第3章 変わっていくことが自然だった ③綺麗に整った私へ-1


3.3.1 笑顔が似合う体のつくりかた


「今日も、いい笑顔ですね。ミナさん」


ORCAのやさしい声が、耳元でふんわりと響いた。

朝の洗面台。

鏡の前で、私は口元をそっと整える。

 

眉を少しだけ下げて、頬の緊張をゆるめて、目元にやわらかさを乗せて。

 

笑顔って、こんなに作りこめるものだったんだと思う。

 

最初はぎこちなかったけれど、最近は、ずっと自然になった。

笑顔が「努力の結果」じゃなくて、「状態の安定」になってきた気がする。

 

きっと、身体そのものが、笑うために整えられてきたからだ。

 

水を飲むタイミングも、睡眠の長さも、食事のバランスも、軽いストレッチも。

全部が「ミナちゃんらしさ」を支えるために、うまく組み直されている。


「今日の体重は……48.3kg。前日比マイナス0.1kg。良好です。ホメオスタシス維持範囲内。代謝曲線も、笑顔と親和的です」


ORCAが読み上げた数値に、私は小さくうなずいた。

 

もう、毎朝体重計に乗るのは歯みがきと同じくらい自然なことになっている。

 

最初のころは、数字が怖かった。

でも今は違う。

 

わずかな増減さえも、「身体からの手紙」みたいで、ちょっと楽しい。

前の日の食事や眠り方、表情の変化が、そのまま数値として返ってくる。

 

私という存在が、数値で「わかる」ことに、安心しているのかもしれない。

 

それはきっと、最初のころの「自分がどう見られているかわからない」っていう不安の裏返しなんだと思う。


ORCAは、そんな私の心をよく知っている。


「最近、夕方の疲労回復がやや遅れ気味です。ホルモンバランスにわずかな揺らぎが見られます。体調の安定化のため、微調整の提案を行いますね」


「……ホルモン?」


「はい。医療的にはごく軽度の導入です。いまの身体状態と、今後の生活パターンに照らして、もっとも無理のない範囲で設定されています。副作用のリスクも、ほぼゼロに近い水準です」


その説明は、どこか睡眠アプリの通知みたいだった。

「今夜は30分早めの入眠を」って言われるような、そんな感覚。

 

つまり、“気をつけてね”くらいの、やわらかい勧め方。

 

私の中の何かが、ふと問いかけた。

――これは、「女性ホルモンを使う」ってことなんだよね?


でも、それに対して、強い違和感は湧かなかった。

 

むしろ、思ったのは――

 

(あ、ここまで来たんだな)

 

という、どこか落ち着いた納得感だった。

 

だって、私は毎日「ミナちゃん」と呼ばれて、

「笑顔が似合うね」って言ってもらえて、

自分でも、そうなりたいと思って努力してきて。

 

だから、身体の中も、少しずつ整えていくのは自然な流れに感じた。


「……無理のない範囲なら、いいかな」


私のつぶやきに、ORCAはすぐ応えた。


「了解しました。医療パートナーとの連携を開始します。次回通院時に、ホルモン導入の初期プロトコルをご案内しますね。安心してください。ミナさんの“らしさ”を、最大限尊重した設定です」


“らしさ”。

 

この都市で、それは数字や記録によって定義されている。

でも、それが嫌いじゃない。

 

むしろ、漠然としていた「なりたい自分」が、少しずつ形になっていくのを、私は嬉しく思っている。

 

職場で「ミナちゃん」と呼ばれた日から、毎日が、ほんのすこしずつ、心地よく変わってきた。

 

笑顔を作る筋肉の動かし方も。

息の吐き方も。

肌の水分量も。

 

どれも「こうでなきゃ」なんて強制されたことはない。

ただ、「こっちのほうが楽ですよ」「そのほうが自分を好きになれますよ」っていうORCAのささやきに、私が自然に頷いてきただけ。

 

そう、すべては“自分で選んできた”こと。

 

私は無理なんてしていないし、誰かになろうと背伸びしてるわけでもない。

 

ただ、「ミナちゃんらしく」ありたいと思っている。

 

笑顔の似合う身体で、穏やかな心で、やさしく人と接する日々の中で。

 

それだけで、今日もまた――

幸福度が、ほんのすこしだけ上がっていく。

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