第24話 夜を越えて、陽の唄は届く

「……おい、立てるか? リト。もう、大丈夫だぞ」


 俺は、膝をついて、そっと彼女に声をかけた。

 リトは耳を押さえて、むせび泣いていた。

 小さな肩が震えていた。

 さっきまで、村人たちに囲まれ――あんな恐ろしい目に遭わされて。

 無理もない。


「……教会に戻ろう」


 ここに、ずっと居るわけにはいかない。

 そう思って、リトの震える身体をそっと抱きかかえた。


「……すまん。開けてくれ」


 ドレ村の人たちは、無言で道を開けた。

 武器はもう誰も持っていない。

 ただ、複雑な表情で、道を開けてくれる。

 混乱、後悔、そして……羞恥。

 俺は、倒れているカリム司祭を見ようともしなかった。

 ゆっくりと歩き出す。リトの軽い体を抱きながら。

 彼女の震えは、まだ止まらなかった。


 ◇


 客室にリトを寝かせて、扉を閉めた瞬間、気が抜けた。

 壁に手をついて、思わず声が漏れる。


「くそ……なんで、あんなことに……」


 昨日まで一緒にごはんを食べて、笑っていた人たちが。

 歌を歌って、火を囲んで、夢を語っていた人たちが――リトを囲み、殺そうとした。

 その中心にいたのが、カリム司祭だった。

 信じていた人に裏切られたような気がして、頭の中が真っ白になる。


「…… “教会”が“罰”を望んでいる……」


 ザラド将軍の言葉が、ふと脳裏に浮かんだ。

 聖地。神の意志。影の国。裁きと赦し。

 それらがぐるぐると頭を回って、思考をうまくまとめられなかった。

 でも、まずは――カリム司祭をどうにかしないと。

 そんなふうに、自分を奮い立たせた。


 ◇


「……もうドレ村は終わりだ。異端者を庇うなど、神への冒涜だ……」


 教会の一階礼拝堂。

 カリム司祭は、今にも崩れ落ちそうな声でうなだれていた。


「あなたは、村を守る立場だったはずでしょう?」


 セシリアが、静かに語りかける。

 カリム司祭は、恨みのこもった目で俺たちをにらみつけた。


「お前たちも、終わりだ。救いなどない。神の罰が下るだろう……」


 恨みがましいその言葉に、セシリアは困ったような顔をしていた。

 でも、俺は黙って聞いていた。

 そして、問いかける。


「……どうして、こんなことをしたんですか?」


「あの異端者が……この村を汚す。清めねば……神の名のもとに……」


 その言葉に、色を失った。

“正しさ”じゃない。

 そこにあるのは――ただの恐怖。そして、自分の理屈。


「村人を煽ったことについては? 彼らが“罪”を犯したら、どう責任を取るんですか?」


「それもまた、神の御心だ。罪ではない。我々は……神の代行者なのだ……」


 ――違う。

 罰を与えるのは神であって、俺たちじゃない。

 ましてや、村人に背負わせるなんて。


「……あなたは本当に、“神のため”に、ドレ村を導いていたんですか?」


 カリムは沈黙したまま、指にはめた金の指輪を見つめていた。

 その口からは、低く、呪文のような祝詞がこぼれ出す。

 ……もう、この人とは、まともに会話できそうもない。


「……話になりませんわね」


 セシリアが、冷たい視線を落とす。


「カリム司祭。あなたをソル・フォルジア州教会に引き渡します。民を惑わせ、教義を歪めた罪、償ってもらいます」


 カリム司祭は、ただ虚ろな目で、祝詞を繰り返すばかりだった。


 ◇


 その夜。

 いつもと同じように、炊き出しを始めたけど――空気はまるで違っていた。

 スープを渡しても、誰とも目が合わない。

 挨拶も、言葉もない。ただ、軽く頭を下げるだけ。

 無視でも、敵意でもない。

 ただ――“触れてはいけないもの”のように、扱われていた。

「終わったこと」とでも言いたげな、その空気に、俺たちは何も言えなかった。


 ◇


 慰安活動の終了まで、あと4日。

 曇り空が続き、昼間でも村はどこか薄暗かった。

 そのとき――

 ぱかぱか、と馬のひづめの音が響いた。


「……!」


 マルタが戻ってきた。

 ガルガン州軍の兵を数人引き連れている。

 馬から飛び降りた彼女は、まっすぐこっちへ駆けてきた。


「レオンくん……なにか……あったの?」


「……ああ。リトが見つかった。それで、いろいろ……」


「リトは……無事?」


「……ああ。大丈夫だよ」


 マルタは何か言いかけて、言葉を飲み込む。

 そして――そっと、俺の手を両手でしっかりと握った。


「レオンくん、聞いて。リトは……影の国には返せない。村のこと、知られちゃったから。でも――孤児として、帝国で保護する道があるって。だから、命は助かるの」


「……本当に?」


「うん。レオンくんが助けた命は、ちゃんと生きていける。だから、胸を張って」


 マルタは、今にも泣きそうな顔で笑った。

 その言葉が――俺の胸の中に、静かにしみこんでいった。

 そのとき、教会の扉から、軍の連絡員が出てきた。


 リトを、そっと抱きかかえて。

 リトは、笑わなかった。泣きもしなかった。

 ただ、空をじっと見つめていた。

 俺たちは、黙ってその姿を見送った。


 ドレ村の人たちも、誰一人として声をあげなかった。

 リトを乗せた馬は、だんだん小さくなっていき――


 やがて、視界から完全に消えた。

 それでも、俺たちは、しばらく動けずに、ただ地平を見ていた。


 ◇


 慰安活動の終了の日。

 馬車に荷物を積み込み、村を出発する。

 誰も、俺たちに声をかけない。

 まるで、いなかったことにするかのように。

 俺たちも、何も言わずに歩いた。


 ――そのときだった。


「……おーい!!」


 村の入り口近く――

 子どもたちが、駆け寄ってきた。


「グレン!ありがとう! 剣のこと教えてくれて!!」


「セシリアちゃん!一緒に遊べて、すっごく楽しかった!」


「マルタお姉ちゃん!絶対立派な領主さまになってね!」


「レオンさん!また来てねっ! 絶対だよ!」


 色とりどりの布をまとった子どもたちが、笑顔で手を振っていた。


「せーのっ!」


 ♪ 土を叩けよ 手のひらで

 石をどかして 陽に向けろ

 種を蒔いたら 夢が芽吹く

 陽よ、見ていておくれよな


“陽の唄”。


 あの日、セシリアと農婦たちが歌った、あの歌だった。


 ♪ オー ソーラス テレーニア

 照らせ 我らの畝を

 泣いても笑っても 鍬は進む

 陽よ 見ていておくれよな


 村の大人たちが、子どもたちの歌に気づく。

 そして――一人、また一人と声を重ねていった。


 ♪ 明日は果てなくとも

 今日を耕せばいい

 汗の塩味が パンになる

 陽よ 見ていておくれよな


 歌は空に広がり、やがて村全体を包み込んだ。

 ドレ村が見えなくなっても、歌声は――


 ずっと、胸の奥で鳴り続けていた。


 きっと、ドレ村はこれからも迷う。悩む。

 だけど、そのたびに、思い出してくれるはずだ。

 あの唄を。あの火を囲んだ日々を。


 俺は、信じたい。

 信仰ではなく、俺自身の“意志”として――


 ________________________________________


【Tips:陽の唄(Solaria Terēnia)】

 ソラリス帝国全土で広く歌われる民謡。

 農作業や戦場の士気向上に使われることもあり、八英雄オフィリアが作詞作曲したとされる。

“陽を信じて耕せば、いつか実る”というメッセージが込められており、帝国において希望の象徴とされる。

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