第3話 東京タワーが見える場所 前編【晃視点】
東京駅からそのまま山手線で浜松町駅まで向かった。
芝公園を指定してくるとはいい度胸だ。あそこには増上寺があり、皇居も近く、繁華街のわりには清浄な地域である。あんなところで妖魔が派手に活動するとは、誰も思うまい。むしろ、だからこそ、だろうか。妖魔の考えなどわかるはずもない。障害物のない広いところで戦いたいのかもしれないし、案外東京タワーが見たいだけかもしれない。
浜松町駅で電車をおりて芝公園方面に歩き出したが、やはり強い妖魔の気配はない。取るに足らない悪霊はちらほらいるものの、過労死した人間が会社を恨んでいるだけのようなので、特級退魔師の晃が相手をするようなものではない。
しかし、増上寺の大門をくぐった時だった。
突如、異界に踏み出したような感じを覚えた。
いる、とぴんと来た。とても強くまがまがしいものが、近くにいる。それも、晃を手招きするように気配をあえてさらしている。
やがて増上寺にたどりついた。すぐに向かって左だと察した。都営地下鉄の芝公園駅のほうだ。
巨大な東京タワーが、見えている。
公園に、踏み出した。
いる。
晃はすぐに結界を展開した。
東京タワーから大門までを覆うように巨大な膜を張る。中にいる一般人がことごとく外の亜空間に追いやられる。増上寺の徳の高い僧侶が何人か残ったようだが、彼らなら何が起こったのかを察して黙っていてくれるだろう。
一歩、また一歩と、東京タワーに向かって進む。
四丁目の真ん中あたりに、その男は立っていた。
「やあ」
見覚えのある顔と霊力だったが、タンクトップから生えている腕は普通の人間と同じ二本だ。体の模様も消している。これで一般人に擬態したようである。
「阿修羅、だったか」
名前を呼んでやると、阿修羅は嬉しそうに目を細めた。
「久しぶりだな、藤牙晃。会えて嬉しいよ」
「俺はできれば二度と会いたくなかったけどな」
「そんな意地悪は言わないでくれ」
祥子の霊力の気配を探知しつつ、阿修羅に「祥子はどこだ」と訊ねた。阿修羅は「あそこだ」と言って近くのベンチを指した。
深く腰掛ける形で、祥子がベンチにもたれかかっている。目を閉じていて、眠っているかのようである。ほんのわずかながら呼吸に合わせて胸部が動くので、生きてはいる。ただ、霊力が弱い。
どす黒く粘着質なロープ状のものが、祥子の体をベンチに縛り付けている。あれはきっと阿修羅が霊力で作った縄だ。一種の封印の役割を果たしているのだろう。霊験あらたかなお札と同じものをまったく真逆の意図をもって作ったようだ。
「私の気を注ぎ込んだら意識を失ってしまった。たいした力のない人間でも死なない程度だ、君の娘で強い力を持つ彼女ならそのうち目を覚ますだろう」
それでも祥子に悪い気を注いだのが許せなかった。
右手を握り締めた。体の前、臍のあたりに持っていく。その右手から蒼白い光が放たれた。その光がやがて形を持った。一本の日本刀だ。晃の霊力を具現化した、最強の武器だ。
刀を見て、阿修羅がにたりと笑った。
阿修羅が「フン」と鼻を鳴らした。その途端、阿修羅のタンクトップから腕が生えた。もとから外に出していた二本に加えて、右に二本、左に二本である。
晃は眉間にしわを寄せた。
阿修羅の腕が、欠けていた。左の三本のうち、一番上の腕は、肘から先がなかった。
「ああ、これか」
阿修羅が右腕のひとつで自分の欠損した肘を撫でた。
「君が斬り落とした一本だけ再生できなかった。他の雑魚退魔師にやられたところはしばらく霊力を注ぎ込んだらもとに戻せたのだが、ここだけはうまく生えてこなかったのだ」
それまで余裕そうだった笑顔が、憤怒の形相に変わる。
「こんなことは初めてだ、藤牙晃。君は私から腕を奪った。私は千年の生の中でもっとも強い怒りを感じたよ」
「だから祥子をさらって俺を呼び寄せたのか。復讐か」
「いや、それとはまた少し違う。怒りを感じさせてくれるほど強い君に惚れ込んだのさ」
怒りに燃えて赤くなった顔に、入れ墨のような模様が浮かぶ。
「君を食って私はもっと強くなる」
そして、叫んだ。
「来い、藤牙晃!」
晃は走った。阿修羅に向かって跳び込むように、一直線に駆けた。
刀を振りかぶる。
阿修羅は人間同様頭部が弱そうだった。まずは邪魔な腕をすべて斬り落としてから首を刎ねるのがよさそうだと判断した。この刀で腕を斬るのは効果があるようだ。阿修羅はきっと腕が残っている限り鋼のような手刀で襲ってくるだろう。まずは腕を落とす。
阿修羅は胸を張るように真ん中の両腕を広げた。下の両腕で晃の脇を狙ってくる。それをいったん後ろに跳び退ってかわしてから、左の下の手首を狙う。左の上の手で阻止される。どうやら手の平は金属に勝るほど硬いらしい。だが手首から上は晃の刀なら斬れる。
返す刀で右の真ん中の腕を狙った。今度は右の下の腕が真ん中の腕をかばった。キン、という甲高い金属音が鳴る。
ちょっと趣向を変えて胴体を狙ってみた。今度は四本の手で阻止された。刀をがっちりとつかまれたら終わりだ。思い切り引っ張って後ろに下がった。すさまじい握力だったが、この刀は決して折れない。阿修羅の手の平から血がほとばしる。けれど彼はまったく顔色を変えなかった。
数歩距離を置き、間合いを保ったところで、刀を構え直した。
強い。
「さすがだ」
阿修羅が笑みを浮かべる。
「さすが藤牙晃。君はもうすでに私の弱点を見切っているようだ」
それには少し驚かされた。霊力や経験値が自分以下の人間は阿修羅の弱点すらも感じ取れないらしい。自分が無意識のうちにやっていることが自分の強さを裏付けている。
「だが、知っていることとできることは別だ」
阿修羅がふたたび五本の腕を構えた。
晃はまた、飛び込んだ。
どこでもいいから、腕を斬り落とす。
刀を振るった。
左の真ん中の腕を斬る、と見せかけて、手首を返し、右の上の腕を狙った。
阿修羅の右の上の腕から、紫色の体液が噴き出した。晃のノースリーブのトップスが濡れる。すぐに乾かない。妖魔は強ければ強いほど痕跡を残すものだ。
ひるむことなく右の下の腕に刃を振り下ろした。
右の下の前腕に食い込む。
阿修羅がうめいた。
晃は足を振り上げた。
刀の背に足を乗せた。
下に押す。
阿修羅の右の下の腕が落ちる。
阿修羅が絶叫した。
そのまま左を、と思ったがそれは防がれた。左の二本が紫の体液に濡れた晃の刀を握り締めた。硬い。押しても引いても取り戻せない。
思い切って、晃は刀を捨てた。阿修羅の胴体を蹴りながら後ろに下がった。阿修羅は左の二本で刀を握った状態でうずくまった。
刀が消える。もともと霊力を具現化したものなので、晃の手を離れると形を維持できないのだ。
すぐにもう一本刀を構えた。霊力が尽きない限り、何振りでも生み出せる。
阿修羅は斬られた左の下の腕を見つめた。そして、「ふん」と鼻を鳴らした。
「君はまだ冷静だな、藤牙晃」
おもしろくなさそうだった。
「本気になってくれ。私は君と殺し合いたいのだ」
「何を言ってるんだ? 俺は本気だ」
「やれやれ」
阿修羅が構えを解いた。四本の腕をだらりと下げて、向かって左のほうに歩き始める。この隙に斬りかかれば、と思ったが、右の二本に防がれることは明らかだった。それに阿修羅が何をしようとしているのか気になった。
阿修羅の視線の先を見て、晃ははっとした。
そこには、祥子が眠っているベンチがあった。
「祥子」
慌てて追い掛けた。
けれど阿修羅のほうが一歩早かった。
阿修羅の左の下の腕が、祥子の体を抱え起こした。
阿修羅の右の真ん中の腕が、祥子の右の手首をつかんだ。
「ん……」
祥子が目を開けた。
阿修羅の右の上の手が、祥子の右手の人差し指をつかんだ。
彼が何をしようとしているのか察した晃は、叫んだ。
「やめろ!」
祥子の顔から血の気が引いた。
阿修羅の右の上の手が、祥子の指の関節を無視して、上にねじり上げた。
祥子の右の人差し指が、正常では考えられない形で曲がった。
祥子の悲鳴が響き渡った。
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