第23話 英雄の剣
「はぁ……マルタ、早く戻ってきてくれ……」
俺は厨房の隅で、炊き出しの鍋をかき混ぜながら、心の中で何度も祈っていた。
リトのことを、領主であるマルタの父に相談するために、彼女は昨日ウルサへ馬を飛ばして向かった。
彼女が最後の希望だ。あとは、もう頼れる人なんていない。
けれど、その日は――
あまりにも早く、やってきてしまった。
◇
慰安活動が終わるまで、あと五日。
曇り空が陽を覆い隠すころ。
いつもと変わらぬ炊き出し準備の最中――外から、妙な騒ぎ声が聞こえた。
「……? なんだ?」
罵声、怒声、叫び、泣き声。
胸の奥が冷えるような、嫌な音だった。
(まさか……!)
俺は厨房の扉を乱暴に開け、外へ飛び出した。
教会の前。
そこには、ドレ村の人々が集まっていた。手には斧、鉈、鍬。
今まで一緒に畑を耕し、火を囲んで笑い合った人たちが――
信じられないほど険しい顔で、狂気に染まっていた。
人垣の中心には、リトがいた。
そのすぐ傍らに立つ、カリム司祭の声が、村人の心を焚きつける。
「皆さん! ここにいるのは、汚らわしきネブラシス! 太陽に背き、我らを脅かす者です!」
民衆の間で、怒号と動揺が渦巻いていた。
「いったいどこから……?」
「異端者は、子どもでも油断できねぇ!」
「匿ってたら、帝国軍に粛清されちまう……!」
「その通りです! 今こそ、異端者を我らの手で粛清するのです!」
カリム司祭が、まるで狂ったように群衆を煽っていた。
「――やめろッ!!! なにやってんだお前ら!!」
俺は怒鳴って輪に飛び込んだ。
カリム司祭の足元で、怯えてうずくまる小さな影――リト。
「……っリト!!」
剣の柄に手をかけ、両目に金の光を灯す。
太陽の瞳の威光に、民衆の動きが止まった。
「レオンさん! なぜそんな奴を庇うの!?」
「まさか……裏切り者じゃないでしょうね!?」
「ネブラシスを庇うなんて、帝国への反逆じゃ……!」
疑心暗鬼が叫びに変わり、混乱の熱が広がっていく。
「……なぁ、落ち着け!リトはまだ子どもなんだぞ!」
「関係ねぇ! あいつらは女も子どもも容赦しねぇ! 今、殺さなきゃ――!」
「今のうちに殺さないと、また来るぞ!!」
怒りに飲まれた男たちの目はもう、殺気しかなかった。
理性がいつはじけ飛んでもおかしくない。
カリム司祭が、嘲るように口元を歪めて言う。
「……レオンさん。身の潔白を証明するために、あなたの手で異端者を粛清しなさい」
ドレ村の人たちの瞳が、恐怖と困惑に染まっていく。
カリム司祭の目が、禍々しく細まる。
……っく、落ち着け、俺!
このままじゃ説得は無理だ…!
この場を止めるには、どうすればいい…!
……。
俺は深く息を吸い――剣帯を外し、ゆっくりとひざをついた。
「俺は……その子を殺さない。リトを匿ったのは俺だ。この子を殺すなら、俺から殺せ」
太陽の瞳を持つ“未来の英雄”が、地に膝をついた。
村人たちはざわめき、次第にその手から武器が下ろされていく。
「レオン……さん……?」
「な、なんでそんな……」
「信じてくれ。リトは襲撃の夜、血まみれで倒れていた。俺が助けただけだ。……嘘じゃない」
「嘘です!影の国と通じて村を襲わせたに決まってる!」
カリム司祭が声を張り上げた――その時。
「嘘じゃありませんわ」
凛とした声が場を裂いた。
セシリアが、優雅に輪へと入ってくる。
「遅れてごめんなさい、レオンさん」
「セシリア……!」
「わたくしも、その子を匿いました。だから、殺すなら、どうぞ私もご一緒に」
さらりとそう言って、にっこり微笑む。
民衆の武器が、ひとつ、またひとつと下ろされていく。
「セシリアちゃんまで……なんで……?」
「なんで? ケガをした子どもがいたから、助けたの。それって、当然でしょう?」
セシリアが静かに言い切ると、武器を下ろす人が増えていく。
皆、戸惑いながら顔を見合わせていた。
「っ!皆さん!騙されてはいけません!奴らの甘言に惑わされては!」
その時――
「だったらよぉ」
荒々しく人垣を割って現れたのは、グレンだった。
「村が襲われそうになったとき、てめぇはどこにいた?」
カリム司祭が、言葉に詰まる。
「俺らが村を見回ってる時、司祭様は教会に鍵かけて震えてたぜ? そのガキを“神の敵”って決めつける前に、てめぇが神に試されてるって、考えたことあんのか?」
誰もが黙り込む。
凍りつくような沈黙が、村を覆った。
その中で、カリム司祭の顔が真っ赤に染まった。
「ッ!!!この痴れ者どもがァッ!! 私が神罰を下してくれるッ!!」
その手に、短剣が光る。
リトに向かって、飛び掛かる。
「リトッ!!」
叫んで駆ける。でも、間に合わない。
――その時。
「くらえぇぇぇえええええ!!」
リトの前に立ちはだかった影――
少年が、リトの前に立ちふさがり、棒を全力で振り下ろした。
カリムの手首に命中。短剣が転げ落ちる。
「この……ガキがっ!!」
カリムが怒りに任せて少年を蹴り飛ばす。
その瞬間――
グレンの拳がカリムの顔に突き刺さった。
吹き飛ばされたカリム司祭は、白目をむいて気絶。
血まみれの顔で、地面に転がった。
棒を持った少年が、誇らしげに笑った。
「やった……!」
グレンがその子に歩み寄って、ポンと頭に手を置く。
「やりゃあできるじゃねぇか、ナイル」
少年――ナイルは、涙と笑顔を混ぜながら、棒を高く掲げた。
◇
太陽が、雲間から顔を出した。
焼けつくような熱ではなく、優しく地面を包み込むような光だった。
――この村の“正しさ”が、今、変わろうとしていた。
暴力を叫ぶ声ではなく、誰かを守りたいと思う気持ちが、人を動かした。
リトを殺せと叫んでいた人々が、黙って地面を見つめていた。
次に何が起きるかは、まだ分からない。
けれど、あのとき、ナイルが棒を振るった“勇気”だけは、確かに真実だった。
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【Tips:ガルガン
ガルガン州の象徴的な州獣。体は大きく、驚異的なパワーを持つが、性格はとても穏やか。
攻撃されなければ決して人を傷つけず、むしろ森で寝ている人間を“保護”しようと巣に連れて帰る例も。
その“優しさと力の共存”から、ガルガン州の理想像として親しまれている。
ちなみに体毛は蜂蜜の香りがするという噂あり。
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