002 福利厚生が異世界の森ってなんの冗談ですか? もう、慣れましたけど……




「まずは、店と私有地の森を案内するよ」


 琉央はそう言うと、ショップへ向かって歩き出した。

 玄関ドアを押し開けると、静かな店内にドアベルが鳴り響く。人の気配は全くなかった。


 店内は北欧モダンスタイルで、天井は梁の見える吹き抜けになっていた。

 奥にはレジカウンターがあり、中央のショーケースに一点物のオリジナル・ジュエリーが並んでいる。


 葉月はまず、ガラス越しにオリジナル・ジュエリーを見た。いちばん気になっていた部分だった。


 スナップ写真の画像は荒くても、デザインは素敵だった。

 思った通り、一品一品が繊細な作りをしていて、想像以上に美しい。


 窓から見える位置に、商品棚が設置されている。そこに並ぶアクセサリーは、比較的価格の抑えられたものだ。

 半貴石とシルバー製のチョーカーやイヤリング、ピアスなども置いてある。


 これなら、若い女性から結婚や婚約を控えた人、年配の女性まで、幅広い世代に受けそうだと感じた。これからのホームページ作成とオンラインショップへの登録が楽しみで仕方がなかった。

 その話をしようと琉央のほうを向く。


 彼はショーケースの前でぼんやりと佇んでいた。

 斜め下を見下ろし、一点を見ているようで見ていない。話しかけるのを躊躇とまどうほど寂しそうで、まるで、迷子の子供のような瞳だ。何か、どうしようもないものを心に抱えているのだと葉月には映った。


 その感覚には覚えがあった。

 葉月が子供の頃に感じた居場所のない寂しさ。彼の瞳は、その頃に鏡で見た自分と同じだった。


 葉月の母親は、葉月が五歳の頃に義父と再婚をした。

 葉月は邪魔者のように扱われ、子供の頃は義父がいない時にしか母親の近くにいられないこともあった。葉月にとっては、一人ぼっちになったのと同じだった。


 時が癒すしかないような、抱えきれない心の孤独。

 そのやりきれない気持ちが痛い。

 それは、葉月も同じだった。


「あ、あの。宝石、素敵です。人目に触れさえすれば、買ってくれる人はたくさんいると思います」

「ありがとう。気に入ったのはある?」

「はい。さっきいただいたイヤーカフが一番好みです。大切にしますね!」

「欲がないね」

「本当に……充分です。わたし、頑張りますね。月森さんがここにお店出して良かったって思えるように頑張ります!」

「うん。俺は訳があって都内に店は持てないんだ。それと、苗字だと慣れないから琉央と呼んでほしい。俺も葉月ちゃんって呼ばせてもらっていいかな?」

「はい。わたしも琉央さんって呼びますね」


 瑠璃色の瞳が葉月を捕らえる。切なくて、心臓が高鳴る。これから二人で暮らすのだ。

 琉央の触れた耳が熱い。


(これって? 運命の恋? いやいや、できすぎでしょ。でも、好きになっちゃっても、いい、……のかな?)


 琉央は何事もなかったように歩き出し、玄関を挟んで右側のガラスドアを開ける。南側の窓の近くには、来客用の応接セットが置かれ、北側の奥には大きな作業机と、真新しい小さな机が置いてあった。


「ここでジュエリーを作っている。葉月ちゃんはこっちの机を使って」


 かわいらしい白い机を指さす。近くて見ると非常にこだわったデザインをしていた。


「これって? 琉央さんの手作り?」

「そうだよ。現金はなくても、木は好きなだけあるからね」


 葉月は琉央の手を改めて見つめ直した。

 指が長く、節がしっかりとしている。葉月の耳に触れた時も、迷いなくイヤーカフを滑らしていた。まさに、一つ一つ丁寧に仕事をこなす職人の手だ。

 実直さと美しい外見。このギャップは、職人として損をしていそうだ。


(琉央さんをホームページに載せれば、集客効果がありそう。だけど、彼にとってはきっと負担だわ。それに、もしかしたら結婚を前提とした交際に発展するかもしれないし……、彼を取られちゃったら嫌だしな)


 少々気が早い自分に赤面しつつ琉央の後ろを歩く。

 琉央は展示室に戻り、『Staff Only』と書かれた扉を開けた。「どうぞ」とドアを開けたまま手招きしている。

 そこを通り抜けるときに、不思議な感覚がした。肌に触れる空気がまろやかに軽くなったように感じたのだ。


 扉の向こう側は、ダイニングキッチンになっている。アイランド型のキッチンと少し大きめなダイニングテーブル。部屋の奥には大きな窓と真っ白な扉。

 左右の壁にも一つずつドアがあり、右が緑色で左が瑠璃色のドアだった。


「真ん中のキッチンとダイニングは共用で、右側が葉月ちゃんの部屋。こっちが俺の部屋。部屋の鍵を渡しておくね」


 緑色の硝子玉が嵌められたアクセサリーのような鍵が手渡された。

 葉月はひとまず、部屋に荷物を置きに入った。ベッドと一人用のテーブル、クローゼット。ユニットバスとトイレ。東と北に大きな窓。揺れるカーテンに誘われるように窓の外を見る。


「え? えぇー!?」と思わず大声を出してしまった。


 しかし、それは仕方のない事だと思う。窓の外が異常なのだ。明らかに表側と景色が違うのだ。


 銀色の樹に咲く黄金色の花。季節外れの金木犀の香り。

 七色に輝く池に浮かぶ睡蓮の花。その奥には豊かな森が広がり、遠くに切り立った岩山が見える。その岩山の頂上が間近に見え、東京郊外とは思えない高地に来てしまったようだった。


「雲が近い。そして、空が広い。そんなに登ったっけ? こ、これは、……リアルな質感のファンタジー?」


 葉月は唖然として空を見上げた。


 夢でも見ているのかと、何度目を擦っても変わらなかった。明らかに日本の森では見かけないような木々が生育しており、泉には色とりどりの宝石が敷き詰められ輝いていた。


「ほ、宝石の泉? プラチナの金木犀の樹? ここはどこ?」


 葉月は慌てて琉央の元に走る。これは、説明してもらわなくては困る状況だった。


「琉央さん、ここってどこ? 景色が尋常では無いのですが……」


 琉央は、「ああ」と納得したような声を出し、まるで「隣が八百屋なんだ」というような軽い口調で言った。


「この家は勝手口が異世界に繋がっているんだ」

「へ?」


 琉央はごくごく自然に勝手口の大きな扉を開ける。七色に光る泉の中に美しい女の人が浮かんでいた。


 自慢ではないが、葉月だって学生時代はクラスで一番手と言われたことだってある。まぁ、田舎の高校ではあったが。


 しかし、明らかに人外者である彼女の美しさは、レベルが違った。

 透き通る真っ白な肌。髪はくるぶしまで伸び、清楚なピンク色をしている。大きな瞳はアクアマリンのような透明なブルーで、腰は引き締まり胸も豊か。おまけに、透けそうで透けない真っ白なドレスが、魅惑的な色気を醸し出していた。


「紹介するよ。俺の伴侶の睡蓮すいれんだ。この池の睡蓮の精霊なんだよ」

「は、伴侶って? 奥さんって事!?」

「まぁ、人間界ならそうだね」


 顔面を床に思いきり叩きつけられたような、羞恥を伴う衝撃が葉月に走り抜けた。今まで盛り上がっていた、恋の予感がガラガラと音を立てて崩れ落ちたのだ。


(これって、なんて言うんだっけ。そう、負け確定。負けっぷりがあっぱれな、負けヒロイン。いやいや、若い子が向けだったかな、あれって。しいて言うなら、おとな負けヒロイン!!)


 恥ずかしいし、悲しい。でも、ホテルも引き払ってきたし、今さら帰るところなんてない。


 それに、ぎりぎり大丈夫だと思う。舞い上がっていたことはバレていないし、告白したわけでもない。葉月は、どうにか気持ちを持ち直した。


(ひとまず全て置いておいて、お仕事、がんばろ……)


「葉月ちゃん? 無言になって? どうかした?」


 琉央が不思議そうな顔を向けてくる。それは、そうだ。今日出会ったばかりで、早とちりしたのは葉月なのだから。


「異世界にびっくりしちゃって」


 本当は、異世界よりも伴侶にびっくりしたのだが、そこは言わないことにした。






 続く

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