6(友達と日曜日)

 日曜日の朝。

 朝ごはんは柚姫の希望でフレンチトーストと手作りのバナナアイスにブルーベリージャムとイチゴジャムがけ、付け合せにハムとブロッコリーのサラダ、搾りたてのオレンジジュースを添えて。

 家族3人でのんびり朝食を食べていると、玄関のインターフォンが鳴った。

 香流の動きを制し、賢吾が椅子から立ち上がる。モニターを確認すると、サングラスをかけた雲雀だった。今日は鴫は一緒に来ていない。


「おはよう、雲雀」

「はよー。なんかしてた?」

「うん。朝ごはん食べてた。雲雀も食べる?」

「食べる!」


 時刻は朝の8時。休日でも動物には曜日感覚はない。

 今日は朝の6時からニワトリの群れに叩き起された。昨日の事があったので《無事を確認しに来ました!》と隊長らしき目つきの鋭いニワトリがコケコケ言っていた。

 総勢20羽。それはもう近所迷惑甚だしく、朝から目覚めはスッキリだ。

 隣に住む雲雀にもコケコケ騒ぎは聞こえていたはずだが、もうお互い何も言うまい状態になっている。

 ニワトリは1羽ずつ頭を撫でられるのを待ち、順次お帰りいただいた。それからゆっくり朝の準備をし、香流が朝食をこしらえて現在に至る。


「おっはよー」

「おはよう、まゆ!」

「おはよ。今日は鴫はいねぇの?」


 双子は今日も見目麗しい。

 サングラス越しでもダメージを受ける。しかし、頑張れ黛雲雀。こいつらは家族同然。大事な幼なじみだ。

 平然を装ってリビングへ入る。右手と右足が一緒に出ている。賢吾はやれやれと呆れながら雲雀の背中を押した。


「あっ、ちょっ、近付くのが速い!」

「俺のアイスが溶けるから早くして」


 アイスに負けた雲雀である。

 ちなみに席はいつも通り柚姫の前しか空いていない。雲雀は深呼吸をして、サングラスの力を信じて柚姫の前に座った。


「鴫は親と本土に行ったよ」

「ふーん。まゆは行かねぇの」

「お前らといる方が楽しいし⋯⋯」


 中学1年生になってまで親と弟と一緒に遊園地と言う微妙な場所へ行くのもなぁ。

 しかも小さい子ども向けのテーマパークだ。どんな顔で楽しめばいいのか分からない。柚姫だったら普通に楽しんでそうだけどってか想像したら可愛すぎてダメージを受けた。


「じぇ、ジェットコースター⋯⋯」

「隣でハァハァしないでくれる?」

「飯食ったら落ち着くだろ」


 賢吾と香流は慣れている。柚姫はフレンチトーストに夢中になって雲雀どころではなかった。


「あ、柚姫。顔中ベッタベタじゃねぇか」


 急に兄の顔になった雲雀が、柚姫の頬に手を伸ばす。

 テーブルのウェットティッシュで優しく拭き取り、苦笑いする雲雀に柚姫はえへへと笑って誤魔化した。

 そしてそれを賢吾と香流は黙って見ていた。


「一歩進んで二歩下がる」

「二で足りるか?」

「いやっ、ちがっ!これはお兄ちゃんとしての本能が働いただけだ!」

「ありがとう。まゆ」

「ぐぅぅぅ」


 心臓が!心臓が痛い!


 雲雀が来ると毎回大騒ぎだな。香流は黙って雲雀の前に朝食プレートを置いた。


「いただきます⋯⋯」


 メソメソしながら雲雀も朝食を食べ始める。

 4人で食事を摂るのは小学校の給食を思い出させる。

席の並びもずっと同じだ。

 あの時はよく4人で色んな場所を探検しては大人に心配をかけていたものだ。

 

 村の大人は優しかった。

 食事の作り方。命への向き合い方。

 自然との調和。恵みへの感謝。

 ありとあらゆる生きていく上での大切なことを学ばせてくれた故郷。


 今でも鮮明に思い出せる。あの森はいい所だった。


「あぁー⋯⋯うめぇー」

「雲雀も甘いもん好きだよなぁ」

「今、時流の流れを読んで自動で売買してくれるデイトレーダーAIを作ってるところだから脳が糖分を欲しててさぁ」

「なんて?」


 賢吾と香流の声が重なった。

 柚姫はちんぷんかんぷんな顔をしている。


「やっと俺の資産が100万を超えたから遊びに使おうと思って」

「はぁ」

「これが上手くいって資産が億超えたら本土に別荘建てようかなぁ」

「超高性能サングラスでも買ったら?」

「もう家に50枚はあるよ」


 真顔で返された。

 怖い。賢吾は思わず身震いした。


「そんな金貯めてどうすんだよ」

「いつも靴とか制服とか買ってやってんの誰だと思ってんのよ」

「ごめんなさい⋯⋯」


 香流はしゅんと肩を落とした。殊勝な香流は珍しい。

 そして殊勝にしてたら可愛い女の子にしか見えないのでやめてほしい。雲雀は強くそう思った。


「そこは買わせてやってんだありがたく思えだろ!」

「謝ったのに怒られた⋯⋯」

「いいか香流。お前は見た目が女みたいなんだから態度だけでもでかくしとけ!じゃないと色んなやつに舐められるぞ!」


 雲雀に言われて香流ははっとした。

 言われてみればそうだな。柳瀬にたくさん怒られて色々反省してはみたけど、俺が俺の行いを省みる必要はなかったって事だな!


「分かった!任せろ!」

「そうだ香流!その意気だ!」

「とんでもない事になった気がする」


 勢いづく兄ふたりが燃え上がっている。

 この場において賢吾だけが事の重大さを察知していた。


 後に黛雲雀(12)は語る。

 調子に乗らせて誠に申し訳ございませんでした。と。




「えっ、お兄ちゃん今日いないの!?」


 ごちそうさまのあと、出かける準備を始める香流に柚姫が目を見開く。

 半袖パーカーに長ズボン、黒いキャップを被ってショルダーバッグを背負う。どこにでもいる中学生男子の出来上がりだ。


「どこ行くの?」

「友達んとこー」


 さらりと答えられて柚姫はショックを受けた。

 キッチンで洗い物をする雲雀が声をかける。


「いつも一緒にいるあの銀髪と青髪?」

「そーだよ」

「仲良さそうだもんなぁお前ら」


 雲雀の瞳は優しく見つめる兄の目だ。ただしその瞳はサングラスの奥に隠されている。


「まゆ。柚姫と賢吾の昼飯よろしく」

「俺はラーメンしか作れないけどな!」

「適当に常備菜使っていいよ」


 急に自分が姿を消した時用に、いくつか常備菜を冷蔵庫や冷凍庫に置いてある。

 いつまた変な奴に襲われるか分からないと柳瀬も忠告していた。あんまり心配はかけたくないので言わないが、賢吾と柚姫は料理の才能が皆無なので自分の都合で2人を飢えさせるわけにはいかない。


「お前どんどんお母さんみたいになってくな」

「今どき男も料理出来ないとダメだってばあちゃんも言ってたぞ」


 香流の料理の師匠は手先が見えないくらい早く何品も作ることが出来るスーパーおばあちゃんだった。

 賢吾と柚姫はしょぼんと肩を落とす。雲雀は2人を慰めるようにぽんぽん肩を叩いた。


「まぁ、最悪カップ麺があるから大丈夫だよ」

「温いカップ麺と水浸しの焼きそば食いたいか?」

「よし俺に任せろ。俺はもうすぐ13歳のお兄さんだからな!」


 雲雀はすぐに思考を切り替えた。えっへんと胸を叩く。

 一番誕生日の遅い賢吾がむっと眉を寄せた。


「まだ来週でしょ」

「今年はどんなケーキがいーの?」


 毎年家族の誕生日には香流がケーキを用意している。育った村ではケーキ屋なんてものはなかったし、作った方が安上がりで好きにアレンジ出来るからだ。

 去年はミルクレープがいいとめんどくさいリクエストだったのでばあちゃんにも手伝ってもらったが、今年は1人で作らなければならないのであまりめんどくさいのは嫌だなぁと口には出さないが心の中で思っていた。

 そう言えば、賢吾の誕生日は島への引越し祝いと重なったから二重にしたな。俺と柚姫の時はどうしたっけな⋯⋯。


「そうそう、これがいい!」


 急に目の前に雲雀のスマホが突きつけられた。

 香流の思考がピタッと止まる。びっくりした。そしてよくよく表示された画像を見ると、たくさんいちごの乗った⋯⋯


「タルトケーキ?」

「生地にクリームチーズ練り込んで、かつめちゃくちゃ甘いのがいい」

「何が13歳のお兄さんだ。甘党め」


 べーっと香流は舌を出した。

 雲雀は4月、双子は11月、賢吾は3月。

 誕生日順に勝手に雲雀が兄ぶっているだけだ。香流は雲雀を兄だなんて認めた覚えはない。


「ふふん。兄の言うことは聞くがいい。んで、今日は晩ご飯いる?」

「たぶん夜には帰る⋯⋯んじゃねぇかな?」

「お前の予定は流動的だもんねぇ」


 最早急にいなくなるのを心配すらしなくなった。いや心配は心配なんだけどね。いちいち気にしてたら身が持たないし香流に何かあれば動物達が教えに来てくれるシステムになっている。

 犬の翻訳機、猫の翻訳機も雲雀特製だ。たまに間違っているらしいがそれはご愛嬌という事で許して欲しい。


「なぁ、香流。学校楽しい?」

「いきなり話題のない父親みたいなこと言うなよ」

「兄から父へ昇格⋯⋯!?」

「バッカじゃねぇの」


 香流はふと視線に気付いた。柚姫も賢吾もじっとこちらを見ている。

 1週間も不登校だったせいであらぬ心配をかけている。香流は3人に向かって苦笑いをした。


「クラスも担任も変だけど、友達がいるからちゃんと楽しいよ」


 苦笑いから笑顔に変わって、玄関へ向かう香流の背中を見て3人は安堵した。


「お兄ちゃん、学校楽しいって」

「うん」

「さ、柚姫も宿題頑張ろうか」

「何でやってないのバレたのよぅ⋯⋯」


 残った3人はいつも通りの時間を過ごす。

 ちなみに、柚姫の宿題は半日かかった。




 柳瀬の家に行くのは10時だと約束していたが、予定より早く家を出たのは先に買い物に行くためだ。

 食材は用意していると言っていたが、話を聞く限り調味料系が恐らく足りない。

 いつもの反省を兼ねて今日はキャップを被ってきた。これで顔は見えない。しかも服も男らしいのを選んできた。つまりこれで女の子に間違われることはない!


 スーパーに着くと、中川と柳瀬が入り口で待っていた。別にいいと言ったのに着いてくると言うからだ。


「おはよー」

「おーす」

「おはよう柚木!ねぇ柳瀬!俺、あのお菓子も食べたい!」

「何しに来たんだお前は」


 青髪がコンプレックスの柳瀬も柚木と同じくキャップを被っているが、中川は全く隠すつもりはなさそうだ。服もふわっとしていていつも通り男か女かよく分からない。


「お菓子選びに来た!」

「ちがーう!」

「俺、プリンも食べたい」

「プリンくらい作ってやるよ」

「さすが俺の神!」


 中川は毎日楽しそうだな。とは言わずにおいて、必要そうなものを買い物カゴへ放り込んでいく。


「柳瀬、醤油ある?」

「ない」

「柳瀬、味噌ある?」

「ない」

「⋯⋯何だったらあんの?」

「うちにはにんじん、じゃがいも、たまねぎ、肉、カレールーしかない!」

「あぁ、そう⋯⋯」


 よく飽きないな。俺だったら3日で飽きる。

 季節の色んな食材を使ってご飯を作った方が楽しいよとはばあちゃんの言葉だ。香流の味もほとんどばあちゃん仕込みだ。日々改良は重ねているが、結局そこへ戻ってしまう不思議なばあちゃんの味。

 しわくちゃの手から作り出されるご飯の優しい味がとても好きだった。

 元気にしてるかなぁ。今度会えたら何か見た事のない新しいものを作ってあげよう。


 視界をあげると、バチ、と黒い外套を羽織った男と目が合った。


 男は舌打ちして、早足に去っていく。香流は囁くような小さな声で柳瀬に耳打ちした。


「なぁ、金を払わずに店のもの取ったらドロボーだよな?」

「お前その常識から知らねぇの?」

「いや、アイツポケットになんか入れた」

「は⋯⋯」


 柳瀬が言うより先に、香流は買い物カゴを柳瀬へ押し付けて走り始める。

 慌てて柳瀬は中川に買い物カゴを渡して後を追った。中川は渡す相手がいないのでオロオロと立ち尽くす。


「ねぇ、俺はどうすればいいのー?」

「菓子でも選びながら待ってろ!」

「はぁーい」


 柳瀬に言われてしぶしぶ中川はお菓子コーナーへ移動を始めた。

 

 香流の足は速い。アホみたいに速い。すぐに追い始めたのにもう姿が小さい。

 だが、その前を走る万引き男はもっと速いと言うことだ。柳瀬は近くの自転車に乗り上げた。


「俺もドロボーじゃねぇか」


 苦々しく零しながら、全速力で自転車を漕ぐ。

 さすがに自転車ならすぐに追いつけるかと思ったが、なかなか追いつけない。ええい、アイツのフィジカルはどうなってんだ!


「柚木!」


 息が切れそうになりながらようやく隣に並ぶ。声をかけると香流がこちらを向いた。驚いたように目を丸くしている。


「柳瀬、何それ」

「自転車、借りた!」


 正確には勝手に乗ってきたのだが、後で必ずお詫びを申し上げよう。

 

 香流は何かを思いついたのか、口角を上げた。走った速度のまま自転車の前カゴに手を伸ばしたかと思えば、思い切り跳躍する。


「えっ」


 そのまま前カゴに飛び乗ってくる香流で柳瀬の視界が遮られる。何も見えない。香流の足しか見えない。


「バカ!見えねぇだろ!」

「そのまま全速力!」

「ああもう!」


 柳瀬は言われた通り強くペダルを踏み込む。

 車輪が回ってぐんとスピードが上がる。香流は黒い外套の男をつぶさに観察する。まだ、まだだ。後もう少し。

 髪がはためき、顔に当たる風が心地いい。

 外套の男が路地に逃げるため右折しようとスピードを緩めた。


 今だ!


「柳瀬、適当に止まれ!」

「はぁ!?」


 香流は自転車の前カゴを右手で掴み、思い切り身を放り出した。スピードの乗った蹴りは目測通り外套の男に直撃し、近くの建物に吹っ飛んで行く。

 香流は地面に両手をついて、反動で何度か回転しながら勢いを殺して着地した。


「やべぇぇ!」

 

 脇から自動車が見えて、慌てて柳瀬はブレーキをかけた。キキイィィと耳を劈くような音を立てて、自転車が急停止する。

 自動車は目の前を通り過ぎて行った。

 はあぁぁ、と脱力する。


 死ぬかと思った。


 が、脱力したままではいられない。重い身体を引きずって倒れた外套の男の元へ向かう。

 香流は既に男の側でしゃがみ込んでいた。柳瀬が自転車を降りると、香流は嬉しそうに目を細める。


「柳瀬!いぇーい!」

「いぇーいじゃねぇんだよ。危うく死ぬところだったぞ」

「まぁまぁ。それよりさぁ」


 香流は柳瀬のシャツの裾を摘んだ。しゃがめと言うことだろうか。柳瀬が香流の隣にしゃがみ込むと、外套の男の中身がよく見えた。

 

 それは、猿だった。

 黒い、毛の多い猿が目を回してコンクリートに横たわっている。

 大きさは、先程逃げていた時よりも小さくなっている。それでも山の猿よりは大きいが、今では4歳の鴫くらいの大きさだ。

 外套はボロボロで、ところどころほつれている。拾い物なのか、少し酸っぱいような臭いがした。


「山から来たのかな?」

「この島にそんな高い山はねぇぞ。それより、コイツが人型になってた方が問題だろ」

「高い山はないのか⋯⋯」


 しょげるところが違う。柳瀬は心の中で突っ込みを入れておいた。

 謎の猿はしばらく眺めていても起きなさそうだ。コンクリートに激突してるもんな。よく死ななかったものだと思う。

 意外と非情なとこあんだな、と柳瀬は香流を横目で見た。香流はうーんと悩んでいて、あ、と何か思いついたのか両手を打った。


「その辺の人に運んでもらおう!」

「お前、気軽に命令するなって前にも言っただろ!」

「だって触りたくない⋯⋯」

「半べそかくな!男だろ!」


 もう本当に何でも許しそうになるから!


 見た目が可愛いのはある意味暴力だ。あまり人付き合いのない自分だからかも知れないが、香流の少し人間離れした言動でもまぁいいかと納得してしまいそうになる。

 ダメだダメだ。こいつは甘やかしすぎるとロクなことにならない。そんな予感がする。


「万引き犯、捕まえたなら最後まで面倒見ろ!」

「⋯⋯じゃあ柳瀬も手伝って」

「それくらいならいいぞ」


 柳瀬はあっさり了承した。

 それからあーだこーだ言いながら、自転車に外套をくくりつけて引きずって戻ることにした。逃げ出さないように前を柳瀬、後ろを香流が挟んで歩く。


「なぁ柳瀬。何で追いかけて来たんだ?」

「お前を放っておいたら何するか分かんねぇからだよ」


 現に考え無しに勝手に他人の手を借りようとしていたしな。

 路上で寝てたらどうすんだコイツ。もう一度能力の使い方を改めさせなければならない。


「へへ。でも、楽しかったな」

「俺は死にかけたけどな」

「俺、友達と休みの日過ごすの初めてなんだよ。結構楽しいもんだな」

「⋯⋯1組の奴らは?」

「アイツらは家族だよ。俺の友達は中川と柳瀬だけかな」


 前を向いているから顔を見れなくて良かった。俺はそんな簡単に絆されないからな。

 前を向いてるから顔を見られなくて良かった。


「⋯⋯あっそ」


 絶対俺の顔赤くなってるから。


『すげぇ嬉しいこと言うなコイツ。俺も友達と過ごすのは初めてでめちゃくちゃ楽しみにしてたんだぞ』


「⋯⋯は?」

「え?」


 ピタリと香流と柳瀬の足が止まった。

 柳瀬は勢いよく振り返る。香流も足元を見下ろした。


 いつの間にか起きていた猿が、ニヤニヤしながら2人を見上げている。


『猿が喋ってる』


 猿がまた口を開いた。


「コイツ、覚か!」

「さとり?」

「人の心が読める妖怪だよ」


 解説しながら柳瀬ははっと気付いた。

 ちょっと待て。

 さっき、とんでもないこと口走ってたなこの猿!?


『さっきとんでもないこと口走ってたなこの猿!?』

 

「柚木、耳を塞げ!」

「なんで?」

 

『お前に俺の心の声を聞かれたくないからだよ!』

 

「言うなー!」


 柳瀬は声を上げながら猿を足蹴にした。非情だどうだと人の事は言えない柳瀬である。


「おいコイツさっさと警察突き出そうぜ」

「でも猿だぞ」

「猿だからって甘やかすな!」


 柳瀬が猿をぐりぐり足でこね回している。

 往来のど真ん中でやる事ではない。人通りは少ないが、車道の隣なので道行く人々がちらちらと横目で見ては早足に見て通り過ぎて行く。


「そう言えばお前、何盗ったんだ?」


 柳瀬に踏まれたままの猿、覚の近くにしゃがみ込んで香流は首を傾げた。

 覚はニヤニヤしながら香流を見上げている。だが口を開こうとはしない。

 

 しばらくの間。


「⋯⋯何盗ったかそんな気になるか?」

「だって猿だもん。気になるだろ」


『⋯⋯どうしても』


 しびれを切らしたのか、覚がようやく口を開いた。


 香流と柳瀬が同時に猿を見下ろす。覚はうるうると目に涙をため、震える声で観念したように吐露した。


『なめたけが食べたくて⋯⋯』


「なめたけ」

「なめたけ?」

「キノコみたいなやつ?」


 びっくりするくらい全然感情移入出来なかった。


 確かばあちゃんが食べてたような?じいちゃんだったかな?


 でも何を盗んだのか気になっていたからスッキリした。だからと言って許すつもりは毛頭ない。


「食べたいならちゃんとお金払えよ」

『お金はありません⋯⋯』

「お金ないのに買い物行っちゃダメなんだぞ」


 この猿、柚木に常識を説かれている。


 足はどける気はないけれど、なんかちょっと同情する柳瀬だった。


「ちゃんとお店にごめんなさいして警察に行こうな」

『警察は嫌だ!山に返される!』

「猿なんだから山に帰れよ」

『僕は人間社会を学びたいんだ!』


 じゃあ万引きしちゃダメだろ⋯⋯。


 香流と柳瀬の心がひとつになった。言い訳も甚だしい。


 でも、待てよ。


 ふと、柳瀬は考えた。コイツは案外使えるかもしれない。

 うちの家業に嘘はつきものだ。心の中を見抜ける能力は結構重宝するんじゃないか。


『雇ってくれるのか!?』


 心を読まれた。先読みされてムカついたので足の力をぐぐっと入れる。


『痛い!でも嬉しいですご主人様!』

「誰がご主人様だ。誰が」

「柳瀬が引き取るのか?」

「うぅーん⋯⋯。今天秤にかけてる」


 警察に突き出して山へ返してもいいが、この調子だとコイツはすぐにでも返ってきそうだ。

 それなら最初から雇用して確保しておいた方がいいかな。他所に取られたら面倒だしな⋯⋯。


「おい、お前」

『はい!』

「あの店でどれくらい盗ったんだ?」


 あの逃げ方だと初犯ではないだろう。自転車でもなかなか追いつけなかったくらいだ。店側も気付いていなかった可能性が高い。

 柳瀬の問いに、覚はてへっと自分のおでこを小突いた。


『2ヶ月分くらいです』

「つまり⋯⋯?」

『しめて10万円くらい⋯⋯?』

「山へ帰れ!!」


 柳瀬の怒りが炸裂した。もはや弁明の余地もない。


「コイツは根本から鍛え直さなきゃダメだな」

「人間社会の何たるかを学びやがれ」

『ご、ごめんなさい!』

「謝って済むなら警察はいらねぇんだよ!」


 裏稼業の柳瀬が警察を語っている。香流は台詞を取られてちょっとショックだった。


 結局、覚は店に突き出した後、猿なので警察には連れては行けないので柳瀬が引き取ることとなった。

 黒服に囲まれて10万円分の借用書を震えながら書かされる覚の姿は、まるで人間社会の縮図を現しているようだった。




「ねぇねぇ、後でこれ作ろうよ!知育菓子って言うんだって!」

「カゴいっぱい菓子買いやがって⋯⋯。しかも1箱400円もするやつ」

「柳瀬はお金持ちだな」

「ま、金だけは渡されてるからな」


 覚は黒服が引きずって行ったので、現在は柳瀬の部屋で3人は集まっていた。

 中川が、待っている間にあれもこれもとたくさん放り込んだお菓子を広げている。ほくほく顔の中川とは対照的に、柳瀬は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「こんなの幼稚園児が買う菓子だろ」

「俺、見たことない」

「俺も初めて見た!」

「後で遊びながら作ればいいよ⋯⋯」


 常識のない2人に結局最後は負けてしまう。柳瀬は頭を抱えてため息をついた。


「俺はとんでもない奴らと一緒にいるんじゃねぇか⋯⋯?」

「今更今更〜」

「柳瀬と一緒に万引き犯捕まえたの楽しかったぞ」


 はいはい、俺も楽しかったよ。


 ここに覚がいなくて良かった。心の中を読まれるのは屈辱だ。嬉しい、楽しいを口にも出せない自分が恥ずかしくて仕方がないから。


 でも、柳瀬は気付いていなかった。


(柳瀬はすぐ顔に出るなぁ)

(嬉しかったんだねぇ)


 すぐ赤くなる柳瀬の心の中なんて、既に2人は分かっていることを。

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