『おてんば姫とつけられた名前』

ヴァルモント王宮の一角――

いつもは静かな使用人用の事務室が、この日は少しざわついていた。


「……で、君の名前は?」

「……レンハルト」

「名字は?」

「ないです」


机の向こうの事務官が顔をしかめる。

王宮の正式な記録に、“名だけの者”を載せるわけにはいかない。

けれど、目の前の少年は、王女リリアーナのお気に入りであり、今日から“姫付き”の従者になる予定だった。


「どうするかねぇ……。まさか名前だけとは……」

「はーい、名字、つけたげるー♡」


突然ドアを開けて入ってきたのは、当の王女本人だった。


「リ、リリアーナ様……ここは使用人用の――」

「うるさい。お城の中で一番ヒマな時間だったから来てあげたの♡」


レンは小さくため息を吐いた。

何かが起こる予感しかしない。


「えっとねー、ローレンハルト・アーデルンってどう?響きが良くない?」

「……今、思いつきで言っただろ」

「ちがーう!昨日から考えてたの!……五分くらい♡」

「……それを“昨日から”って言うのかよ」


事務官は口を挟むタイミングを失い、ただ記録用紙に名前を記す。

“ローレンハルト・アーデルン”――

それが、少年が王宮に登録された名前となった。


「いいじゃん、超かっこいいじゃん?ローレンハルト・アーデルン!」

「長い」

「姫にはそれくらいの名前がふさわしいのっ!」

「俺は姫じゃない」


「アーデルンってね、意味はないの。でも、あたしが“貴族っぽく聞こえる名前”で一番かっこいいと思ったやつ!」

「意味ないんだな……」

「うるさい!“意味”じゃないの!“響き”と“雰囲気”なの!」

「……」


「ねぇレン、あんた自分の名前、誰がつけてくれたか知らないって言ってたでしょ?」

「……ああ」

「だから、あたしが“最初にあげた”の。ちゃんと、“大事な人にふさわしい名前”をね」


少し得意げに、でもどこか照れくさそうに笑う彼女に、

レンは何も言えずに視線をそらした。


あのとき、周囲は反対した。

「平民に姓を与えるなどもってのほか」

「姫付きなど言語道断」

でも彼女は気にしなかった。いや、むしろ楽しんでいたようにすら見えた。


「これで文句言われたら、あたしが“この名前がいいって言ったの”って堂々と言えるでしょ?」

「……だから勝手につけたのか」

「うん♡」



それでも、レンが強く否定しなかったのは、

リリアが“ローレンハルト”という名を、ほんの少しだけ誇らしげに呼んだからだった。




夜、現在。


「……やっぱり変な名前…」

「え?アーデルンって名前?それともローレンハルト?」

「両方」

「はぁ?もう十年近くも使ってるくせに今さら文句言うとか、意味わかんない」


そう言って笑うリリアの声は、少しだけ嬉しそうだった。

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