七


 あるときは、駅前にいた。

 観光地であるようで、目の前の通りには多くの人が行き来している。駅前の広場はロータリーだと思うのだが、車もバスも見当たらなかった。

 駅舎を振り返ると、こぢんまりとした古い木造の平屋がある。屋根が赤く塗られているそれが、あの電車から見えていた駅舎だと、私は知っていた。

 土産物屋や食事処がのきを連ねる通りは、駅前広場から二方向に伸びている。右手側は上り坂に、左手側は下り坂になっていた。私は上り坂の方に向かうことにした。

 緩やかな上り坂を進んでいくと、奇妙な建物が目についた。外壁は黒一色で窓がなく、ひょろりと背が高い。尖った屋根も相俟って、時計塔のように見えるのに興味を引かれ、私は中に入ってみることにした。

 看板はどこにもなかったが、営業はしているようで、入り口の戸が開いている。入るとすぐに下りの階段があった。半地下になっているらしい。

 人一人が通るのがやっとの幅の階段には緋色の毛氈もうせんが敷かれ、両脇に正方形の木箱をそのまま重ねたような飾り棚が作ってある。棚には美しいガラスの杯や、螺鈿らでん細工を施された小物入れ、本物と見紛うような藤の布花が置かれている。

 階段が終わると、陳列棚に民芸品のような雑貨が所狭しと並べられていた。ここは和風の雑貨を扱う店らしい。しかし、店員の姿も客の姿も見えない。

 周囲を見回し、ふと上を見て、私は思わず瞠目した。吹き抜けになった天井から、おびただしい数の吊るし飾りが吊されている。外から見た限り、五階建てくらいの高さがあった。全部が吹き抜けになっているなら、十メートルではきかないだろう。二十メートル近くあるかもしれない。縮緬ちりめんでできた、手のひらに乗る大きさの犬や鳩、蝶、紙風船、草履など、縁起物と思われる様々な人形が赤い紐に連なっている。

 呆気にとられていると、どこかでかたりと音がした。そちらを見ても、誰もいないし何もない。首を捻りながら、ふと、上りの階段があるのに気がついた。黒く塗られているのか、年月のせいなのか、黒一色のそれは壁と同化して見つけ辛い。

 上に行けば誰かいるかもしれないと考え、私は階段を上ってみることにした。

 階段は壁沿いを螺旋状に上へ上へと続いている。しばらく上り、息が上がってきたあたりで見上げれば、まったく先が見えない。見下ろすと、これまで上ってきた相応の高さを見下ろせる。

 おかしい。外から見たときは、こんなに高くはなかったはずだ。

 戻ろうか迷ったが、せっかくここまで来たのだからと、私は上り続けることにした。手摺りにつかまり、息も絶え絶えに上っていくと、先に人影が見えた。それが例の青年のように見えて、私は立ち止まる。先ほど、物音を立てたのも彼だったのだろうか。

 随分と先にいる青年は、疲れた様子も見せずすいすいと上っていく。吊るし飾りに紛れて見えなくなりそうで、私は声をかけた。

「あの! すみません!」

 青年は足を止め、無表情で私を見下ろした。目が合ったのに何も言わず、すぐにまた一定の速度で登り始める。

「待って!」

 聞こえているだろうに、青年はまったく速度を緩めない。仕方がないので、私も彼を追いかけて階段を上った。息が切れる。汗ばんでくる。もう十階分は上った気がするのだが、階段はまだ終わらない。青年の姿は疾うに見えなくなっていた。

 階段に座り込み、諦めようかと迷う私を見透かすかのように、青年の声が降る。

「もう少しだ」

 私ははっと顔を上げた。青年の姿はやはり見えない。しかし、いつの間にか、階段の終点がすぐそこにあった。古めかしい木製の扉がある。

 先ほどまで、そんなものはなかったはずなのだが、今の私にとってはどうでもよかった。もう階段を上らなくて済む、それだけを頼りに私は残りの段を上り、扉に手をかけた。鍵などはないようで、スムーズに開く。

 扉の先はすぐ外になっていて、吹き込んでくる風が心地よい。吊るし飾りが一斉に揺れて、樅の木の葉擦れのような音を立てた。

 長い階段を上ってきたおかげで、街を遠くまで見霽かすことができる。おもちゃ箱をひっくり返したかのような町並みは唐突に途切れ、道だけが続いていく。その先には緑の山々が広がって、赤い鳥居がぽつんと見えた。

「これを見せたかったんだ。おいで」

 青年の姿はなかったが、招かれたので、私は扉の外に出ようとした。しかし、

「違う、それは僕じゃない」

「え?」

 背後からも青年の声が聞こえる。しかし、踏み出した私の足は、既に空を踏んでいた。

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