『おてんば姫と敬語になった日』

中庭の花壇。

レンハルトは草抜きをしていた使用人に静かに声をかけ、代わるように促していた。

そこへ、ふわりと風に乗るように声が届く。


「また真面目に働いちゃって。ねぇ、あたしとさぼろ?」


花壇の奥から、ドレスの裾を汚すのも気にせずしゃがみこんだリリアが、いたずらっぽく笑っていた。


リリアの泥だらけのドレスを見て小さくため息をつく。


「……姫、また服汚してる」


「土いじりするのに、汚れないわけないじゃん」


「それ、王女の言うセリフじゃないです」


「うるさーい。レンだって昔は一緒に泥だらけになってたくせに」


リリアはふふんと得意げに笑う。

そう、昔は。まだ“お姫様”って呼ぶのが変な感じだった頃は。



レンは、手にしていた布でそっとリリアの指先を拭った。

その仕草だけで、彼女はすぐに気づく。


「……ねぇ、最近ちょっとおかしくない?」


「何がです?」


「言い方。レン、あたしに“です”とか“ます”とか使うじゃん」


「別に……普通です」


「ぜんっぜん普通じゃないっ!」


リリアの顔がむくれたようにゆがむ。


「昔みたいに“リリア”って呼んでよ。敬語なんかやめて」


「……」


言えなかった。

さっき通ってきた廊下の奥で、聞こえてしまったんだ。

「またあの平民の子ね」「あんなのが姫様のそばにいるなんて」

――そんなささやきが、確かに耳に残っている。


「……呼び方を変えたって、別に距離ができたわけじゃない」


そう言いながら、レンは目を合わせなかった。


「距離できたよ」

「……」

「レンがそうするなら、あたしも“ローレンハルト様”って呼ぶから」


その言葉にはっとして、レンが振り向くと

リリアは少しだけ、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「リリア」


思わず、その名を呼んでしまった。敬語じゃなく。


リリアの瞳がふっと揺れて、すぐに顔を背けた。


「……ばーか」


それきり、何も言わずにしゃがみ込んだ彼女の背中を見つめながら

レンは、黙ってその隣に座った。


それがきっと、はじまりだった。


“リリア”と“姫様”の境目を、自分の中でつけなきゃいけないと、思い始めた日だった。

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