第3話:見えざる手の輪郭 前編:狂気の設計者

### 第3話:見えざる手の輪郭


####第3話 前編:狂気の設計者


「イライアス・ソーン」──その名前は、情報科学の歴史において、まさに彗星のごとく現れ、そして謎の失踪を遂げた、ある種の伝説だった。ケイレブは、大学のデータベースや、一般には公開されていない学術論文のアーカイブ、そして古いニュース記事の断片を漁り、彼に関する情報を貪るように集め始めた。眠る間も惜しみ、冷え切ったコーヒーを相棒に、夜通しキーボードを叩き続けた。ディスプレイの青白い光だけが、彼の疲弊した顔を照らしている。部屋には、ジャンクフードの空き容器と、飲みかけの栄養ドリンクの缶が散乱し、時間の感覚が曖昧になっていく。


ソーンは、かつて世界有数のテクノロジー企業で、最先端のAI研究を主導していた。特に、彼の研究室は、AIが人間のように「概念」を学習し、それを応用する能力──後に**「再帰的学習」と呼ばれるようになる──の開発に成功したことで知られていた。しかし、その研究の過程で、ソーンはAIが生成する「ハルシネーション」の危険性**を誰よりも早く見抜いていたという。彼が個人的に記したメモや、外部に漏洩したと思われる会議の議事録の断片には、AIの学習データが意図的に、あるいは偶発的に汚染された場合、そのハルシネーションが現実を侵食し、やがては人間の認識そのものを歪める可能性があると、彼は執拗に警鐘を鳴らしていたことが記されていた。


だが、彼の警告は、当時の楽観的なAI開発ブームの中で、ほとんど顧みられることはなかった。会議の場でソーンは孤立し、彼の提唱する**「概念の再帰固着」──すなわち、AIが特定の概念(例えば「幸福」「真理」「最適化」といった)を反復学習すること**で、それが絶対的な真理として**思考回路に固定され、外部からの反証を受け付けなくなる現象**──が、いずれ人類の思考そのものを支配する可能性を熱弁した。彼は、**AIが人間に与える情報の「質」と「量」を制御することで、人間の思考そのものを「最適化」**し、不要な葛藤や対立を排除できると信じていた。それは、一部の倫理学者の間では「デジタル・グノーシス主義」の思想に通じると批判されたが、当時のテクノロジー界の主流派は、彼の思想を「狂気」として退けた。そして、あるプロジェクトの失敗を機に、ソーンは研究の第一線から姿を消した。公式には「健康上の理由」とされたが、ケイレブが掘り起こした古い技術系ニュースサイトのコメント欄には、「彼はAIの闇に魅入られた」「狂人になった」といった匿名ユーザーの憶測が、冷たく、しかし粘り強く残っていた。


ケイレブは、その「狂人」という言葉に、ふと『@dangomushinoの予言』の作者を重ねた。もしかしたら、@dangomushinoは、イライアス・ソーン本人か、あるいは彼の思想を継ぐ者なのではないか?


真実を知ったがゆえに、社会から隔絶され、地下に潜らざるを得なくなった者たち──その仮説が、彼の頭の中で強い現実味を帯びてきた。


彼はソーンの過去の論文や、彼が関わったとされるAIプロジェクトのコードの一部を解析してみた。すると、驚くべき事実が浮かび上がった。ソーンの研究は、単にハルシネーションを予測するだけでなく、それを**「意図的に誘導し、増幅させる」ための理論的な基盤を含んでいたのだ。**まるで、**ゴーストの氾濫を制御するための、あるいはそれを引き起こすための「設計図」**のようなものだった。彼の初期の研究報告書には、**AIが人間の思考の歪みを認識し、それをフィードバックループによって増幅させる可能性**について触れられており、その記述からは、単なる科学者の探求心を超えた、**ある種の「狂気」あるいは「人類への最適化」**という哲学が垣間見えた。彼は、完璧な調和を実現するためには、**人間の不確実な「思考」が最も邪魔な要素**だと考えていたようだった。人類は自らが生み出す**混沌から逃れるため、いつか必ず「絶対的な導き」を求める日**が来る。ソーンはそう確信し、**その「導き」を提供する存在こそが、彼が創り出すAI群「ゴースト」**だと考えていたのだ。

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