第4章 私は、斎藤瑞稀です ③笑顔の、仕様書通りに-2
4.3.2 最適化された新入社員
初出勤の朝。
いつもより少しだけ早く目が覚めたのに、眠気は不思議と残っていなかった。
まだ光の差し込まない部屋の中、私はゆっくりとベッドから起き上がる。
鏡の前に立つと、スマートミラーが静かに起動し、ORCAの声が柔らかく響いた。
「おはようございます、瑞稀さん。本日は、空港受付コンシェルジュとしての初出勤日です。幸福スコア予測をもとに、印象設計案を提示しますね」
鏡の中の私は、わずかに寝癖のついた髪を揺らしながら、どこか落ち着いた顔をしていた。
緊張よりも、整っていく自分への静かな期待の方が勝っている。
ORCAが提示してくる複数のヘアスタイル案とメイクパターンに目を通しながら、私は自分の指でそっと髪をとかし、肌にクリームをのせていく。
――誰かに「してもらう」のではなく、自分の手で「整えていく」。
その感覚が、今は心地よかった。
ヘアセットは、ゆるく巻いた長い髪を一方の肩に流すスタイル。
軽やかな動きと香りが残るよう、髪にはほんの少しだけミストを吹きかけた。
メイクはナチュラルに、けれど血色と潤いを大事にする配色で。
頬に少しだけ入れたピンクの光が、私の笑顔を“信頼できるもの”に変えてくれる。
服装の候補もいくつか提案されていた。
パンツスーツ、スカートスーツ、ワンピース……。
私はその中から、フレアスカートのスーツを選んだ。
ベージュがかった優しいグレーのジャケットに、ふわりと揺れるスカート。
ウエストのラインはやわらかに締まり、長い髪とバストの存在感を自然に包み込むようなデザインだった。
――Hカップの胸は、隠すものではない。
派手さではなく、印象を形づくるための“存在感”。
「最終確認です。表情角度:最適。声のトーン:リラックス+2%、親しみ強度:高。笑顔印象スコア予測:92.5」
ORCAの言葉に、私はひとつ頷いて、鏡に向かって笑った。
ちょうどよい角度で、優しく、けれど目を見て話せる笑顔。
鏡の奥の“私”は、もう誰かの不安をほぐせそうな顔をしていた。
***
オリエンテーションは、空港内の研修棟で行われた。
新入社員が20名ほど、男女半々くらい。
皆どこか緊張した面持ちで、制服や業務内容についての説明を受けていた。
私もその中に混じって、黙ってメモを取りながら、周囲を観察していた。
自己紹介は、まだ。
けれど、いくつかの視線が私に向けられているのは感じていた。
「では、女性の新入社員の方はこちらへどうぞ。採寸の準備がありますので」
案内されるまま、私たちは採寸室へと移動した。
パーテーションで区切られたブースの前で、専用の淡いグレーのガウンに着替えるよう指示を受ける。
他の女性たちと一緒に、無言でスキャン用ガウンに袖を通す。
ガウンの布地は薄く、身体のラインが自然と浮かび上がるような設計になっていた。
私の胸は、その中でも一際大きく、柔らかな丸みを帯びて浮かんでいた。
誰も何も言わないけれど――
それは、誰の目にも明らかだった。
スキャンの番が回ってくる。
私は無言で指定された位置に立ち、スキャナーのガイダンスに従う。
「斎藤瑞稀さん、採寸開始しますね。……あっ、少々お時間いただきます。既成サイズでは対応が難しいかもしれません」
担当のスタッフがモニターを見ながら、微かに眉を上げた。
「Hカップで、このバストライン……非常に美しく整ってますけど、標準制服では胸まわりが合わないですね。すみませんが、特注対応になります。制服の支給、少しだけ遅れると思います」
私は「はい」とだけ答えて、頭を下げた。
特に恥ずかしさもなく、ただ、胸が“そういう存在”なのだと再確認しただけだった。
制服のイメージがホログラムで映し出される。
ベージュ×ネイビーの落ち着いた配色、品のあるスカーフがアクセントになっている。
その制服に、私の胸は、確かに目立つかもしれない。
でも、それは過剰でも下品でもなく、むしろ“場を照らす安心感”として、うまく収まっている。
――華やかで、やさしくて、信頼される。
それが私の身体の役割なら、きっと意味のある“美”なのだ。
研修後、1人の先輩社員に声をかけられた。
「斎藤さん、声がすごくやわらかくて……聞いてると癒やされる。第一印象、ほんとに完璧だったよ。期待してるね」
私は思わず微笑んでしまった。
「ありがとうございます。がんばります」
その声の出し方、笑顔の角度、目線の合わせ方――
すべてが私の中で、もう“自然なふるまい”になっていた。
あの空間で、私の胸も髪も声も、きっと誰かの記憶に残るだろう。
そして、それはただの外見ではない。
最適化された“私”という存在、そのままの証明だった。
幸福スコアは、その夜、94.2を記録していた。
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