2:雪の中の「黒」

「ゆ、誘拐!?」


 とんでもない依頼をされ、真っ先に言葉を発したのはマリーだった。


「誘拐って……ええ!?」

「おい、大きい声出すなよ。外に聞こえたらまずいだろ」


 彼は、突然のことで混乱気味のマリーに注文を付ける。

 どうやら彼なりの考えがあって、誘拐の――誘拐自体を依頼されたわけではないが――依頼に訪れたらしい。


(どうしようかな)


 「そんな依頼は受けられないと、彼を追い返すことは簡単だ。

 しかし、ここで追い返してしまったら、彼は別の大人に依頼しようとするだろう。もしかしたら、悪い大人に騙されて大変なことになるかもしれない。そう思うと、追い返す気になれなかった。


(それに……うちを選んでくれたんだしね)


 きっと、電話をかけてくれる大人なら誰でもよかったのだろう。

 それでも、彼はイストリア社を選んでくれたのだ。そんなことをしないよう説得できるかどうかはともかく、せめて事情だけでも聞くべきだろう。


 エルトゥスは彼を応接室へ連れて行こうとした。

 だが、彼は「その間に警察に通報するつもりだろ」と言って移動したがらない。

 そこで執務室の椅子を事務所に持ち込み、エルトゥスたちのデスク前で話を聞くことになった。


「……あ」


 エルトゥスのデスクを見た彼が声を上げる。

 どうかしたのかと尋ねても、彼は不機嫌そうに「何でもない」と答えるだけ。それ以上話そうとしなかった。


 言いたくないことを無理に話させることはできない。エルトゥスは「まずお名前と年齢を伺ってもよろしいでしょうか?」と、たずねた。


「ブライアン・ホワイトフィールド。十歳」

「ホワイトフィールド様ですね」

「ああ。でも、ブライアンでいいよ」

「ありがとうございます。では、ブライアン様。失礼ながら、学校はどうなさったのでしょうか? 授業がある日なのでは……」

「学校は今日休みだよ」

「……ああ、そういや今日は記念日だったっけ」


 ノアが思い出したように言う。

 今日は学校関連の記念日らしく、大学ユニバーシティ以下の学校はすべて休校しているそうだ。


「休みだからイストリア社ここにいるんだろ?」


 まるで他人ごとのような口調のノアに、ブライアンは呆れたように言う。


「見ない顔だよな。ここらの生徒じゃないのか?」

「何か誤解してるみたいだから訂正するけど、ボクは遊びに来てるんじゃない。社長として仕事しに来てるんだ」

「はあ?」


 ブライアンは首を傾げた。


「そんなわけないだろ。嘘吐くなよ」

「なんでボクが嘘吐かなきゃいけないのさ。勝手に嘘吐き呼ばわりしないでよね」


 怒ったように言ったノアがブライアンを睨む。

 ノアは、ブライアンがここにいることに納得しているわけではない。エルトゥスと同じことを考えているからこそ追い返していないだけだ。

 だが、このままだと、怒りに任せて追い返そうとするかもしれない。


(どうしようかな……)


 どうやってフォローを入れようか考えていると、トレイの上に二人分の紅茶とクッキーを載せたマリーがデスクにやってきた。一触即発の空気の中、紅茶のいい香りがふわりと漂う。


「マリーさん、ありがとう」


 二つの意味で助かった。

 お礼を言ったエルトゥスはブライアンに紅茶を勧めつつ、ノアが飛び級制度を利用して大学ユニバーシティに通っていることをさり気なく説明した。

 ブライアンは驚いていたが、飛び級制度自体はめずらしいものではないため納得したようだった。

 一方、ノアのほうも気分が落ち着いたようで、少しバツが悪そうな顔をして紅茶を飲んでいる。


「では、ブライアン様。本題に入らせていただきます」


 エルトゥスは穏やかな声で切り出した。


「誘拐の電話をかけてほしいとのことですが、私が電話をかけたあとはどうなさるおつもりなのでしょう? 家出をお考えなのでしょうか?」

「いや、家に帰るよ。で、あの電話をかけさせたのはオレだって言う」

「何それ。全然意味ないじゃない」

「それでいいんだよ。……今の父さんと母さんに嫌われるためにかけるんだから」


 呟くように言って、ブライアンはクッキーを齧る。

 どうやら想像していた以上に複雑な事情があるようで、その表情はどこか暗い。


「今の、と仰いましたね。失礼ですが、実のご両親ではないのでしょうか?」

「ああ。――教会の前に捨てられてた赤んぼうのオレを、今の父さんと母さんが引き取ったんだ」


 ブライアンは淡々と答えた。

 ショックを受けている様子は感じられないから、あらかじめ知らされて育ったのだろう。

 各家庭の教育方針にもよるが、テトラノールでは「意図しない形で知ってしまうよりも、初めから知っているほうが子どもの成長に影響しない」との考えが一般的だ。


「今の父さんと母さんは結婚するのが早かったのに、なかなか子どもができなくてさ。これも運命かもしれないってオレを養子にしたんだ。けど、オレが四歳のときに弟が産まれて、一年後には妹ができて……」

「蔑ろにされるようになったの?」


 と、ノアは訊きづらいことをさらっと尋ねる。


「一人だけ血が繋がってないから」

「いや、そんなことないけど」

「じゃあいいじゃない。一体何が不満なのさ」

「『白い二人と同じくらい大事』だって言われるのが嫌なんだよ」


 まるで苦虫を噛み潰したような顔のブライアンが言う。


「本当はそうじゃないくせに……」

「あの、失礼ですが……」

「なんだ? 模造骸骨レプリカ・スケレトス

「弟様方は何が『白い』のでしょう? 理解が及ばず申し訳ありません」

「ああ……そういや言ってなかったな」


 ブライアンは特に気を悪くした様子もなく「髪色のことだよ」と答える。


「今の父さんと母さんは北国の出身でさ、二人とも雪みたいな色のシルバーブロンドなんだ。だから弟と妹も当然シルバーブロンドだし、黒髪のオレと違って白いってわけ」

「なるほど……。ご説明ありがとうございます」

「ホワイトフィールド家の事情は分かったけどさ」


 と、ノアが口を挟む。


「蔑ろにされてないのに、なんで弟たちよりも大事にされてないって分かるわけ?」

「分かるよ。……オレが学校で『ホワイトフィールド家に一人だけ黒い頭のやつがいる』ってからかわれてるのを知ってるくせに、ハクチョウゲを庭に植えたんだから」

「ハクチョウゲ?」


 思いがけない単語に、エルトゥスの目が丸くなる。


「この植物のことですか?」

「そうだよ」


 鉢植えを指差したエルトゥスに、ブライアンは眉を顰めて言った。


「母さん、この国じゃめずらしいっていうハクチョウゲを去年の秋に取り寄せて植えたんだ。毎年夏頃に――ちょうどオレの誕生日くらいに花を咲かせるからって」

「誕生日プレゼントの一環というわけですね」

「ああ。だからオレ、どんな花が咲くんだって訊いたんだよ。そしたら、何て言ったと思う? ――『雪みたいに真っ白い花よ』だぜ」


 そう言って、ブライアンは目を伏せる。


「……そりゃ、黒い花なんて見ても楽しくないって考えたのかもしれないけどさ。オレのことを本当に大事に想ってるなら、誕生日プレゼントに白い花なんて植えないだろ? オレが自分の髪色を気にしてること、知ってるんだから」

「なるほど、それで……」


 エルトゥスは頷いた。


 ブライアンにとって、家族の髪色を思わせる『白』はコンプレックスの象徴なのだろう。

 それなのに、彼の母親が雪のように真っ白な花を――しかもブライアンへの誕生日プレゼントとして植えたことで「蔑ろにはされていないが本当に愛されているわけでもない」と考えるようになってしまった。

 だから、ブライアンは意味のない誘拐電話をかけようとしたのだろう。

 「自分は弟たちのように愛されていない」とつらい思いをするくらいなら、自分から嫌われてしまいたいと思って。


(めずらしいハクチョウゲをわざわざ取り寄せてまで植えたんだから、多分、お母さんには何か考えがあるんだろうけど……)


 ブライアンの母親を知らないエルトゥスには、その理由を説明することができない。

 そして、ブライアン自身が「自分は弟たちのように愛されていない」と考えている限り、いくらエルトゥスたちが「そんなことはない」と否定しても納得しないだろう。


「――あ!」


 誘拐電話をやめさせるためにはどうしたらいいんだろう。

 静かになってしまった事務所で考えていると、自分の席に座っていたマリーが急に大声を上げた。


「な、何だよ」

「マリー、急に何?」

「あっ、ごめんなさい。だけど……私、分かったんです」

「分かったって、なにが?」

「ブライアンさんのお母さんがハクチョウゲを植えた理由、です」

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