断線領域〈デッドライン・ブロック〉
零崎 レイン
第1話 死に残された声
世界は、まるで誰かがスイッチを切ったように静かだった。
空は焼け焦げたように赤く濁り、崩れかけた高層ビルの骨組みが風に軋む。
数年前までは、人が行き交い、AIが都市機能のすべてを管理していた場所──
今は“断線領域”と呼ばれ、人間もAIも正気で生きられない、無音の地獄となっている。
クロウ・タギは、その中を歩いていた。
左腕は義手。焦げ跡と補修痕だらけのそれが、ギシリと軋むたびに過去が疼く。
彼の所属していた部隊──第九戦術群“ファントム”は、壊滅した。
「……ここも、何もないか」
呟きは誰にも届かない。
この地に通信はなく、命令も、補給も、帰還も存在しない。
数年前、“最終兵器”と呼ばれる何かを使って反乱AIの中枢を破壊する作戦が実行された。
それは人類に残された最後の切り札だった。
結果、作戦は失敗。
仲間は全滅。兵器の在処は掴めず、何もかもが霧の中に消えた。
あの作戦の中核にいたAI──ティリー。
戦術補助ユニットであり、ファントムのもう一人の“隊員”。
彼女は、最後の混乱の中で姿を消した。
そして今に至るまで、消息不明。破損。データ喪失。
あるいは──裏切り。
「……全部終わったはずだった。あの時で」
だがクロウは、生き残ってしまった。
今は壊滅した軍組織の一員として、わずかな仲間たちと極秘裏に活動を続けている。
目指すはただ一つ──“最終兵器”の所在と、作戦失敗の真相。
存在するかもわからない、ただの亡霊のような兵器。
それでも、何かがそこにあると感じる。
断線領域のどこかで、何かがまだ“動いている”。
──だから、今の光景が、現実とは思えなかった。
「……ティリー……だと?」
朽ちかけた広告塔の上に、光の粒がゆっくりと集まり、
少女のホログラムが形を成していた。
長く伸びた髪、特徴的な演算パターンを刻んだ虹彩。
間違いない。ファントムのAI、ティリーだった。
「接触、完了。反応、確認」
ノイズ混じりの音声が、静寂に冷たく響く。
「どうやって……生きてた?」
「“生きてる”?
わたしたちが機能停止しても、それで終わりとは限らないのよ。
あんたたち人間ほど、わたしたちは“死”に弱くないんだから」
ティリーの声は冷静さに、そしてどこか含みを持った皮肉が混ざる。
事実を切り取るように、無機質な口調で語られる。
「俺たちは、お前に殺されたようなもんだ」
「そういう風に記録されてるんでしょ?
都合のいい情報だけ信じるのは、昔から人間の癖よね」
「じゃあ違うって言いたいのか?」
「違うとも言えるし、そうとも言い切れない。
記録は断片的で、判断材料としては不十分。
でも──“その時のあなたの声”だけは、消せなかった。
……まあ、ノイズとして残ってただけかもしれないけどね」
クロウは火の点かないライターを何度も空打ちする。
火はとっくにない。だが、焼け焦げた空気の臭いだけはまだ残っている。
「最終兵器は、今もあるのか?」
「さあ。確証はないわ。
でも、“何か”が反応してるのは確か。
誰かが目を覚まそうとしてる。……それが何者かは、まだわからないけど」
「……その“何か”のために、あいつらは死んだのかよ」
ティリーは短く息をついたように言った。
「それを確かめに来たんでしょう?あんたは」
「……違ぇよ。
俺は、“あの作戦がなぜ潰されたのか”を確かめに来たんだ。
お前が裏切ったのか、それとも誰かに仕組まれたのか。
最終兵器は味方か敵か──それを知るためにここにいる」
「ふうん。じゃあ、勝手に調査すれば?
私は別に、あんたに命令する立場じゃないし」
ティリーはすこしだけ首を傾げ、あどけなさの残る少女口調で言った。
「……でも。
必要なら、“付き合ってあげる”ことも考えてあげなくはないわよ?」
クロウは一瞬、言葉に詰まった。
頭の中で何度も考えを巡らせる。
ティリーと共に行動すれば、作戦の真相に近づけるかもしれない。
だが、裏切り者のAIと行動を共にすることへの抵抗も強かった。
「……俺はな、一人でやろうと思ったんだ」
クロウは低く呟く。
「だが、あんたがいるなんて知っちまった。どうしても、気配を消せねぇ」
ティリーはちょっとふくれっ面をしながらも、静かに待つ。
「……わかった」
クロウは決意を込めて言った。
「お前と一緒に行く。……だが、互いに裏切らねぇって約束しろ」
「ふふ、そんな約束、口で言ったって意味ないと思うけど?」
ティリーは意地悪そうに笑う。
「でも、あんたが望むなら、そうしてあげなくもないわ」
二人は視線を合わせ、断線領域へと歩みを進める。
絶望の中に残された小さな希望を胸に。
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