第0.7話①:南南、または、北北

 不規則な足音が、無の空間に彩りをつける。歩き出してからまだ数十分しか経っていないというのもあるが、休息を挟んだからか、足が異常に軽く感じられる。

 この感覚を得てから、前に「フキヤ」と声を出した異形に会った時の感覚を思い出すと、やはりあの時は足が半分壊れかけていたのだと気づくぐらい、九華は本来の歩く感覚を取り戻していた。


 前にも言った通り、この世界には時間を測ったりする機械や指標、ましてや太陽や月すらも空に昇らない。そのため、なんて表現を使うことはあまり相応しくないと思うのだが、結局その方が便利なので四人のうちでもそう言い表すことは共通の認識にした。


 それを踏まえて言うと、九華含めて四人は以前の休息時間の時に、思わず意識が飛んで再び目覚めるというような感覚を覚えていた。その目覚めた際の体のだるさや様々な要因から、四人は擦り合わせを行い、自分達は睡眠をしたという結論を取った。そして、全く景色の変わらない世界の中で、この世界に生まれ落ちて、フキヤと呻く異形に会った時までの自分達を昨日の自分達と呼ぶことにしたのだ。


 そして、もう一つ気づいたことがあった。それは今の状態の九華達は、腹が減ることがないということである。これは由依が起き抜け「何か食べたい」と言い出したことに始まった。もちろん、この世界には食糧のような目ぼしいものが点在しているわけはなく、勿論無数にある地面は硬すぎてお腹の口から吐き出してしまう。

 それに、自分達は長旅をしてきた自身のことを「昨日の自分達」と言ったが、実際の体感時間だとなんとなく、風句二の家からフキヤに会うまで、歩いていた時間は現実世界の丸二日に感じられるような気がしていた。つまり、今日が実質的には三日目。


 昔本で読んだことがある。人間は食べ物を食べなくてもある程度生きながらえるが、水を飲まなかった場合三日で死に至る、と。もちろんいずれの新聞部部員も何も口にしていない。なのに、生きている。


 というわけで、この謎の世界のいる自分達は食事を摂らずとも生きることが出来ると結論づけた。何よりその説を強く裏付けたのは、由依以外の三人が総じて、空腹に起因する全身の無気力感というものが無かったからであった。

 由依もその話し合いが終わった後、「お腹は空いてないけどなんか食べないと気持ち悪いから食べたいと思った」というようなことを呟いており、その一件から食に対して無理に思考を巡らせる必要は無くなって、また一つ不安を払拭することに成功した。


 先頭を導くように、九華が写真を見ながら進む。後ろには顔を伸ばした想汰が辺りを見渡しており、その後ろを睡方、由依と続くように隊列が組まれている。

 想汰は手を後ろに回し、腰のスイッチを押す。長らく伸ばしていた顔を縮ませ、元の姿に戻った後、写真を持つ彼女に伝えた。


「もうすぐだ。あとここから一キロも無い」


「オッケー。方角も、結局合ってたみたいね」


 小気味よく足を進める。それから数分が経った後。彼が言った通り、九華の視界の先にもその目的地が徐々に姿を表してきた。写真に写っていたものと同じ建物。奇しくもそれは写真で見るよりも実際に見る方が、現実感が無いというような不思議な感覚を覚えさせた。


 建物からほんの数メートル離れたところまでいって、四人はその足を止める。部員全員が横並びでその建物の前に立ち、その不気味な外観を注視する。


 眼前に広がるこの建物は、自分達が元いた現実世界では見たことのない要素が多数使われており、中々言葉で表現することが難しい。大きさは駅にある売店ほどの規模感でそこまで大きくなく、元々の構造としては、夏祭りの際に用いられるやぐらに近いため、そこまで非日常的なものではないと言えるのだが。


 言うなれば、建物の壁に使われている素材が異常に多いのだ。限りなく近く表現するなら、ゴミ処理場全体をかき集めてバケツに入れ、それを接着剤の塗られた木材の骨組みに向かって溢す、という行動を建物の表面が埋まるまで繰り返した、というような感じ。その素材の中には、現実世界で存在していなかった部品や小物が夥しい数混じっており、自分達が全てを把握出来ないのも無理はなかった。


 だが、近づいてみて初めて分かったこともあった。写真で見た時はズームゆえに一部が画質で潰れていて分からなかったが、この建物はがらくたで構成された壁三面で直方体の片側面だけを開けたような作りになっており、その両脇の壁と壁の間を埋めるように、その壁の三分の一ぐらいの高さの直方体のカウンターが置かれている。

 つまり、中が空洞になっているのだ。それにその木製のカウンターの側面にはノートの切れ端のような紙が雑に何枚も貼られており、そこには何やら文字が書いてあった。


「無いもの 0円」


「有るもの 0円」


「欲しいもの 0円」


「要らないもの 0円」


 等々。文字は基本的に黒色の鉛筆で力強く書かれつつも、所々は線が細い字もあったりして不安定だった。でも、全て真摯に手で書いたであろうという書体をしており、九華は微かに人の気配を感じた。

 その表記を見て、彼女はふと頭にとあるイメージを浮かべる。やぐらのように見えていたそれが、情報を得てから段々と屋台、出店のようなイメージへとすげ変わっていく。四人は手の届く距離まで建物に近づいていき。


 建物の中に空いている空間──もしもこれが出店だとしたら、人が立つような所──は、屋根が付いているにも関わらず、外の世界と同じ明るさでよく見えた。が、別に在庫の段ボールが積んであるとかそういうことは無い。九華は頭を掻くと、ふと気になってそのカウンターで死角になっている建物内下部を覗き込もうとする。

 その瞬間、何かがバネのように視界内で飛び上がり、建物内の空洞を埋めるように大きく両手を広げた。


「いらっしゃ〜いお客様〜」


「うわぁ!」


 九華が声を上げて、思わず体をのけぞらせる。その声に驚くようにして、睡方は尻餅をつき、想汰も少し後退りした。他の所を見ていて自然に振り向いた由依が、遅れて驚きの声を上げる。その要因は、飛び出してきたその異形の姿にあった。


 紺のとんがり帽子に、所々のシワを見逃せない薄黄色の肌。耳は激しく横に尖っており、鼻も先端が鋭く伸びている。特に顔の中で存在感を見せている茶色の双眸そうぼうをはじめとして、耳、鼻、口もしっかりとあるため、顔は非常に人間のフォルムに近い見た目をしていた。

 対して、腕は塵がつむじ風で渦巻いたようにしてその五本の指を模した形をなんとか形成しているような様子。それは上半身とはくっついておらず、原理不明でふわふわと浮いていて、肩という概念が退けられていた。

 

「お、お客様……? ……ってことは、やっぱりここって何かのお店なんですか?」


「ああ、そうだとも。正真正銘、ここはを売る店さ」


 反応した九華に返したのは、どこかしゃがれて掠れつつも貫禄を感じる声。紺色のローブを身につけるその姿も相まって、年老いた魔女のような雰囲気が伝わってくる。便宜上以後「彼女」と呼ぶことにするその異形は、机に塵の渦巻く手を付けながらこちらに視線を寄越し、体を少し上下させていた。


「無いものを売る店って……。どういうことすか?」


 隣の睡方が思わず口から溢す。彼女は軽々と体を一回転させると、その店の中の空間を悠々と飛び回りながら答える。下半身の、一本の脊髄のように塵が集まっている光景が、異形らしく、見ていて退屈させない。


「ここに来る奴はみんなそう言うのさ。それ目当てで来る奴なんてありゃしない。第一、無いものを買おうとする奴なんて……、言わなくても分かるだろう?」


 九華は一つ引っかかる。


「ここに……来る奴? もしかして、ここに私達みたいな人達が他に何人も来るんですか!?」


 異形は帽子の先を、手でいじる。目を見開きながらも、どこか呆れたような口調で。


「人? もしかしてあんた、昔話が好きなのかい。それとも実は、アタシより年上だったりしてね」


 そりゃないか、と豪快に笑う彼女。九華は他の三人と思わず目を見合わせる。いずれも首を傾げたり、顔を横に振ったり。笑った揺れで体から離れてしまっている異形の塵が風と共に緩やかに体に当たるのを感じながら、九華は両手を机に置く。


「あの、私達、現実世界に帰りたくて、」


「いいかあんた」


「えっ」


 言葉を遮られて思わず戸惑う。その言葉も聞き飽きたというような感じで、塵で構成された手の人差し指を彼女のかさに勢いよく突きつける。


「アタシ、いつからこの店やってると思う?」


「……え、えっと、いつからっていうのはその、」


「あんたが人間だった頃の時間の感覚でいいさ」


 その鋭い目線に思わずギョッとする。目の前の異形に、自分の心を見透かされているような感覚だった。彼女は、人間の存在を知っている。そしてなぜか自分が、元々人間であったことも当てられた。困惑と思考が頭の中を駆け巡る。された質問に対しての意識が希薄になり、九華は首をぐるぐると動かしながらぶっきらぼうに答えて。


「……六十年とか」


「三千年だよ」


 ほぼ決め打ちのように被せて言われた。九華の体はその瞬間、酷く硬直し、声未満の空気のようなものがただ漏れるのみだった。そのゆえか、驚きを隠せなかった睡方の声が先に響く。


「さ、三千年……!? 三千年ってあの三千年すか!?」


「そうだと言っとるだろ」


「つまり、この店を三千年以上続けているということは、あなたも三千年以上生きているということなのだな」


「賢いな。早口で聞き取りづらいが」


「てことは、めっっっっっっっちゃ長生きってこと!?」


「ああ、そうだとも」


 三人が体を震わせる。驚き、困惑、感激、様々な感情が混じり合う震えの輪に無理やり入るように彼女も勢いよく声を上げ。


「待ってください!それが本当なのだとしたら、私達がいた現実世界は、」


 必死で走らせた口を、彼女に人差し指を押し付けられて止められる。その指はフキヤと同じく塵で構成されているのにも関わらず、予想に反して口には強い実体感、そして熱を感じられた。思わずお腹の口をもがもがと動かすが、赤子の喃語のようにそれが言葉になっていかない。


「おっとあんちゃん、それ以上は欲しいものを得ようとしてるだろ?うちはなぁ、その人が欲しくものしか売ってやれないんだ」


 彼女はカウンターの下に手を入れると、桃色と黄色の交互柄の紙を細長く巻いたようなものを取り出した。九華は促されるようにして手を差し出すと、それを渡されて、手を無理やり握らせられた。そして、彼女はギョロリと動く目を一度ウインクさせると。


「これは、火以外でしか点かない手持ち花火だ。あんたが今一番欲しくもの、さ。それじゃあここでの出張販売はおしまい、またどこかで」


 そう言われ、やっと人差し指が口から離れる。息切れし、両手を膝につける九華の前で、その異形は再び体を回転させると、風に紛れるようにしてその姿を消した。

 刹那。建物の壁が色を失い、まるでペーパークラフトのように一瞬でその全体が音も無く倒壊した。飛び散った欠片がひとりでに潰れていき、そのまま溶けるようにして灰白色の地面へと馴染んでいった。その間、わずか十秒だった。


「……な、なんなのよ本当」


 九華は異形に握られた、わずかに温もりの残った手を開いた。渡された、火以外でしか点かない花火とやらの本数を数えてみると、全部で二十九本だった。指のない手ゆえか、数えている途中でぽろぽろと地面に落としてしまう瞬間があってストレスが溜まったのと共に、四人で割り切れない数だと気づいて更にやりきれない気持ちになった。


 その花火の一つには、側面に店前に貼ってあった文章を書いたであろう黒い鉛筆で、とある文章が記されていた。


「あんた達が向かう場所は、ここから南東さ」


 花火の細い胴体に無理やり書いたからか、その文字の部分の紙は激しく潰れた跡があった。

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