第一章:ニ 選ばれし者

 都市の東部にある〈共演空間スタジアム〉は、今朝も人で埋め尽くされていた。

 リアヴァース上に浮かぶ六角形の仮想武道殿――通称「六堂」。

 中央競技区に接続された第七演武空間。

 観覧席からは音すら漏れない。観衆の息を呑む気配だけが、空間を静かに圧迫していた。


 視覚も音も、感触さえも“実物”に限りなく近い。だが、それは実物ではない。


 それでも観客たちは、そこに立つ男を実物として見ていた。


 ――シュウ。


 準決勝、第二試合。

 シュウ・モウ 対 リョウ・クロス。


 円形の舞台に向き合った二人が、互いに一礼する。

 電子音によるカウントはなく、主審の手が下りる――


 「始め!」


 足音すら響かない踏み込み。

 シュウがわずかに前進。リョウは構えたまま動かない。


 数秒の静寂。


 観衆には一見無動にも見える間合いだが、

 この時代の格闘術は“見る”ものではない。“感じて読む”世界に進化していた。



 西暦3000年。

 人類はこの千年で、身体そのものを進化させた。

 遺伝最適化、微細神経調律、超感覚訓練――生身のまま、反応速度も、平衡感覚も、常人とは桁違い。


 武道もまた進化していた。

 姿勢、視線、皮膚感覚、呼吸の“ノイズ”すら読まれる世界。

 そこでは、先に動いた者が負けることすらある。



 先に動いたのは――リョウだった。


 踏み込みと同時に重心を消す。

 その動きは、まるで“地面に吸い込まれる”ようだった。


 「……!」


 シュウが対応する。ステップではなく、空中でわずかに脚を捻り、回転反転式の浮足受け。


 リョウの足刀が空を切る。

 わずかに軌道が逸れたそれは、シュウの肩にかすめるだけで済んだ。

 だが、そこまで読んだリョウが次の手を出すのが早かった。


 拳ではない。掌底。

 シュウの重心の崩れを利用し、真下から“肋”を狙った一撃。


 だがシュウは、空中で体を“反転”させ、地面を蹴らずに後方へ滑空する。

 脚で踏み切るのではない。筋肉のねじれと重力圧を利用した、空間内移動。


 (読んでいた……)


 リョウの目が鋭くなる。


 再び接近戦――!


 二人は円を描くように動きながら、拳と足を交差させる。

 中段突き。膝蹴り。肘打ち。受け。払う。すり抜ける。

 互いに“直撃”を避けながら、寸前で止める。


 技が当たれば壊す。だから当てない。

 精密な殺意の交換。



 リョウ・クロス。

 人間でありながら、“極限の静”を身に宿した男。


 彼は空手の旧式流派を現代に最適化し、“重力無視”の体術に昇華させた唯一の使い手。

 超柔軟な骨格と、後天的な反射神経強化技術によって、視界外からの攻撃すら捉える。


 対するシュウは――

 何も特別な強化技術は使っていない。

 だが、流れるような“間合い”の取り方だけが異常だった。


 まるで次の展開を“知っている”かのように。

 後れを取らず、無理をせず、それでいて芯を捉える。

 リョウでさえ、焦りを感じるほどに。



 終盤。


 リョウが、一瞬だけ微笑んだ。


 (もう仕掛けるしかないか)


 跳ぶ。高く。天井近くまで跳躍し――

 空中で身体を三回転させながら急降下。


 “崩れ隕鉄(メテオ・ドロップ)”。

 この技で過去、幾人も叩き潰されている。

 衝撃判定ではAIも一時的に干渉するレベルの重撃。


 シュウは逃げない。

 地面に手をつき、下半身を捻って構えた。


 (来い――)


 衝突。しかし直前で止まる。


 その瞬間、シュウの足がリョウの胸前に伸びた。


 寸止め。だが、完璧な間合いとタイミングだった。



 審判:

 「一本! シュウ・モウ、勝者!」



 リョウが微かに笑ったまま立ち上がる。


 「……俺の負けだな。」


 「そんなこと、ないよ。」


 「あるさ。だから――面白い。」


 リョウが差し出した手を、シュウは躊躇なく握った。

 その手は強く、温かく、人間そのものだった。



 上空スクリーンに、結果が浮かぶ。


 《準決勝終了》

 《決勝進出:シュウ・モウ》

 《対戦相手:クロエ・イルマ》



 観客席の最上段。

 シンがゆっくりと立ち上がる。

 拍手はせず、ただ目を細めて、友の姿を静かに見つめていた。

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