第0.6話②:録、いつか、この瞬間が
決して座り心地の良くない地面。見た目通りの硬さがクッション性の肌で緩和されてギリギリ休めるといった感じ。
長旅の末に、得たものは矢を一つ受けたのみ。そんな事実に四人は打ちひしがれたまま、お互いに向き合って座り、話し合っていた。
「はぁ……。本当に最悪よ、あいつ。なんでしかもあんたは喰らってないのよ!」
九華は未だ無意識に足を撫でる。流石にもう痛みは引いたが、それでもあの瞬間の衝撃が忘れられなかった。睡方はあぐらに頬杖をつき、手で支えるようにして。
「知らねえよ。俺を囮にしようとした罰でも当たったんじゃないか?」
「囮じゃないわ。成長の機会を与えてあげたのよ」
「お前なぁ……」
九華と睡方のそれぞれの応酬を縫って、由依が呟く。
「……ごめんね。ウチのせいで」
正座のまま俯く彼女を見て、九華は口喧嘩の手を止め、微かに笑う。
「別に、由依さんのせいじゃないわ。逆にあなたが音を聞いてくれなかったら、私達は今も何も無いところをずっと彷徨ってしまってたかもしれないんだから」
彼女を励ましながらも、九華は自分の心の奥底にある不安を頭に上らせる。体内時計の感覚からして、今までで歩いてきた時間は恐らく数十時間以上。その果てに得られた情報獲得のチャンスを無駄にしてしまったのだ。
もちろんここで止まってはいられない。だが今の段階では、探索に頼れるのは由依の聴覚のみ。それも一度使うだけで彼女の体力を大幅に消耗してしまう。そうなると余りにも彼女に負担がいきすぎるし、何より足が保たない。
やはり、もう一つ頼りたいものがある。
「ねえ」
九華は想太の方を向く。ほんの少し隆起した地面の突起に腰掛ける彼は、腕を組んだままぶっきらぼうに答える。
「なんだ」
「やっぱりあんたの目、どうにかなんないの? これからのことを考えると、流石に由依さんだけに頼りっきりだとまずいと思うんだけど」
何度見ただろう、というポーズで彼は沈黙する。だが、今回は初めから出ていた結論を再確認するだけのような、短い時間だった。
「そう言われても、僕にはどうすることも出来ない」
「何かのスイッチを探せばいいんでしょ? その、眼鏡を外して裸眼になる、みたいなそういう切り替えの」
「それはそうだ。だが、どうする? このだだっ広い広場をまた歩いて、フレームでも探しに行くのか?」
「そこまで言ってないわよ。うーん、じゃあ眼鏡を外すフリでもいいんじゃないの?実際、気持ちの問題なのかもしれないわよ」
「君は本当に勝手なことを言うな……」
言いながらも、彼は自分の顔付近に手を持っていく。三人が彼の顔に注視する中、その手を文字通り眼鏡を外すように振り下ろした。
……。ただ彼の顔を見る時間だった。
「やって損した。こんなので上手くいってたまるか」
腕をだらんと重力に任せた後、お腹の口を尖らせる。それでも九華は間髪入れずに、次の言葉を発して。
「……じゃ、じゃあ! 次はもう代わりのスイッチを探すわよ!」
「代わり?」
「そう、眼鏡をかけるという行動に代わる、新しく能力を発揮させるスイッチよ」
訝しげに彼は九華の顔を覗き込む。
「……はぁ。例えば?」
九華はしばらく首を捻って、思考を巡らす。大気を流れる白のオーブや塵が、頭のかさの溝に溜まっていく。そして彼女は突如立ち上がったと思うと、その動きでそれが全部落ちて。
「うーん……、顔の中心を引っ張って伸ばすとかはどうかしら?」
耐えきれなくなった想太は、釣られて立ち上がり。両手を広げ、それを胴の前でぶんぶんと振り回すように力強く訴えかける。
「いい加減にしろ! 部長は僕をおもちゃかなんかだと思っているのか!? それとも本気でそれでいけるとでも思ったのか!?」
「だって! その方が一番現実的で想像しやすいことだわ! さあ! ほら、顔を差し出して!」
「差し出すわけないだろ! 君には人の心が無いのか!?」
お互い激しく言葉をぶつけ合う。その下で、座っている二人は苦笑いをした状態で一瞬目を合わせていた。
あまりにも動きをつけて討論するものだから、まるでミュージカルのような迫力があり、睡方は止めようと思いつつも、彼らの姿を交互に見ることにしばし夢中になっていた。
その時、彼は何かに気づいたような顔がして、突然声を上げる。
「ちょ、ちょっと待って! 儘波君!」
「今度は何だ!?」
勢いづく想太が返す。睡方は何か想太の腰の後ろ側を丸まった手で指すようにして、九華と由依を彼の後ろに誘導した。そこには、勿論のこと、何の変哲もない彼の体の滑らかな後ろ側の肌がある。だが睡方が指している腰の部分を見ると、前言を撤回することとなった。
「これ、何? この、ちょっとだけ沈んでいる部分」
想太の腰の後ろ側、もっと詳細に言うと尾骨。その部分にある肌が他と触り心地も模様も変わらないのだが、唯一周辺の肌よりも少し体の内側に沈んでいるのだ。
睡方がそこを人差し指で触ると、想太は順当にくすぐったそうにしている。呆れながらもその様子を見て、九華は一つの可能性を感じた。
「……もしかして。そこ、押せたりするんじゃない?」
「え? ここ?」
言いながら、睡方は指を奥に押し込んだ。そうすると、予想通りその一部分の肌が指の力に押され中に入っていき、カチッという軽い音がして止まった。
その瞬間、軽い音と共に彼の顔の中心が勢いよく伸び、まるで顔から望遠鏡が出てきたようになった。さながらキツツキ。さながらピノキオ。
「うわぁあああ! 顔が伸びてるよ! 儘波君!」
飛び出した勢いで、一瞬全身が前に倒れそうになったが、想太は即座に反応し、なんとか踏ん張った。足元に出来た、ほんの少し削られた地面が証拠で。
彼は困惑の声を漏らす前よりも先に、思わず周囲を見渡す。振り向く度に顔の伸びた部分が風を切るような音をさせており、そのまま昔を回顧するような口ぶりで呟いた。
「……見える。遠くまではっきりと見える」
九華は分かりやすく声のトーンを上げると、体全身を動かし、想太に訴えかけた。
「まさか本当にスイッチがあるなんて……。で! どう!? なんか見えた!?」
「いや、この近くには何も無い。けど、」
落胆しそうな肩を思わず引き戻す。彼は言葉を紡ぐ余裕を残したまま、その伸びた顔の部分の下側を片手で撫でるように触る。
昔扱った覚えがある道具の、使い方を思い出すような素振り。目隠しされた状態で箱の中に手だけを入れ、何が入っているか当てるゲームをしているみたいな、そんな慎重さと逡巡が混ざり合う動きだった。
悩んでいる想太を見て、由依が一つ気づく。今度指されたのは、頭の方。
「あれ? 想っちの頭の上ってあんな飛び出てたっけ?」
言われて確認しようとするが、九華はいくら顎を天に向けてもそれを分からない。それでも由依が指すので、彼女は必死にその場で何回かジャンプをして、やっとその存在を視界の端に捉えられた。再び腕を組み直し。
「あー、なんかボタンみたいなのがあるわね。確かにさっきまでは無かったかも……」
「ボタン? 僕の頭の上にボタンがあるのか?」
「ん〜多分だけど、そだと思う!」
由依の問いかけに、彼は思い立ったような口ぶりで。
「……そうか。やはり、そうだ!」
徐に想太はその顔の伸びた部分を、自身の開いた両手で包み込む。そのまま左手は添えるように、右手を時計回りにするようにしてその伸びた部分の中腹をくるくると回し始めた。
すると、その顔の伸びた部分の先端が動きに応じて更に伸びていく。伸びて、伸びて、しばらくしたら止まったが、その長さはスイッチを押したばかりの頃と比べると、実に約一・五倍にもなっていた。
「更に遠くまで見える……! そして捉えた!」
そう言うと、彼はその伸びた部分から片手を離し、その手を自分の頭の上へと持っていった。そして頭のかさから上に飛び出ている突起に触れると、それが力のまま手によって押し込まれ。
────カシャッ。
紙を丸めたような、軽い音がした。それがシャッター音だと分かったのは、彼の全身からやけに機械的な駆動音が聞こえた後、彼のおでこの辺りに開いた溝から、だらんと垂れるように写真が飛び出してからだった。
前髪のように彼の顔を覗き込むその写真を、想汰は片手で勢いよく取る。それを三人に見せる際に振り返ろうとして、伸びた顔の先端が由依にぶつかりそうになったのがあり、彼は自分の背中を這うように腰のスイッチを探って押すことで、その伸縮を自分で制御出来るようになった。
見せてもらった写真には、今までと違って建物が写っていた。幾らかズームをしたのか全体的な画質は良いものは言えなかったため、細かい部分に関しては拾いきれなかったが、それでも大まかな外観を理解するには十分すぎるほどの情報量だった。
「周辺で目星しいものは、とりあえずこれしか無かった。視界に映る目盛りから推定して、この建物はここから約三五〇〇メートル、南に離れた場所にある。三・五キロとなると、そこまで遠くないから行ってみる価値は大いにあると思う」
写真へと意識を集中させていた九華は、想汰の余りの冷静な口ぶりに驚き、視線を思わず彼に移すと、両手を前に差し出して突っかかる。
「ちょちょちょちょっと待って!? あり得ないことが今起きたんだけど! なんであんたのおでこから写真が出るのよ! それに視界に目盛りがあるって……!?」
「僕に全てが分かるわけないだろ。ただ、あの伸びた顔を触っている時に感じた既視感。僕はそれに賭けた。それが連想ゲーム的に成功したというわけだ」
九華の腕を組む強さが、彼の話を聞く度にますます指数関数的に増えていく。遂には目すら無いその顔にも、眉を顰めているということだけは分かるような皺が出ていて。
「……つまり、どういうことよ」
「頭の上にボタンがあると聞いて、合点がいった。そう、僕のあの長く伸びた顔はレンズだ。既視感の正体は、いつも取材の時に首からぶら下げていたカメラを持っている感覚だったんだ」
「要するに……。儘波君はカメラとくっついちゃったってことか?」
「恐らく、そうだ」
いや、なぜくっついてしまったのかを知りたいのだが、と心の中で浮かんだ疑問を九華は何とか抑え込んだ。
正直、想太の目が使えるようになっただけでもう状況は非常に好転したからだ。次に行くべき目的地も、もう示された。彼女を覆っていた不安が無くなった時、細かいことはどうでもよくなった。
「はぁ……、もういいわ。とりあえずじゃあここでしばらく休んで、また良い頃合いになったらその場所に向かうわよ」
三人が全員了承の意味で頷き、頭のかさをわずかに揺らす。それを言い終わってから、九華は自分が放った言葉にほんの少し驚きを感じた。
いつもの自分なら、三人を連れ出してまで今すぐ歩き出し、強引にも次の目的地へと向かったはずだ。
実際、三・五キロなんて推定で今の今まで歩いてきた距離の十分の一ぐらいだろう、別に苦しい距離じゃない、そのはずなのに。
彼女は自分の足を、手で撫でる。振り返り、自分達が歩いてきたその足跡の伸びる先へと視線を移し。
もう、軌跡の始まりは見えなくなっていた。地平線が足跡を飲み込み、灰白色の世界へと溶けさせている。それでも、足へとのしかかるその重みが事実を忘れるなと烙印を押してきていて。
彼女は、今日初めて限界というものを知った。そんな気がした、だけかもしれないが実際今の状態では足を動かすことはあまり気分が乗らない。心では今すぐ、という極めて能動的な存在が促している、だがそこに体が追いついてこない。だから。
少しばかり、止まりたいと思ってしまった。
各々が不安から解放され、足を崩して休んでいる。そんな中、未だに正座をしたまま、膝に置いた握り拳を震わせ、顔を少し俯かせているのは、由依だった。
彼女は立ち上がると、あぐらをかいて大きく伸びをしている睡方の方へと近づく。彼の肩を叩くと、口元で手を隠すようにして何やら耳打ちをしてるようだった。
話し終わったのか、睡方が立ち上がる。彼は無い癖っ毛を押さえるようにして頭を撫でながら、今度は足を伸ばしている九華へと近づいてきた。
「あ、あのさ。由依さんからの伝言なんだけど……」
「何よ」
「どうしても休む前に、みんなで集合写真が撮りたいんだって」
視界の端で、立ったままの由依がこちらに両手を合わせ、頼み込むように頭を下げている。内心、九華は拍子抜けして二つ返事で。
「ああ、別にいいじゃない。想太! ちょっと!」
地面に腰掛けていた想太を呼んで立ち上がらせると、自分もその重い腰を上げる。睡方が振り返ってOKサインを出すと、由依は万歳をしたままその場で跳ね、嬉しそうにしていた。
想太の腰にあるスイッチを押し、そのレンズを飛び出させる。二回目でも驚くが、まあじきに慣れるだろうと九華は心にムチを打つ。
だが、この場合四人で映るにはカメラを自分達とは離れた場所に置かなければならなかった。そのため強行手段として、三人の力を合わせて彼の顔先のレンズを綱引きで引き剥がすことにした。
もちろん彼は酷く呻き声を上げたが、その甲斐あってなんとかレンズと彼を分離することが出来た。分離したレンズはまるで取られたことを理解していないかのように、彼の顔と同じ高さでぷかぷかと浮いており、それが非常に都合が良かった。
レンズを設置し、まっさらで何も無い世界を背景に四人が立ち並ぶ。身長の差が激しく、光景としては山脈のようだったが、それを言及して九華が得することはないため、わざと口に出さなかった。
彼女は、隣に並んだ由依に疑問を投げかける。
「ねえ、なんでわざわざ睡方を通したのよ。真向かいにいたんだから、直接私に言えば良いじゃない」
由依は、面食らったような顔をした後、片手を頭の後ろにやってどこか苦笑いで。
「いや〜、なんかあんまりみんなの役に立てなかったから……さ。それなのに、ウチが急にそんなこと言い出したらやばいかな〜って。でも、せっかくカメラがあるなら、撮った方がいいかな〜って思って、それで……睡っちに……」
目線を故意的に合わせないように、言葉をしどろもどろに紡いでいる姿。その細身の長身をもじもじと横に震わせている様を見て、九華は内心驚いた。一つは、彼女のこんな明確に動揺した姿をあまり見たことがなかったから。もう一つは、そんな小さなことを引きずって、悩んでいたのかということで。
「……なんか、らしくないわね」
「……え?」
「いや、あんたっていつもハツラツとしてて、すごい楽観的に物事を考える人っていう、そういうイメージがあったから」
由依は一瞬、動きを止める。その時の九華の目には、彼女のお腹で縦に割れた口の端がほんの少し震えたような気がした。何気ない素振りで、またいつものふわふわとした口調に戻り。
「……へぇ〜。ウチって九っちからもそう見られてたんだ〜。なんか、光栄かも!」
四肢をバタつかせるようにして、大きめのジェスチャーで話を進める。九華は両手を腰に当てると、彼女の目を見る。だが、少し照れくさい気持ちがあり、すぐに視線を虚空に移し、まるで独り言のような口ぶりのまま喋り出す。
「別に、私も多分彼らもそんな気にしてないわよ。なんなら、ここまで連れてくれた感謝の気持ちの方が大きいはずだわ」
「九っち……」
「だから……。とりあえずあんたは、あんたらしくしとけばいいのよ。いつもみたいに」
「……うん! ありがと!」
吐き捨てるように言ってしまったことを少し後悔する。それでも彼女は、柔らかな微笑みでこちらを向いたまま両手を胸に前に出し、強くその拳を握って前を向いていた。反対側の隣の想汰が、背中を向けている自分を小突く。
「おーい、撮るぞ」
頭のボタンに手をかけている彼が、レンズの方を向いている。他の三人もそれに合わせて同じ場所を向き、自由にポーズを決めて刹那、彼はシャッターを切った。
出てきた写真に映っているのは、それぞれ個性もバラバラの四人。全員の全身が映るように配慮したせいか、主に一人のせいで引き気味の写真になっていたが、それはそれで味があって良かった。
その写真を天に掲げるようにして眺めながら、新聞部の面々は地面に寝転び、束の間の休息に身を委ねていた。
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