第2話  荒野の国


 軽快な足取りで二頭の馬が地面を蹴る。エウェルとトモエは世話になった人々へ礼と別れを告げ、ノイクラッグへ向かって出発していた。


「トモエの実家は騎士の家系なのか?」

「まあそんなところ。兄達に混ざってこっそり練習に参加してたの」


 温かな談笑も、北上していくうちに徐々になりを潜める。グリアンロンの住民票を見せれば簡単にノイクラッグの国境を通過できる。それまでの辛抱だと冷たい風に耐えた二人を出迎えたのは、物々しい壁だった。ちょうど目の高さにある表示には『ノイクラッグ人、及びその縁者以外通過を禁ず』と大文字で書いてあり、トモエは片眉を上げる。


「どういうこと?」

「文字通りだな。……魔女の攻撃で焼け出された人たちが押し寄せたんだろう。これ以上受け入れられませんってことか」


 大公国という名の通り、ノイクラッグの領土は極めて小さい。受け入れられたとしても少数だろう。

 考えるのも疲れた二人は壁から離れ、付近の森で野営することにした。二人で調理した兎肉を味わっていると、先に食べ終わったトモエが両手を合わせ、頭を垂れる。


「食後も手を合わせるんだな」

「ええ。貴方もそうでしょ?」


 初めはトモエが移動中の食事に耐えられるか心配だった。しかしトモエは基本何でも口にしてくれる。おまけに調理の腕もあり、二人が仲良くなるまでさほど時間はかからなかった。


「ところで、どうやって潜入する?」

「相手が相手だから密入国は避けたい」

「どういうこと?」

「遠い親戚に協力を仰ぐつもりなんだが、実は――」


 その時、エウェルは複数の気配が近づいていることに気がついた。焚き火を消して闇に紛れるが時すでに遅く、敵は森の中で陣を組んでいた。剣を抜くか迷っていると、松明を持った男が進み出てくる。


「そこの女、魔女の娘エウェルだな?」


 男の胸で警備兵の証である銀色のペンダントがきらりと月光に輝いた。二人は警戒を強め、武器を手に取る。とても交渉できる雰囲気ではない。


「……如何にも。だが、貴国への攻撃意思はない」

「問答無用だ。大公の命に従い貴様らを拘束する。」


 兵士たちが二人に襲いかかる。初めは順調に応戦していたが、多勢に無勢、地面に抑えつけられると視界を遮られ、言われるがままに歩かされる。狭い独房に押し込められてやっと目隠しを取られ、トモエは「入国はできたわね」と自嘲気味に言った。




 

 翌日。看守がエウェルの独房を開け、立派な装束を着た男が着いてくるよう促す。トモエをちらりと見るが、強引に腕を引かれ冷たい石畳の階段を登らされる。程なくして絨毯が敷き詰められた立派な廊下が現れ、両脇を兵士に固められたまま歩く。先頭を歩いていた男が止まると、数歩先に見える扉が開き、広々とした部屋に通された。数人の屈強な男達がエウェルに厳しい視線を向ける。その中心には銀の簡素な冠を被った男性が黒曜石の椅子に座っていた。


「第十七代ノイクラッグ大公、デクラン陛下である」

「……グリアンロン王国の王太子、エウェル・グリアナン=マクアピンでございます。お目通りが叶い、恐悦至極でございます。大公陛下」


 膝を折って最敬礼すると、デクランは落ち着いた表情のまま続けた。


「魔女の娘が太陽神グリアンナの護符を身につけるとは世も末よ。だが月の神メノンの加護厚いノイクラッグでは無意味だったな」

「……共に居た黒髪の者は私の友であり仲間です。どうかお慈悲を」

「そなた次第だ」

「っ……!」


 その時、大柄で長い銀髪の男が入ってくる。どこか見覚えのある姿にエウェルが必死に記憶を探っていると、男はエウェルを見て一瞬眉を潜め、視線を斜め下に逸らした。


「まず、お前を早々に解放したのは我が国に益があると判断したからだ」


 エウェルが頷くと、デクランは静かに語り出す。


「我らノイクラッグも魔女侵攻による痛手をこうむっている。西の交易路で魔物が暴れ回り、加えて貴国の難民を受け入れたおかげでこの国は食糧難に見舞われている」

「……」

「難民を引き取れとは言わん。お前には交易地付近の魔物討伐を命じる。それが叶えば、魔女打倒に必要な物資を支給するし、戦力も貸そう」


 断れるわけがない。二つ返事で了承すると、デクランは目を細めて微笑んだ。


「宜しい。あの異国人も解放しよう」


 そう言うと、大公は近衛兵と共に退席する。銀髪の男は一人取り残されたエウェルに「着いてこい」と声をかけた。慌てて男の後を追い、石造の廊下を進む。

 トモエは本当に無事だろうか。エウェルが不安に駆られていると、銀髪の男はこちらに背を向けたまま「大公は口に出したことは絶対に守る」と声をかけた。心を見透かすような言葉にエウェルは一瞬呆気にとられる。しかし男は歩みを止めず、部屋に到着するともう一度エウェルをじっと見つめた。


「必要なものがあれば女官に言え。元婚約者殿」


 そう言うと銀髪の男はその場を去っていく。取り残されたエウェルはその言葉に、男に感じていた既視感の正体を思い出した。王太子となってすぐ、女官長が見せた肖像画の男性と同一人物だ。記憶喪失になったとはいえ、すぐに思い出せなかったことを悪く思いながら部屋に入ると、月の刺繍が施された濃紺のタペストリーが目に入る。


『魔女の娘が太陽神グリアンナの護符を身につけるなど世も末よ』


 トモエと仲良くなれた分、同類からの嫌悪が深く心に刺さる。助力を乞う以上、姿を晒すのは時間の問題だったが、ああも敵意を向けられるとは。

 エウェルの祖先と今の大公家の祖先は姉弟だった。そのよしみで魔女侵攻の際も援軍を送ってくれたそうだが、魔物によって壊滅。前大公も国境に押し寄せた魔物との交戦で亡くなったという。それを考えれば、魔女の実子である自分に敵意を向けるのも無理はない。


「(泣くな……こんなの覚悟の上だっただろう)」


 空腹のせいだ。疲労のせいだ。こんなことでへこたれていては魔女を倒すなど夢の夢だ。

 涙を乱暴に拭いバルコニーに出ると、冷たい空気が熱くなった頬を優しく包んだ。そう遠くない場所に茅葺き屋根の家々が見える。空は曇っているのに、どこまでも続く青い平原が気分を明るくさせた。


「(……魔女を倒せさえすれば、それでいい)」


 泣き虫はライアンと一緒に葬ったはずだ。エウェルは剣を抱くとしばらく瞼を閉じ、大きく息を吐く。落ち着いたらトモエの場所を聞きだそう。彼女も知らない土地で心細いに違いない。

自分は一人じゃない。そう強く自分に言い聞かせると、エウェルは再び目の前の美しい景色に視線を向けた。

 

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