9:分からず屋

 燃えるような太陽が海の彼方に沈み、地表付近のみ明るい空が街の灯りを引き立て始める夕暮れ時。

 舗装された道を一台の車が走っている。サルーンやセダンと呼ばれるその車はフラッタ中心部から端のほうへと向かっていた。


「顔見世はいかがでした? エル」

「これまでの人生で一番緊張しました……」


 運転席に座るハヅキに尋ねられ、後部座席にもたれかかっていたエルトゥスが答える。がいこつのおもてこそ鳥を模した仮面マスクに覆われているものの、喋る声には隠し切れない疲れが滲んでいるようだった。


「エル、本当に緊張してたよ。声が上擦ってた」

「それはそれは」


 補足を聞いたハヅキは目を細めながら相槌を打つ。アングレカ邸へと車を走らせながらも、脳裏では、緊張に背筋が伸びた友人の姿を思い浮かべているようだった。


「仕方ないでしょう、本当に緊張したんだから……」


 からかうような口調だったからだろうか。エルトゥスは少し拗ねたような声で言う。


「ノアは緊張しなかったの? あの人たち……えっと……」

「首相と国家元首」

「そう、その偉い人たちと急に話すことになって」

「全然緊張しなかったけど」


 エルトゥスの問いに、ノアは何でもないことのように答えた。


 ノアとエルトゥスが国のトップ――首相と国家元首に急遽目通りすることになったのは、国立魔法研究所の調査を終えた翌日のことだ。


 エルトゥスの調査が無事終わったと連絡を受けた当日、フラッタに戻るべくホテルで準備をしていたノアのもとに一本の電話がかかってきた。

 電話の相手は政府高官。エルトゥスに危険性がないと判断された今、模造骸骨レプリカ・スケレトスの存在を世間に発表する前に首都・トラビカにある離宮で内密に話がしたいとのことだった。

 ノアにとって「国のトップ」という肩書きは大して意味を持たないものだったが、だからと言って断る権利はない。応じたノアは政府が用意した上等なスーツを身に纏い、エルトゥスと共に離宮を訪れることになったのである。


 もっとも、話し合いの内容自体はそれほど中身があるものではなかった。歴史的価値が高い模造骸骨レプリカ・スケレトスの発見を誇りに思うということ、今後も調査や研究に協力してほしいということ、家賃や生活費は政府が援助するのでトラビカで暮らしてはどうかということ……。それくらいだったのだから。

 最後の提案に関してはノアが「少し考えさせてほしい」と丁重に申し出たため一旦保留になったが、政府側はエルトゥスを目の届く場所に置きたいようだった。世界的規模で貴重な模造骸骨レプリカ・スケレトスに危害が及ぶことを恐れているのだろう。


 結局、内密の会合は「当面の間アングレカ邸周辺を自然な形で警備する」という結論で一旦幕を下ろし、ノアとエルトゥスはフラッタに帰ることになったのである。


「ノアは本当に落ち着いてるなあ……」


 会合中も緊張する素振りを見せなかったノアを思い出してか、エルトゥスはため息を吐く。「僕もノアくらい落ち着きたいなあ」と呟いているところをみると、一人緊張していた自分を恥じているのかもしれない。


「……別に、そのままのエルでいいんじゃない?」


 ――緊張しないボクが異常なんだよ。多分だけど。

 心の中で続けた言葉は、田舎町を覆う夜の闇に人知れず溶けて消えた。



      ✦✦



 アングレカ邸に帰って一週間経っても、ノアの生活に変わったところはなかった。

 政府は、模造骸骨レプリカ・スケレトスが存在していたことを未だ公表していない。国民の日常生活に関わる問題ではないとはいえ、国内外を騒がせることを重々承知しているからだろう。

 田舎の人間が些細な変化に目敏いことを考慮してか、警備員もまだ配属されていないようだ。

 ノアの生活に別段変わったところはない。だが、ノアには、この一週間ずっと考えていることがあった。


「――ねえ、エル」

「何?」


 ノアが自身の考えをエルトゥスに話したのは、授業のない平日の午後。アングレカ邸のリビングでのことである。

 エルトゥスは、定位置となったソファーの左側で読書をしていた。読んでいるのはノアが調達した『魔人まびととは結局何だったのか』。世間話の類だと思っているようで、隣に腰かけたノアには目を向けず返事をする。


「エルはさ、働いてもいいと思ってる?」

「え?」


 エルトゥスは本からノアに視線を移し、やがて申し訳なさそうに言った。


「ごめん、何もしてなくて……」

「あ、違うってば。そういう意味じゃないから」


 苦笑したノアが答える。言葉足らずだったようだ。


「そうじゃなくて、働くのが嫌じゃないか単純に訊きたかっただけ」

「うーん……。働いたことがないから分からないけど、魔法使いの人たちみたいに自分の能力を役立てられたら嬉しいかな」

「……そっか」

「ただ、僕はこの世界のことを何も知らないからね。まずはそこを補わないと」


 そう言って、エルトゥスは本に視線を落とす。

 アングレカ邸に戻ってからの一週間、読書に明け暮れていたのは、自分に足りない知識を増やそうとしていたからのようだ。


「……じゃあさ、もしボクがエルと仕事したいって言ったら……どうする?」

「ノアと?」


 エルトゥスは首を傾げ、ノアを見つめる。


「僕に務まるなら大歓迎だけど……ノアって学者か研究者になるんじゃないの?」

「えっ、なんで?」


 将来についてエルトゥスに話したことはないはずだ。しかも、何故、職業が固定されているのだろう。

 不思議に思っていると、エルトゥスは「ハヅキさんに聞いたんだ」と補足した。


「ノアは飛び級で大学に入れるほど秀才なのに人付き合いができないから、組織に属さなくても力を発揮できる分野を選ぶんじゃないかって」

「ハヅキ……」


 勝手なことを。ノアはため息を吐く。


 ハヅキの主張はあながち間違いではないのかもしれない。人付き合いが苦手で学者や研究者になった者は少なからずいるだろう。

 しかし、実際は「優秀であれば多少変わり者であっても許される」というだけの話で、たとえどのような職業でも人付き合いは求められる。派閥もあるし、どんな分野に進もうとも、結局、人間関係からは逃れられない。


 それに――今は少年と呼ばれる年齢だから「百年に一度の天才」だの何だのと持て囃されているが、歳を重ねれば「多少頭が良いだけの社会不適合者」になる日が必ず訪れる。

 死ぬまで終わらない競争社会の中、自分より若くて優れた誰かに追い抜かれる日を恐れながら生きていく人生などまっぴら御免だ。


「……まあ、人付き合いができないっていうのは本当のことだけどね」


 一人一人が違う考えを持っている以上、理解し合えない相手が出てくるのは当然のことだ。

 であれば、どうすればいいのか。――極力関わらなければいいのだ。

 考えが合わないなら距離を置き、その代わり、互いに迷惑をかけないようにすればいい。それだけのことだと、ノアは考えている。


 しかし、だ。


 一人一人違う考えを持っている以上、「理解し合えるようになるまで話し合うべき」「自分の考えこそ正しいのだから意見が違う相手は叩き潰しても構わない」と考える者も当然いるわけで。

 そういう場合、距離を置きたい派のノアは精神的に疲弊してしまうのだ。「ボクのことが嫌いなのになんでわざわざ関わりにくるの」と。


「……ボク、小さい頃からこんな感じだからさ。将来どうするかずっと考えてたんだけど……もしエルが嫌じゃないなら、起業して二人で仕事するのもアリかなって」


 ノアは自分の考えをエルトゥスに話す。


「ほら、エルはどんな人の声でも模倣できるでしょ? それを上手く利用すれば〝エルにしかできない仕事〟が誕生して、エルと仕事するボクは極力人付き合いを避けながら働ける。それに、仕事を通して誰かの役に立てるかもしれないし……悪くないんじゃないかって思うんだ」

「……そうだね」


 少し考えたのち、エルトゥスは微笑んだ。


「上手くやれるか分からないけど……上手くやれたら素敵な仕事になるかもしれないね」

「本当? ――じゃあ、前向きに考えてみてくれる?」

「うん。声を模倣する練習、してみるよ」

「やった! じゃあ起業していいか政府に確認するから、前向きに検討してね!」


 ソファーから立ち上がったノアは「断ってもいいけど真剣に考えてよ!」と念押しすると近くにあった紙に質問の要点を纏め始めた。

 まだ本決まりではないとしても、密かに悩んでいた将来に一筋の光が差し込んだようで嬉しくて堪らなかったのだ。



      ✦✦



 起業について当日中に連絡を入れたノアだったが、政府から返答があったのは、それから三日後。ちょうど日が沈んだ頃のことだった。

 結果として、起業は条件付きで許可された。


 「仕事以外で相手の許可なく声の模倣を行わないこと」

 「模倣した声で他人の名誉を棄損しないこと」

 「定期的に監査等を受けること」

 「仕事を開始するのは世間が模造骸骨レプリカ・スケレトスの存在に慣れた頃にすること」――。


 実際に起業する場合はより詳細な条件を設けることになるが、概ね常識的な範囲だと言えるだろう。

 ただ、「公表後しばらくトラビカで暮らすこと」「模造骸骨レプリカ・スケレトスだと分かる姿で出歩かないこと」など、ノアが起業を申し出たのを利用して提示されたような条件もあった。


「……どうする? エル」


 自分のせいでエルトゥスの生活が制限されてしまうかもしれない。ノアは顔に憂いを浮かべて尋ねた。

 一方、ソファーに座った当人は特に思い悩む様子もなく答えた。


「ノアと一緒なら、僕は別にいいよ」

「いいって……そんなに簡単に決めていいの? 政府からあれこれ指示されるんだよ?」

「確かにそうかもしれない。でも、それで仕事ができるなら悪くない条件だと思う」

「……エルがいいなら、そうするけど……」


 どうしても返事の歯切れが悪くなる。今回ばかりはエルトゥスのほうが合理的に判断しているようだ。


「……エルは本当に声の仕事がしたいの?」

「うん。まだ上手く模倣できないけど、僕の能力が誰かの役に立つなら嬉しいし……」


 そう言って、エルトゥスは口を閉ざす。他にも理由があるような口ぶりだった。

 もし別の理由があるのなら教えてほしい。そう思い尋ねると、がいこつのおもてに戸惑うような色が――もちろんノアの主観だが――表れた。あまり言いたくないようだった。


「訊いちゃいけない理由?」

「そういうわけじゃないけど……」


 先程のノア以上に歯切れ悪く返事をして、エルトゥスは目を逸らす。実体のない視線はアングレカ家の家族写真に向けられていた。


「……声の仕事をするようになれば、ノアの力になれるかもって思うから」

「ボクの?」

「本格的に訓練して、どんな人の声でも模倣できるようになったら、ノアのお父さんやお兄さんの声も出せるようになるでしょう? そしたら――」


 僕でも〝代わり〟になれるかもしれないから。

 そう説明して、エルトゥスはノアを見つめた。

 そこに卑下は一切感じられない。


「――何それ」


 父さんや兄さんの声?

 代わり?

 全身の血液が沸き立つような激しい感情の揺れとは裏腹に、ノアの唇から漏れた声は酷く冷たい。


「ノア?」

「ボクがいつ二人の代わりをしろって言った? 『死んじゃった家族の身代わりになって』なんていつ頼んだの?」


 首を傾げたエルトゥスに構うことなく矢継ぎ早に質問する。

 自分でもどうしようもないくらい心が乱れて、刺々しく吐き出された言葉も徐々に熱を帯びていった。


「ボクはそんなこと頼んでない! そんなことのためにエルを大事にしてたわけじゃない!」


 どうして、どうして分かってくれないのだろう。

 どうして伝わらないのだろう。

 『L』はノアのために――ノア・アングレカのためだけに、永い眠りから目覚めたはずなのに。

 ノア・アングレカが求めているのは「失った家族の声で話しかけてくれる模造骸骨レプリカ・スケレトス」ではなく、「共に夜明けを眺めたエルトゥス・アサラ」なのに。


「ノア、僕は――」

「エルの分からず屋!」


 吐き捨てるように叫んで、ノアはリビングをあとにした。そのまま足早に階段を上がり、灯りも点けずにベッドに潜り込む。

 ノアのあとを追って二階まで上がってきたエルトゥスは、けれど部屋に踏み入ることはしなかった。


「ノア……ごめんね」

「…………」

「大事にしてもらったから、何か恩返しがしたかったんだけど……他に方法が思い付かなくて。僕の能力でご家族の声を再現できたら家族の代わりになれるんじゃないかって、勝手に思ったんだ。……ごめん」


 普段と変わらない優しい声に申し訳なさ滲ませて、エルトゥスは謝罪した。

 それきり声は聞こえなくなり、静寂が部屋を包み込む。


「……エルの馬鹿」


 ボクは別に、恩返しなんてしてほしくないのに。

 一人ぼっちの部屋で呟いて、ノアは目を閉じた。

 暗闇の中、閉じた瞼の隙間からこぼれ落ちた涙が枕を黒く濡らしていた。

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