3話 お母さん

「おかえり芽花ちはる。今日の授業はどうだった?」

「普通だよ」

 五人乗りの小ぶりな車の助手席に座りながら、わたしはさっさと家に着くことを願う。車の中では本が読めないし、代わりにスマホをようとしてもお母さんに横から「何を見てるの?」と聞かれるからうかつに触れない。何より、今日の塾の振り返りという、お母さんに話しても何の意味もない話題を振られるのがきつかった。

「そう。普通ってことは、授業についていけてるのね。さすが芽花。今日は英語だったっけ?」

「国語」

 なぜか、ちょっとヘンな転入生と同じ間違いをしたお母さんにちょっとイラっとして、わたしは窓の外に目をやった。薄暗いまちに、カラオケ屋さんだとか焼き肉屋さんだとかの明かりがぎらぎらとついている。こんなにまぶしくしなくたって、カラオケ屋さんに行きたい人は行くだろうし、なんでわざわざ光らせるのだろう。見た目をまぶしくするのに時間をかけるくらいなら、日曜日にカラオケに行くとき、ものすごく待つのをなんとかすることに時間を使ってほしいのだけど。

 ああ、コスパの悪いものを見るとイライラする。でも、お母さんにそれをぶつけても無駄だから、ただ黙ってギラギラした明かりのもとを睨みつけていた。

「芽花、怖い顔をしてるよ」

「いいでしょ、車の中くらい。それにわたしのこと見てないで、前見て運転した方がいいよ」

 そうね、と言いながらスムーズに車を走らせるお母さんは、ややあって言葉をつなげた。

「でもね、怖い顔をしているのが普通になると、他の場所でも怖い顔をするようになっちゃうよ。そうしたら周りの人からの印象が悪くなるから、気を付けた方がいいんじゃないかな」

『チハルって、なんか感じ悪くてむかつく』

 お母さんの言葉にかぶさるように、小学校のとき同じクラスだった女子の声が響いて、わたしはもっと顔をしかめた。

 イライラしているときに顔に出る。コスパの悪そうな人が近くにいると、つい口を出してしまう。さっきのハルカくんという、転校生みたいに。わたしが気付いた時にはもう、どうしようもなく「くせ」になっていた性質のせいで、クラスの人たちと仲良くできない。じぶんでも悪いのはわたしだとわかっている。でも、ものごとを見聞きした時のとっさの反応だから、どうすれば止められるのかなんてわからなかった。

 気を付けた方がいい。お母さんは簡単に言うけど、気を付ける方法は教えてくれない。イライラするときはイライラするし、見ていられない時は口をだす。そうやって生きてきたし、今はアユのおかげで、塾では何とかやっていけているから、まあいいだろう。転入生にうっかり関わりすぎないようにさえすれば、大丈夫なはずだ。

「ほら、今日の夜ご飯はチャーハンにしたから。チハル好きでしょう?」

「……うん」

 わたしの気持ちがもっと重くなったのをさすがに察したのか、お母さんがわざとらしく話を変えた。わたしも、無理やり夜ご飯に意識を切り替えた。

 お母さんは、塾に迎えに来てくれるのと同時に、夜ご飯も作ってくれている。今は夫婦で家事分担をするのは当たり前だというけれど、お父さんが仕事から帰ってくるのはずっと遅い時間だ。だから、平日の家事は基本的にお母さんがしている。わたしが塾から電車で帰れば、少し楽になるのかもしれない。でも、それはお父さんもお母さんも許してくれなかった。中学校の行き帰りの時間なら明るいからいいけれど、塾の帰りの時間は一人では危ないって。アユの家もそんな感じみたいだから、しかたがないのかもしれない。

 中学生になったら、色々なことが変わるかも。ほんの少しだけ、そんな期待をしていた。表向きは「年をひとつとるだけでしょ? 何が変わるの?」とか言っていたわたしも、本当は、変わることを願っていた。わたしのめんどくさい性格がちょっとはマシになるとか、お母さんのコスパの悪い行動を防ぐこととか。でも実際には、何も変わっていない。変わらないまま、二か月が過ぎてしまった。

「どうやったら、変わるのかなぁ」

「ん、何か言った?」

「別に」

 お母さんと話をするのが面倒になって、わたしは目を閉じた。そんなことはないとわかってはいるけれど、次に目を開けた時には今よりましな日々が待っていると願いながら。

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