姉の頭には触角が生えている

日野球磨

たぶんそれに違いはない。

 カタツムリの触角のことを角と呼ぶ人がいる。

 カタツムリの角のことを触角と呼ぶ人がいる。


 きっとそれに違いはない。


 世間一般的に角というものは、骨が体外へと露出した硬質な部位のことで、鹿や牛などが、比較として想像されると思う。

 そうでなくとも、空想に出てくる怪物においても、きっと角と言われればそれは、鬼のような二本角や、ユニコーンのような一角が想起されるはずだ。


 世間一般的に触角というものは、昆虫などが有する感覚器官の総称として扱われていると思う。

 そうでなくとも、たいていの場合が頭の部分から飛び出た何か、に該当するはずだ。それこそ某少年漫画の緑色の異星人だったり、漫画作品における主要キャラクターの頭に生えているアホ毛だったり。


 そう見比べてみると、それはきっと大きな違いなんだと思う。

 でもやはり、それに違いはないのだろう。


 カタツムリの角を触角だという人がいるように。

 カタツムリの触角を角だと言う人がいるように。


 きっとそこに、大きな違いはない。


 ……。


 僕には三つ上の姉が居る。

 姉には触角が生えていた。


 それは頭髪と額の境目あたりから、それとわかるほどの大きさをしていた。

 長さにして約三センチほど。太さは小指の先よりも短く、ストローよりは太いぐらい。やや円錐に近い形状をしていて、先っぽはサクランボの実のように、そこだけ丸く膨れている。


 それは先天性の特徴で、医者が言うには、それは変形した軟骨であるという。たまさかそれが触角のように(或いは先の例えで述べた、緑色の異星人のように)規則正しく二本揃って、姉の額に生えていたのだ。


 僕が五歳の頃、姉に尋ねた。


「お姉ちゃんは宇宙人なの?」


 緑色の異星人とは全く関係ないけれど、そのような触角が世間全般を通して宇宙人のシンボルとして扱われていることは、当時の幼子の中でも常識であったようで、僕は姉の触角を見てそう尋ねた。


 姉は言う。


「我々は宇宙人だっ!」


 なお、その頃は宇宙人ブームの真っ盛りで、姉にとってはその額の触角が、いわばアイドルのようなシンボルであったらしい。


 そんな姉の趣味はキャトルミューティレーションであり、夜な夜な誘拐されてしまう哀れな家畜がそうであるように、僕は毎日のように姉に捕まり、愛いし愛いしと抱きしめられることが日課となっていた。


 姉は言う。


「私は超能力を持っているのです」


 宇宙人が超能力を持っているというのはおかしな話だけれど、流行りものに乗りたがりの子供にとって、それぞれがなぜ宇宙人であり、なぜ超能力なのかはあまり重要なことではない。きっと昨日見たテレビ番組で、宇宙人の後に超能力の話題が出てきたから、なんとなくそこに繋がりができてただけだろう。


 僕は尋ねる。


「お姉ちゃんすごい! なにができるの!」


 姉はふふんと得意げに鼻を鳴らして、僕を抱きしめながら言う。


「私は人が考えてることがわかるのです」


「わぁすごい!」


 ピコピコと姉の触角が動きます。きっと姉の脳と触角は神経の線で繋がっていて、それは宇宙的神秘であり、それを通じて他者の脳の電波を受信し、その思考を読み取っているのでしょう。


「じゃあ僕が何考えているのか当ててみてよ!」


「それはね~……お姉ちゃん大好きって考えてるでしょ!」


「すごいすごい大正解!」


 姉の触角は、そうやって僕の思考を読み取る度に、ピコピコと忙しなく動いていた。


 それは例えば夏の暑い日。姉は僕がアイスクリームを食べたいと知っていたので、塾の帰り道にアイスを買ってきてくれた。しかもそれは、僕が本当に食べたいと思っていたアイスで、やはり姉はすごいのだと思った。


 それは例えば冬の寒い日。見たかったあのアニメの再放送を録画し忘れていたことに気づいた僕が、急いで今のテレビに駆けて行ったら、それに気づいていた姉が、代わりに録画してくれていた。やっぱり僕は、姉はすごいのだと思った。


 そして僕は小学生になった。

 相変わらず、姉の頭には触角が生えていた。


 その頃になれば子供心の純真さは黄昏の太陽ように失われつつあり、かつてのように姉に愛情を示すことそれ自体が恥ずかしいと思うようになる時期だった。

 いや、それは時期というのもあるだろうけれど、実際は周囲の影響が大きかったかもしれない。


 そもそも当時の小学生にとって、上級生の兄姉に仲良く接するということ自体が、受け入れられないことなのだと、今にとって思う。なぜならそれは、兄姉と仲良くしているように見える一方で、周囲の人間にとって、絶対に勝てない上級生の兄姉という、強大な権力を笠に着ているように見えるから、だと思う。


 結果的に、兄姉に頼らなくちゃ何もできない情けない人間だという烙印を押されたり、或いはそういった権力を笠に着ているんじゃないかという思い込みで卑怯者とそしられたりするのだ。


 それらの例に従って、僕もまた学校で姉と積極的にかかわるようなことは無くなった。


 ただ、姉は僕のことを可愛がっていたものだから、家に帰るなりなんなり、相変わらずのキャトルミューティレーションによって僕を捕獲し、ぐいぐいと抱きしめてはスキンシップを取っていた。


 しかしそれも、次第に僕は拒否するようになった。理由はやっぱり、恥ずかしいからに他ならない。


 この頃になると当然、小学校に通っている以上、人とかかわる機会が増える。そして当然、人間という集団生物の必然的な運命であるかのように、小学生低学年という時分から、早くも人間という集団に馴染もうと本能がそうさせるのだ。


 それに従って僕は、周囲がしないようなことを恥ずかしいと思い、周囲がするようなことをして、それで集団に属しているのだと思うようになった。


 つまり姉に甘える、或いは過剰なスキンシップを取るということは、姉のいない家庭はもちろん、姉とあまり仲の良くない姉弟には存在しない日課であるため、必然として僕の家での行動は、周囲が普通しないようなことに分類されてしまう。


 もしかしたら、僕と同じように姉と仲が良く、姉とべったりとくっついていた人間も居たのかもしれない。けれどやはり、それは同級生という集団の中ではどうしてもマイノリティに入れられてしまい、結果としてそれらの都合は表に出ることなく、集団の誰にも知られることなく、姉離れという結果で終わってしまうことだろう。


 或いはそれすらも公にしている人間も居たのかもしれないけれど、決まってそういった人間は周囲に馴染めず、或いは馴染めないようにつまはじきにされて、いつの間にか周囲から消えていたんだろう。


 ただ、初めて僕が姉を拒絶したあの日。

 それを恥ずかしいと思ったあの日。

 姉の困ったような顔を見たあの日のことは、今でもしっかりと覚えている。

 あの日も姉の触角は、ピコピコと動いていた。


 それを気にしなくなったのは、僕が小学四年生に上がってからだ。

 なにせその頃には姉は中学校に入学してしまったから、小学校はもちろんのこと、家の中で遭遇する時間も、めっきりと減ってしまったからだ。


 姉に会える時間が少なくなってしまったことを寂しく思う半分、申し訳なく思ってしまう自分が居た。それはきっと、寂しく思ったことに対しての申し訳なさだと僕は思っている。


 そもそも姉が小学生で居る間にも、僕は自分の意思で姉と会う時間減らし、更には家でも話す時間も、スキンシップをする時間も減らしたのだ。それがどうして、下校時間が全く被らなくなってしまったことを機に、更に会える時間が減ってしまったからと言って、寂しく思える道理はないと、僕は思ったのだ。


 僕は姉を拒絶していた。

 その通りに、姉は遠くに離れただけなのだ。


 その思いこみが強くなったのは、僕が中学に上がってから。

 思春期というのもあったと思う。

 反抗期というのもあったと思う。


 その頃の姉は既に高校生であり、やはり下校の時間は被らなかった。

 そんな疎遠の時間が長すぎたせいか、或いは自分の中に折り合いの付けることのできない感情があったからかは、今となっても分からない。


 ただあの時、僕が姉に抱いていた感情だけは、簡単に言葉にすることができる。

 それは大きく分けて二つ。


 恐怖と羞恥。

 この二つこそが、僕にとっての姉のすべてであった。


 その頃になっても僕にとっての姉はすごいままであり、リビングでふと姉を見かけたとき、その触角がピコピコと揺れるのを見た時、僕の背筋にはゾクゾクとした悪寒が走った。


 僕はさっと顔を隠した。

 それを見た姉は、いつかの日に見たような困った表情を浮かべ、「ごめんね」と言いつつそそくさと自分の部屋に戻っていくのだ。


 リビングの扉の向こうに姉の姿が消え、姉の自室のある二階へと向かう足音を聞き届けた後、僕の緊張はふっと途切れ、胸を撫でおろすような気持でいっぱいになった。


 けれどそれからすぐ、姉の言った「ごめんね」の意味を考えることになってしまう。僕を見て「ごめんね」と言った姉の顔を思い出し、そして僕は姉のあの触角のことを思いだす。


 触角はピコピコと動いていた。

 僕は頭の中を読まれたのだと思った。


 それに気づくと僕は火が出るように羞恥に塗れ、悶絶するようにリビングのソファーに顔をめり込ませた。あの時何を考えていたのかは定かではないけれど、頭を読まれていたと気付くと、僕の頭は読まれたくない思考でいっぱいになってしまうのだ。


 だから実際にどんなことを知られたのかは関係ない。きっとそれが大したことのないものでも、大したことのあるものでも、きっと大きな違いはないのだ。


 僕は激しい羞恥に見舞われ、それと同時にゾッとするような恐怖を覚える。

 姉と暮らしている限り、僕はこのような羞恥に襲われ、いついかなる時にも僕の考えたことは姉に筒抜けになるのだと。


 それは例えば気になるあの子との妄想であったり、それはついつい魔が差して交番に届けなかった千円札であったり、それは友達に隠していた自分の失敗だったり。

 今となっては隠し立てするようなことでもないけれど、何かにつけて秘密にしていたことを暴かれるほど、怖いことはない。それも相手は、特に何かする必要もなく、ただいるだけでそれを白日の下に晒してくるのだ。


 だから僕はそれが恐ろしく、同時に何を知られてしまったのかとおののくたびに、知られたくないことばかりを考えて、死にたくなるほどの羞恥に塗れていた。


 あの触角がピコピコと動くたびに。

 僕の心臓は寿命を縮める。


 当然、僕は姉と会わなくなった。

 それを姉は知っているかのように、姉は家に居る時、部屋から出てこなくなった。


 それから月日は流れ、僕は中学二年生となった。

 姉は高校二年生。そこに特筆すべきことはない。


 もちろんその日にも特筆すべき特徴はなく、ただ一つ述べることがあるとすれば、夜の闇よりも黒い雲が空いっぱいに広がり、けれどしとしとと降り注ぐ雨は傘もいらないほどにまばらで、緩やかなものだったことだろう。


 その日の僕は、その雨をうざったらしく思いながらも、どういうわけか出ていた落雷と豪雨の二重警報によって見事学校は午前で休校となり、テルテル坊主も逆さにつるす思いで雨に感謝していたことは、今となってもよく覚えている。


 昼が終わらない間に僕は、とりあえず家の冷蔵庫を物色して昼食を取り、二階の自室にこもって漫画を読んでいた。

 そこでふとトイレに行きたくなったので、僕は階下に降りて、用を足そうとする。すると偶然にも帰宅していた姉と遭遇した。


 姉は学校に傘をもっていかなかったのか、濡れ鼠になって帰宅した。しかもちょうど帰って来たばかりらしく、玄関でどうしたものかと立ち往生しているところだ。


 姉のことが怖い僕であったけれど、流石にタオルくらいは用意しようと思い、僕はそそくさとトイレに行くふりをして、その途中で脱衣所に入り、タオルを一つ持ち出した。


 けれどやっぱり姉が怖くて、だから僕は直接渡しに行くでなく、そのまま脱衣所に続く廊下の奥からぽいっと、姉のいる玄関の方に向けてタオルを投げた。


 タオルは姉の顔に当たり、玄関マットの上にポトリと落ちる。

 けれどそれよりも、僕は目を丸くしていた姉の顔を見ていた。


 素っ頓狂な顔をしつつも、姉はどこか嬉しそうだった。


「ありがとう」


 トイレに逃げ込んだ僕の背中に、そんな声が聞こえた。

 ただ、姉の触角は動いていなかった。


 その頃の僕にとって、姉と遭遇したときは、頭の中を読まれまいとその触角の動向ばかりに注目していた節がある。だからタオルが姉の顔に当たって初めて、一年ぶりに姉の顔を見たような気がした。


 けれどやっぱり頭の中を読まれるのが怖いから、僕はそそくさと逃げてしまったのだ。もしもそこで、もっとよく姉の顔を注視して、その触角の動きを見ていたとすれば。


 ただ、結局は変わらなかっただろう。


 そそくさとトイレに逃げ込み、触角をよく見ていなかったとしても。

 久しぶりに見た姉の顔に絆されて、触角をよく見ていたとしても。

 きっとそこに大きな違いはない。


 翌朝、姉は死んだ。

 夜の間に家を出た姉が、朝に川に浮かんでいるのが見つかった。

 自殺だった。


 死体の頭に触角はなく、それは切り取られていた。

 原因はいじめだった。


「気持ち悪いから取ってあげたの。あれ、人の心読んでるみたいで不気味だったのよ。そもそもみんなの前でやったのに、誰も止めなかったのよ。やっぱりみんなも、そう思ってたんじゃないの?」


 それが姉の触角を鋏で切った女子生徒の言い分だった。


「彼女にも原因はあったんじゃないですかね。ほら、グループに馴染めない子っていますから……。それに、彼女の場合はあれがありましたからねぇ。授業中だってあれを、こうね、かまわず動かしてたんですから、やっぱりそういうところに行った方がよかったんじゃないんですかねぇ」


 それが姉の触角が切り取られるところを傍観していた教師の言い分だった。


 母は抗議し、父は裁判を起こしたけれど、僕はただ姉の死体を見て、通夜の日に姉の遺影を持っていた。


 姉の死体を見て。

 姉の死体は、五メートル程度の橋の上から、深さ二十センチもない川底めがけて頭から落ちたせいで、かなり状態が酷いと言われていた。けれど意外にも顔は見れたもので、もしかしたらそれは、誰かが気を利かせてお化粧をしてくれたおかげなのかもしれない。


 けれどその頭に、触角はなかった。


 だから僕はふと、姉と遺影とを見比べて思った。


 もし姉に触角が無かったとしたら、姉は死ななかったのだろうか。

 例えば僕は姉と疎遠になったのは、あの触角に頭の中を読まれるのが怖かったからだ。

 例えば姉がいじめられていた理由には、何かとつけてあの触角のことがでてきていたのだ。


 だからもし、この触角がピコピコと動いて人の頭の中を読むようなものではなく、どっしりと鎮座した物言わぬ角であったとしたら、こんな未来は訪れなかったのではないかと思った。


 けれど、僕は知ってしまったのだ。

 姉の触角に中身はなく、それはただのイミテーションのようなものに過ぎないのだと。


 これを知ったのは、やはり姉の触角のことを調べていた医者からの話だ。なぜその医者に話を聞いたのかと言えば、これは父が姉の死体に切り取られた触角を付けられないかと相談しに行ったのがきっかけなのだけれど、その時に医者は言った。


「悲しいものですね。このような差異一つで、人が死んでしまうだなんて」


 このような差異とは姉の触角のことであり、そして続いて医者は、姉の触角は本当に軟骨が変形したものであり、脳と繋がっていなければ、それは意識的に動かせるものではないことを明かした。


 いや、明かしたというか、既に過去に説明した内容を、もう一度、僕たちへと説明しなおしたのだ。


 つまり姉は、人の頭の中など読めない、ただ触角のようなものが頭から生えていた人間に過ぎなかったということだ。

 だから結局、いじめの実行犯が言ったような、人の心を読んでいるという事実はなく、ただただ姉がそういった人の機微に敏い人間であったというだけだったのだ。


 なぜなら彼女は宇宙人でもなんでもなく、結局は僕の姉でしかないのだから。そんな人の頭の中を読むだなんて超能力は、ありえるわけがなかったのだ。


 そう思うと、結局のところ姉の頭に生えているのが、触角であったとしても、角であったとしても、至る未来に大きな違いはないのかもしれない。


 或いはそう思い込むことで僕は、僕が何かできることがあったかもしれないという想像を食い止め、自責と自己嫌悪に塗れることを防いでるかもしれない。


 でも、きっとそれに大きな違いはない。


 カタツムリの触角のことを角と呼ぶ人がいるように。

 カタツムリの角のことを触角と呼ぶ人がいるように。


 きっとそれに違いはない。


 きっと違う未来は、存在しないんだ。

 

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