第二章 『愛餌』

第1話 珈琲


 眩いばかりの日差しを燦燦さんさんと照り付ける白い太陽と、その白を受けてキラキラと輝く古都の街並み。道行く人々は、優美で高貴な服装に身を包み、遠くでは婚姻を告げる鐘がリンゴンリンゴンと鳴り響く。そんな豊かさを絵に描いたような国で、二階のカフェテラスから鮮やかな街並みを眼下に眺め、珈琲を優雅にたしなむ少女が一人。


 脇には御付きの青い毛並みの狐を侍らせ、まさに、貴人の如き風体で珈琲を一服。


「朝から穏やかな気持ちで珈琲を一杯……。仄かな酸味が鼻を抜けるこの感じが堪らないよね。これぞ、大人の朝っ……!」

「さっきミルクどばどば入れてたよな」


 彼女のテーブルの上には、先ほど店員が置いていったクリーマーピッチャーの姿が。既に中身は空洞を落としていた。


「大人には、この苦みが堪らない……っ」

「角砂糖何個入れてもらったんだっけか? 三? 四? もっと多いか、六とかか?」


 少女がカチャリと音を立てて、珈琲カップをソーサーの上に置く。取っ手を掴んだ指がプルプルと震えて、中のクリーミーなベージュ色の液体が辺りに飛び散る。


「もう! さっきからなんなのさ! ひとが折角優雅なモーニングを愉しんでいるっていうのに!!」


 咆哮。ついに少女は優美さとは縁遠い赤い顔をして切れた。しかし、『なんなのさ』と問われたお付きの狐は、主の立腹などまるで意に介さずに呆れ顔を向け、更に追い打ちをかける。


「そもそも取っ手に指を通して持ってる時点で違う。親指と人差し指でつまむようにして持つのが常識だぞ」


 言われて、周囲をぐるりと見まわした少女は自分たちを見てくすくすと笑い声を漏らしている人たちの指に着目した。皆、彼が言うように取っ手を撮むようにして持っている。つまるところ、今の今まで彼女は、間違った認識で、優婉閑雅ゆうえんかんがな女性を演じようとし恥を晒していたというわけだ。そのことに気が付いた少女は急激に顔を赤くする。


「田舎娘」


 慙愧ざんきに堪えず、テーブルに俯せて顔を腕の中に隠した彼女ベルは、付き人ルアンの駄目押しに何も返すことはない。


 まったく優美な朝のひと時であった。




「お待たせいたしました。こちら、モーニングのハニートーストでございます」


 テーブルの半分の面積を占めて腕を伏せていた迷惑な彼女の元へ、店員が注文の品を運んでくる。鼻腔をくすぐる甘い匂いに、思わずベルは飛び起きた。


「はわぁあああ……」


 こんがりと焼き色を付けて網目状に切れ込みの入ったトーストの上に、塊のようなバターの載った一品。回し掛けたどろりと黄金色に輝く蜂蜜がこれでもかと食欲をそそられる。ベルの瞳が爛爛と輝く。


 先までの脱力はなんだったのか。素早くテーブルチェアに居直った彼女は、ハニートーストと一緒に置かれたナイフとフォークをそれぞれ片手に、切り分けていく。


 そして、「いただきますっ」と短く唱えると一息にトーストを口に放り込んだ。


 瞬間。


「あっまあ~~~~い」


 でろんでろんに崩壊した顔で、彼女は恍惚な表情を浮かべた。そのあまりの変わり様にルアンは若干ぞくりとするものを感じた。こうなった主は止まらない。ルアンは無心で自分の前に置かれたベーコンエッグをはぐはぐと貪るのだった。


 そうして、ルアンが顔を上げる頃には、あっという間にハニートーストは全てベルの胃の中に納まっていた。


「美味しかったあ……」


 ベルが余韻に浸り、感嘆の声を上げて完食を告げたとき。するとそこへ、一組の老夫婦がベルたちの前を横切った。その老夫婦の一人の女性がベルに声を掛ける。


「お向かいに座っても?」

「えっ。あっ、はい。大丈夫です」


 ベルたちの座っているテーブルは四人掛けの座席で、ルアンはベルの真横で地べたに座っているため、対面の席は空いている。店はそれなりに人が集まっていて、満席の様相を呈しているので、少しでも座れるならばと声を掛けてきたに違いなかった。男性の方は手に杖を突いた、白髪が目立つ身形の老紳士で、それなりにお年を召していることが見て取れる。女性の方は男性よりもやや年若い老婦人で、「ごめんなさいね」とベルに頭を下げ、男性を自分の隣に座るよう誘導する。


「ご夫婦で来られたんですか?」

「ええ。そうなの。主人も私もここの珈琲がお気に入りでねえ。ここの珈琲の豆は格別なの、他ではこの酸味は味わえないのよ」


 老婦人がベルの世間話ついでの質問に、柔かな笑みを浮かべて解答する。


「そうなんですね~」


 言って、ベルは空っぽになったクリーマーピッチャーを手のひらの中にさり気無く隠した。


「あなたは旅人さんかしら」


 幸い、老婦人には見えていなかったらしい。皺の刻まれた落ち着いた微笑を湛えてベルに聞いてくる。彼女が積極的にベルに話しかける一方で、男性の方はどうやら寡黙な方らしく、目の焦点をベルに合わせることなく、じっとルアンのことを見つめていた。


「そうですよ」


 老婦人の質問にベルが答えれば、彼女は華やかに顔を綻ばせた。そんな彼女の美しい所作を見ながら、ベルはこれが大人な淑女というものか……と改めて自分の振舞いの幼さを恥じるのだった。


「ねえ旅人さん。もし、貴女がよろしければだけれど。私たちの注文が届くまで、旅のお話を聞かせてくれないかしら」


 この豊かな国で、外から来た人というのは珍しくないだろうに、老婦人はにこにことした視線を送りながらベルにそのようなことを頼んできた。裕福が故に刺激を求めているのかもしれない。


「いいですよ」


 旅をしていれば、こういった頼みをされることはよくあることだ。急ぐ理由もないし、とベルは老婦人に旅の記憶を語って聞かせることにした。


「これは、とある国のお話です。そこは、科学の発達した場所で、『愛餌アイエ』と呼ばれる人間のような姿をした機械人形が人と一緒に暮らしていました」




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