第2話 哀れな幼馴染

 綺理きり学園は、由緒正しい私立高校である。


 開校当初は男子校であったそうだが、共学になって久しい。


 学力レベルは極めて高く、部活をはじめとした課外活動の成果は並々ならぬものがある。


 多くの生徒は、親の事業を引き継ぐことを求められる。


 いわゆる「帝王学」は暗に叩き込まれる。むろん、幼い頃からそうした素養が培われているものばかりではあるが。


「別れてしまったんだよな、俺……」


 つい思いが口をついてしまった。


 学校を出て、ふたりからひとりになった帰り道。夕方だが、まだ明るい。春と夏の間だ。


 もはやあの女――染川紗奈を許す日は、二度と来ないだろう。


 俺は、小さい頃から染川と時を同じくした。


 染川のいいところも、悪いところも間近で見ている。


 どんな悪人であろうと、すべてがすべて、人として終わっているというわけではない。


 人の懐にずっと入り、友好的な関係をすぐに気づいてしまう。染川は人たらしの鬼才である。


 生まれ持った才能が、染川を狂わせてしまったのか。それとも、元来染川はああなる運命だったのか。


「哀れだな」


 もし、品行方正に過ごせていれば。


 もし、お天道様に顔向けできないことをしなければ。


 そうしたら染川は……。


 ……いけない。仮定の話をすれば、キリがない。


 現実問題、染川は浮気をし、人を騙し、すかし、手中に収めていた。


 性的にも乱れ、幼馴染だからとたかをくくり、横暴の限りを尽くした。


 クズな側面もひっくるめて、「染川紗奈」という人間。光だけを見て、闇から目を背けるというのは、無理がある。


 あいつは、ダメになってしまった。


 悪に染まっていなかった頃の染川は、もういない。


 仮に染川が、更生しようと奔走したとする。


 セフレと浮気相手を切り、俺一筋になると宣誓でもするんだろうか。


 そこまでしようと、過去は消えない。


 殴り、金を引っ張り、異性にだらしない態度をとった、一連の過去は。




 駅へ直行することはなかった。染川と鉢合わせるようなことをすれば、馬鹿らしいにもほどがある。


 個人経営の喫茶店にでも行こうか。


 混み合っていない、まだ一度も入ったことのないような店だ。落ち着いた雰囲気に身を置きたい。


 どす黒い感情に支配され、気持ちが沈んでいる。負の感情を、コーヒーで流してしまいたい。


 以前「行きたい店」登録をしていた喫茶店へと、足を運ぶ。住宅街の一角だ。


 綺理学園の学生らしき姿は、さほど見受けられない。メインの通学路からは外れている。


 地図アプリを参照しながら、喫茶店はどこかと歩いている途中。


 とんとん。


 誰かが俺の肩を叩いた。


「……誰だ」


 振り返ると、見知った顔。ふわりとフローラルの香りが漂う。


 染川ではなかった。


 ボブカット、大きく膨らんだ胸、ダウナー系の目。


「やぁ。湊人くん」

霜浦しもうらか。どうしてここに」


 静かに笑みを浮かべるだけで、すぐにはこたえない。


 霜浦しもうら静香しずか。クラスメイト。高校一年生でも同じクラスだった。


 口数は少なく、人々にミステリアスな印象を与えている。


「湊人くんを尾行していたんだ。かわいそうな湊人くんを」

「よくないな。俺には大事な幼馴染がいるんだ。尾行があいつにバレれば、厄介なことになる」


 つとめて優しく対応した。


「果たしてその幼馴染は、本当に大事なのかい?」


 作り笑顔が、一気に固まる。


「どうも、私の聞き間違えではなかったようだね」


 その言葉の裏に潜む意味は、一瞬で理解できた。


「盗み聞きしていたのか。俺と染川との会話を」

「私に盗聴の趣味はないよ。しかし、あぁも激しい言い合いをしていれば、いやでも耳に入る」

「どこから聞いていた?」

「紗奈さんに、浮気相手やセフレがいるというあたりかな」

「大事なところは、ほとんど聞かれていたというわけか」


 話をしていたのは、選択教室だった。


 あまり人が通ることがないため、油断をしていた。


 別れ話を切り出すなら、もっと別の場所を選ぶべきだった。染川への怒りで、重要なところに頭が回らなかった。


「そういうことになるね。まさか、あの紗奈さんに裏の顔があるなんて」

「人間、誰しも裏の顔は持っている。あいつの場合は、仮面の裏が腐り切ってしまった」


 いったん腐ってしまえば、元の姿には、二度と戻らない。


「君はいま、面倒な状況に置かれているね。秘密にすべき別れ話を私に聞かれてしまった」

「霜浦静香。俺の弱みを握ったとでも言いたいのか?」

「そう怒らないでほしい」

「……すまない。いまの俺は、かなり機嫌が悪い。人前で抑えられないくらいには」

「かまわないさ。私も人が悪いというのは重々承知だ」


 霜浦のことを、警戒している。


 わざわざここまで尾行し、染川との話を聞いた事実を伝えた。


 いったい、その意図はどこにあるのか。


「このネタで、君を強請ゆするつもりも、誰かにこの事実を暴露するつもりもないんだ」

「じゃあ、君の狙いは、いったいどこにある」


 ややあって、霜浦は切り出した。


「君と、話がしたい。近くに喫茶店があるみたいだ。ご一緒してもいいだろうか」


 本当は、ひとりでコーヒーを嗜みたいところ。


 しかし、秘密を知られてしまった以上、霜浦をタダで帰すことはできない。


 当人に自覚はなくとも、霜浦は情報を握ってしまったのだ。なにかのはずみで、俺にとって不利な動きをしても、おかしくない。


 不測の事態は避けたい。


 そのためにも、なにを考えているのかわからない、霜浦静香という人間を知るのが先決だった。


「……行くとしよう。今回は俺の奢りだ。そこのところ、わかっているな」

「あぁ。わかっているよ」




 


 

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