俺は幸せのダブルパンチをくらっているのだが──。


「ぅぅぅ……私のばか、ばか、ばか。いくらなんでも、そ──い、ね、とか──ばかだよ、ばか……」


 どうやら広員は違ったパンチをくらっているみたいだ。先程からぶつぶつと言葉が途切れ途切れで聞こえてくる。なにを言っているのかわからないが、自らを罵っていることだけは理解できた。


「広員? 俺の料理、口に合わなかった?」


 不安になって尋ねると、ハッとしてから、思いっきり首を横に振った。


「そ、そんなことないよ!! めちゃくちゃ美味しいよ!! 一生緋色くんの料理を食べたいくらい!!」


「一生……」


 じーん、と心の奥底から嬉しさの感情がわき起こるこちらとは反対に、向こうさんは大いに慌てておられる。


「や!! ちがくて……これは緋色くんの料理を一生食べることができたら幸せだろうなって意味で、決してプロポーズではなくて」


 あの、その、あうう、と唸り声を出したかと思うと、目を回しながらビシッと指さしてくる。


「か、勘違いしないでよね!! す、すんごくおいしいんだからね!!」


「なんで若干ツンデレ?」


 ツンデレな広員もかわいいが過ぎるんだけどさ、今のはツンデレ判定でよろしいのかね。


 ♢


 まだまだ広員との暮らしは慣れない。そりゃ同級生といきなり同居ってなって、しかもそれが片想いの女の子ってなると、慣れる方が難しいと思うんだ。家にいるのに学校の教室にいるようなドキドキ感は、嬉しいんだけど疲労は溜まる。


 だけど、同居しているからこそ見える彼女の姿がある。


 清楚でお淑やかで完璧な生徒会長。だけど本当は、そそっかしくて、おっちょこちょいで、ポンコツな生徒会長。


 そんな姿を知れて、俺はますます彼女のことが好きになる。向こうに好きな奴がいようとも、もっと彼女と仲良くなりたい。もっと彼女を知りたい。そう思わせる。


「ふぁぁ、あ……もう、朝か……」


 彼女のことがもっと好きになったら、その代償として夜は全然眠れない。このまま俺の広員への好意が上がっていけば、そのうち一睡もできなくなるのではないだろうか。そんなもん、バッチこい、だ。広員のことをもっと好きになる代償が眠れなくなるだけなんて軽い、軽い。むしろ今流行りのショートスリーパーになっちまうな。かっかっかっ。


 こんな阿呆みたいな思考に陥るのも、全然寝ていないからだろうか。眠れなくても便意はある。大きな欠伸をかましながらトイレのドアを開けた。


「え……」


 思わず声が漏れる。


 トイレにはそれはそれは綺麗な女神様がいた。


「あ……」


 目が合うと、お互いに数秒間見つめ合う。まじで恋する2秒前。いや、場所とかどうでも良いから、2秒後に恋が始まってくんねぇかなぁとか意外と冷静な自分がいる。


「ひ、広員、こ、これはだな……」


 先に声を出したのは俺。震える声は、カラオケのビブラートで褒められそうな程に綺麗に震えている。


「ち、ちちち、違うの!!」


 後攻。広員の口撃は、まずは否定から。


「ほ、本当は、緋色くんのお料理をお腹の中で一生留めておきたいよ!? 気持ちは本当なんだよ!? でも、仕方ないじゃない!!」


「待て、広員。お前はなにを言っているんだ?」


「そ、そそそ、それに、それにね!?」


「お、おおお、落ち着けって」


「聞いて!! お願い聞いて!!」


「あ、ああ!!」


「今は違うから!! 液体の方だから!! だからまだ緋色くんのお料理は私の中にあるから!! ね!?」


「お、おお、おん。な、なんの話だよ……」


 わかっているのは、お互いにパニックになっているということ。


 ♢


「緋色くん。お願いします」


 冷静になった広員がリビングで正座をして深々と頭を下げていた。所謂、土下座だ。清楚で可憐な彼女の土下座は非常に絵になっていた。


「さっきのことは、トイレなだけに水に流してください」


 土下座しながらなに言っちゃんだか。


「いや、今のは俺の方もノックしなかったから」


「いえ!!」


 広員は強く否定すると、顔を上げて自分の胸に手を置いた。


「10対0で私です。鍵があるのにしなかった私の責任です」


 なんか、女騎士っぽい言い方だな、おい。


「緋色くんはなにも悪くない。悪くないからこそ、立場は緋色くんが上。だからこそのお願いなのです。トイレでの私の発言を全て忘れてください」


 この通り、なんて言いながら再度土下座をする。


 ああ……片想いの女の子が俺に土下座をしている……なんという背徳感……って、なにを考えてんだ、俺。ばか!! 俺のばか!! スカトロバカ!!


「うん。忘れた」


「……本当ですか?」


「ほんと、ほんと」


「でも、心の中では、『広員のやつ、トイレの女神してたよなぁ』とか思いません? って、誰が女神やねーん!! いや、女神は褒め言葉やろがーい!! あははー!!」


 あ、バグってるわ、これ。なんとかしないと。


「だ、大丈夫だって。この数日で意外と広員はポンコツってわかったから、トイレでなにかあっても驚かないから」


「うぐっ!!」


 しまった……フォローを入れたつもりがとどめをさしてしまったようだ。


 広員はそのまま、土下座のポーズで天に召されてしまったようだ。

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