第6話 白鳥の休息と残り香

「陽ー。ゾンビみたいになってるぞー」


 遠くから嵐の声が聞こえて来た気がする。


 のっそりと振り返ると、相変わらずの無表情でダウナーな男の顔があった。


「大丈夫? 今、どこにいて、なにしてる?」


 彼からの質問に、自分がしていることを答える。


「部屋でパソコンしている」


「わー。重症だねぇ」


 到底、重症な人へのリアクションではない嵐は、俺の目の前で手をふりふりとしてくる。


「ここは学校の体育館で、今はバレーの授業だよー」


「あ、バレエか」


 そうか。今はバレエの時間か。


「ふんっ!!」


「陽って凄いんだね。白鳥のポーズできるんだ。でもね、バレエじゃなくて、バレーだから。球の方ね」


「んだよ。ならもっと早く言えや!! こちとら寝てなくて頭回ってないんじゃ、ぼけ」


「白鳥のポーズをしながらオラつく人って初めて見た」


 そんな会話をしていると、「あ、やばっ」なんて声が聞こえて来る。その声が聞こえて来たかと思うと、次の瞬間、顔面にバレーボールが直撃してしまう。


「ぶっ!!」


 ダイレクトに顔面で受けてしまった俺は、そのまま倒れてしまった。


「せんせー。白鳥が死にましたー」


 嵐……いじりが雑だぞ……。


 ♢


 なんだか、やたらめったら良い匂いがする。安心するような。心地良い気分になるような。そんな匂い。香水とかアロマとか、そういう系の匂いではなく、心から好きだと思えるような優しい匂い。


「ん……?」


「ぁ、やばっ……」


 耳元で声が聞こえて来た気がして、ゆっくりと目を開ける。まだぼやけている瞳からは世界を判別できない。


 何回かのまばたきの末、ようやくと薄っすら視界が良くなっていく。


 保健室、かな? そうだ、俺、顔面にボールが直撃して倒れちゃったんだな。そんで保健室のベッドで寝てたってわけか。


 誰かいる。ジャージ姿の誰か。嵐、か? いや、違う。体格が違うし、雰囲気も全く違う。女、の子、かな。


「……広員?」


 顔はわからないから願望のままに好きな人の名前を呼ぶ。しかし反応はなかった。もしかしたら違ったか。やばい。人違いってことは、目の前の人に俺が広員のことが好きだとバレてしまう可能性がある。


 焦りは俺の視界を迅速に開けた。ぼやけていた視界が一気に広がる。


「……広員じゃん」


 良かった。目の前にいるのは広員であった。なんで俺の呼びかけを無視したのかわからんが、呼びかけた本人で一安心だ。


「つうか、なんで顔真っ赤なの?」


「いえ、お気になさらず」


 真っ赤にした顔を伏せておいて気にするなと言われても無理があるが、あまりしつこくても嫌われそうだからやめておこう。


「ずっと側にいてくれたのか?」


 そうだと嬉しんだけど、なんて思いながら尋ねると、案外簡単に頷いてくれた。


「う、うん」


 それがものすごく嬉しくて、俺の顔面にボールをぶつけた奴、まじでありがとうと感謝の言葉が生まれてくる。


「緋色くんが倒れたって聞いて……。それって私のせいかなって……」


 なるほど。広員は俺が顔面にボールが当たって倒れたことを知らず、昨日の生徒会の仕事を徹夜で手伝ったせいで倒れたって思っているのか。確かに、それのせいでふらふらなのは事実だが、それは広員のせいではない。生徒会の仕事を手伝うと決めた自己責任だ。


 だけど、ね。性格の悪い俺は、なんとも悪いことを考えついてしまったよ。


「別に広員のせいとかはないけどさ、添い寝してくれたら早く治るかも」


 うわー。言ったあとに考えるとなんともキモイ発言してんなー。広員も引いている様に立ち上がっちゃった。


「も、もうこれ以上はだめだよー!!」


 そう言い残して去って行った。


 うん? なんだかセリフとしては若干の違和感がある。キモイ発言で慌てて逃げたというよりは、なにか羞恥を晒して逃げ出すような。そんな行動。


 ベッドに残ったほのかな香りと温もりを確かめる──。


「まさか、な……」

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