祥子とパパ
日崎アユム(丹羽夏子)
第1章 バイトしたい!
第1話 父親に腐女子であることがバレていた
推しているBL作家の新刊を買ったら、受けが自分の父親に似ていた。
SNSのレーベル公式アカウントの告知画像を見た時から、ちょっとこれは、と思ってはいた。
しかし、作者は推し作家である。
SNSでは時々作家の悲鳴が聞こえる。新刊をできる限り早く買わないと作家は困るらしい。高校一年生で出版業界の慣習を知らず、小説や漫画は読む一方でおそらく一生涯書き手に回ることはないであろう祥子には、具体的に何が起こるのかイメージできない。けれど、祥子がおこづかいをはたいて書店の店頭で発売日すぐに新刊を買うと、作家の延命につながるらしいのだ。
推しには一生小説を書いてほしい。できれば祥子が好きなタイプの、最初は反目し合っていたへたれ攻めとツンデレ受けが徐々に仲良くなっていく作品を量産し続けてほしい。だから、祥子は小説を買う。同級生たちにBLを買っていることがバレるかもしれないというリスクを取りながらも、恥を忍んで一般書店で購入している。
その、大事な一冊のクールビューティ系の受けのビジュアルが、祥子の父親に似ているのである。
ふんわりとした黒い髪、大きな黒い瞳、すっと通った鼻筋、すらりと長い手足――うちのお父さんがちゃんとしたらこんな感じ、と思いながら、薄目で絡み絵を見る。
しかも最近は子育てものというジャンルが流行っているらしく、フリーランスのゲームのシナリオライターの受けは姉の忘れ形見であるという幼女を育てていた。叔父であり義父である受けによく似た黒髪ストレートの女の子に、なんとなく既視感がある。
この手の美青年は王道と言えば王道なのだが、なんとなく嫌な気持ちだ。推しに課金したことに満足して、読まずにクローゼットの中の秘密の本棚に封印しようか――
「祥子」
背後の至近距離から名前を呼ばれて、心臓が肋骨を飛び抜けて体外に出そうになった。
振り返ると、そこに祥子の父親の
真っ白な肌はしみもニキビ跡もなく、女性のように滑らかだ。やや薄い唇も小鼻が目立たない鼻も形が良い。年齢にそぐわず少し大きな二重の目には長い睫毛がびっしりと密集して生えている。その黒い瞳はほんのり冷たく、口角が下がっている。
この美しい人がすでに三十二歳の男性で高校生の娘がいるなど、誰が想像できようか。
しかし当の娘である祥子は、父親が若く美しくても特に得しないことを知っている。しかも彼はいわくつきなので、高校の友達には紹介できない。そもそも三十二歳で高校生の娘がいるとは何事か。手の中のBL小説の受けとは違って、晃は祥子の実父である。話せば長くなる家庭事情を、祥子はかなり恥じていた。
晃は美しいが、自称働く主夫である。祥子が知っている彼の姿は、家事をしているところか、居間でごろごろしているところだけだ。今も、ファストファッションの店で買ったジャージのズボン、同じく意味の通らない英文が書かれたロング袖Tシャツ、少し長くなった前髪は髪ゴムでまとめられてちょんまげ状態、胸の前には油汚れのあるエプロンをつけている。いつものスタイルだった。あまりにも所帯じみていて、祥子がこの父をかっこいいと思うことはない。
だいたい、毎日顔を見ているのに、いまさら興奮することもない。
祥子にとって父親は生まれた時からこんな感じで、小中学校の授業参観日にクラスメートの女の子たちがきゃあきゃあと騒ぐのを見るまで、これが普通だと思っていた。
言われてみれば、バズる動画の男性アイドルより整った顔をしているかもしれない。しかし、だから、何だと言うのだろう。しょせんアイスクリームはバニラ原理主義の男である。
今はそんなことを考えている場合ではない。
晃の長い腕が伸び、職業病で節くれ立った手が祥子の手から文庫本を奪い取った。そして乱雑な手でページをめくる。祥子は悲鳴を上げた。
「ちょっと、お父さん! なんで勝手に部屋に入ってくるの」
「呼んだのに返事をしないから。祥子は集中力があるから、また本を読んで夢中になってるんだな、というのを察したわけ。台所から夕飯って叫んだし、ドアの前でも夕飯って叫んだけど、返事がない。だから直接声を掛けることにした。こういう時は肩でも叩かないと反応しないもんな」
「LINEを送ってくれればいいのに、大音量でぴろんと言えばさすがにわかるよ」
「ぐだぐだ言い訳をするんじゃない」
晃の手が止まった。そしてあるページを開いたまま、祥子の眼前に突き出した。挿絵として、ワンコ系の白抜き短髪の攻めが美しい黒髪の受けを組み敷いているシーンが描かれている。二人とも服を着ていないし、顔は紅潮していた。祥子は蒼ざめた。
「祥子はまだ十五歳でしょう」
「いや、これはね、あの――」
「お父さんは祥子にこういうの読んでほしくない。ていうかその、なに、いつからこういうのに興味あるの? なんていうかこれ……、しかも男同士で」
「いやあっ、やめて!」
父の手からBL本を奪い返した。大事に抱き締めて床にうずくまる。そんな祥子の背中を、晃が冷めた瞳で見下ろしている。晃は基本的に怒鳴らない。手を上げることなどまったくない。しかし怒る時は怒る。この冷たい目はかなり怒っている時の目である。
「まあな、今時そういうの偏見の目で見るのはよくないってお父さんもわかる。お父さん小説とか読まないし、そういうのちょっと疎いという自覚もある。でもな、女子高生の祥子が男同士のセックスに詳しくなる必要はないと思う」
「ひっ」
父親の口からセックスという単語は聞きたくない。
「うすうす感づいてはいたけど。祥子がサブスクで見てるアニメ、やたら美少年ばっかり出てきて濃厚に絡んでるな、と思って
迂闊だった。アニメを大画面で見たくて、居間のスマートテレビにサブスクの動画チャンネルを登録してあるのだ。一応晃と祥子でアカウントを分けてはいるのだが、機械の操作に疎い晃が面倒臭がってデフォルト設定になっている祥子のアカウントを勝手に使っているのだろう。
美咲というのは晃のパート先の同僚で晃と同世代の女性である。晃が今の勤め先で働き始めた頃からの長い付き合いで、仕事仲間という枠を越えて、父子家庭の二人のためにフォローをしてきてくれた人だ。祥子からしたら伯母のような存在である。どんなに細かい趣味のことでも情報共有している。
「わたしの視聴履歴勝手に見ないでよ!」
「祥子が見る映画おもしろいのが多いからつい……我が娘ながらアンテナが高い、やっぱり文章を読む子に育ててよかったな」
「ごまかさないで」
「ごまかそうとしてるのはそっちだろ」
晃が腰に手を当てる。
「とにかく、お父さんが汗水垂らして稼いで渡してるおこづかいでえっちなの買うの禁止にするから。今度見つけたら祥子のクローゼットのBL小説全部リサイクルショップに持っていってやる」
クローゼットの秘密の本棚の存在までバレているらしい。祥子は涙が浮かんでくるのをぐっとこらえた。
「プライバシーの侵害……」
「じゃあ自分の洗濯物は自分で片づけるんだな」
「うう……」
「約束だぞ。そういうのは大学生になったらバイトして買いなさい」
金輪際一生買うなと言われているわけではないところに父の愛を感じなくもないが、かと言って三年間我慢するのも耐えられない。
「もうお父さんなんて嫌い」
「言ってろ。お父さんは祥子ちゃんだいすき。じゃあな、俺が風呂に入ってる間に夕飯食えよ、今日は青椒肉絲な」
晃が部屋を出ていった。ぱたんと閉まった扉を、祥子はしばらく恨みがましい目で見つめ続けた。
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