RedList〜人間が絶滅危惧種で滅亡寸前なので俺が追い討ちをかけてみようと思う〜

しゃも

第1話 新しい生活

ざあざあ、ざあざあ。

冷たい雨の中を、闇を掻き分けるようにして駆けていた。

夏の夜だと言うのに、異様なほど寒い日だった。それは皮膚を突き刺す雨のせいかもしれないし、恐ろしいほど規則的に並んだ街の建物のせいかもしれなかった。


街にあるものは全てが一ミリのズレも無く整列していた。街頭はきっちり五十メートル間隔で整然と並び、建物と建物の間には少しの隙間も無い。街路樹までもが、コピーアンドペーストされたみたいに一寸の狂いもなく立っていた。

その正確な世界は、その中に突如として現れた異常な俺を排除しようとしているようだった。俺はこの完璧な世界の敵ということにされてしまったのだ。雨、風邪、建物、街頭、月の灯りまでもが俺を睨んで、やがてそれは心までもを侵食する。


後ろから、雨に混ざって俺を追いかける声が聞こえる。それを振り払うように、走る、走る。やがて声も遠のいていった。実際に奴らとの距離が大きくなったのか、耳が機能しなくなってきたのかは分からなかったが。


ざあざあ、ざあざあ。

雨はいっそう強くなって、身体に打ちつけていった。感覚が徐々に消えていく心地がした。手も足も、自分から隔絶されて遠くにあるように思えた。目に見える物全てが、真夏の夜の夢のように不明瞭で現実味がない。もしかしたら、これは全部俺の妄想で、本当の自分は羽毛の布団に包まれて眠っているのかもしれない。きっとそうだ。そうに決まっている。こんな現実、悪夢だと思ってしまいたかった。


大きな衝撃が身体中に走り、俺の意識が無理矢理現実世界に戻された。きっかり十キロメートル走ったところで俺は一瞬、宙に浮いたのだ。もちろん、それは本当にコンマ零零零一秒くらいの話で、次に目を開いたときには、俺は地面に打ち付けられていた。衝撃はやがて痛みへと変わり、痛みはやがて絶望へと変わる。俺はそこでようやく、自分が転んだことに気がついた。ふと目を後ろにやると、人影が見える。誰だ。ここはどこなんだ。追手なら随分前にまいたはずじゃ無いのか。


ああ、俺はここで終わってしまうのだろうか。もし来世があるなら、もっと強い身体と権力が欲しい。そして、必ず…







人類を滅ぼすんだ!!


ぐるぐると渦巻く思考は意識と共に闇へと吸い込まれ、俺の視界は真っ暗になった。




ー     ー     ー     ー



「ねぇ、Y3859」

頭上から、柔らかな声が響いて、俺は目を開いた。見ると、真っ白な空間の中に黒髪が揺れている。それは、少女だった。小さな体躯に大きな真っ黒の瞳が俺を覗きこみ、見透かしていた。服も、周囲と同様に一点のしみもない純白をしていた。間違いなく少女はこの場所で最も鮮やかであったが、それと同時に、目を離したら背景に溶けて見失ってしまいそうな危うさがあった。

しばらく、俺は少女に見惚れていた。沈黙が心地いい。このまま、この時間が永遠に続けばいいのに。返事をしようと口を開こうとしたが、声は喉の奥で消えてしまった。何度やっても、声が出ることは無かった。

そこで気がついたのだが、声が出せないだけでなく身体も一切動かすことが出来ない。どれだけ力を入れても、石になってしまったように指先すら微動だにしない。不思議と、それは心地よかった。

そんな俺に構わず、少女は話を続ける。

「私ね、あなたといるととても楽しいの」

俺は黙っている。少女は、少し首を傾けて微笑んだ。その時、覗き込んだ少女の髪の毛が頬に当たったように見えたが、感覚は無かった。もしかしたら、俺の身体はこの世界に存在していないのかもしれない。それでも、悪い気はしなかった。少女は確かに俺に向けて喋っている。それだけで十分だった。

「あなたは、他の誰とも違う。先生はあなたを失敗作だって言うけど、そうは思わないわ。あなたと話すと、うまく言えないけれど、世界が色づくの。今日がすてきなことに気が付けるの。だから、もっともっと一緒にいたかった。それなのに、どうして…」

そこで、少女が黙ってしまうから、俺は不思議に思って目を開いた。もちろん、目という概念があるかは分からないが、とにかく意識を向けた。その少女の顔は、今まで見たことのない表情をしていた。そこに、小さな、しかし確かな違和感があった。その時、初めて俺は、少女の声を聞きたくないと思った。本能が、ここは危険だと警鐘を鳴らす。俺は依然として動けない。

「どうして、」


「どうして私を裏切ったの!!」


その瞬間、ガラガラと世界が崩れ出した。少女はおよそ原型を保っておらず、同じようにバラバラになってゆくのが見えた。ほんの一瞬だけ見えた瞳には怒りがこもっていた。何かの破片と液体が、身体に当たって弾ける。純白の笑顔の下から、砕けた冷たい鉄骨が現れて、その全てが俺に失望していた。陶器のような肌が剥がれ落ちる。真っ白だった空間は今では暗く澱んで見えた。

「どうして、どう…ど、どうし…、ど、て」

言葉にならない声だけが残り、反響し、俺を責め立てている。伝えたいことが全て喉に詰待っているようで、苦しい。否定したかったが、出来なかった。それが何のせいかは分からなかった。少女は狂ったように同じ言葉を繰り返す。何度も、何度も、何度も。俺は黙っている。やがて、空間までも俺を睨んでいた。後悔だけが俺に残っている。

謝りたかったけれど、それは何の意味もなさなかった。


どうしてこんなことになってしまったんだ?




ー   ー   ー    ー    ー



 

「ーっ」

目を開いた時、そこは見知らぬ場所だった。目覚めが悪く、頭が痛い。長い紐が絡まったように、記憶が曖昧だ

とにかく、情報を得なければ。軋む身体を起こし、辺りを見回した。ここは、どこだろう。目に入る物全てが、見覚えの無いものだった。どうやら、そこは誰かの部屋であるらしかった。なびくカーテンに、卓上に並んだ置物、時を刻み続ける時計。無造作にかけられた衣服からは、確かな生活感が感じられた。俺はその中の一つであるベッドに寝かされていたのだとようやく気づいた。

その時、ピッピッと電子音がなったので、そちらを見やると、何かの機械が棚の上に鎮座していた。そこには『データの解析が終了しました』という文字がくっきりと映し出されていた。その機械に繋がれた数本のコードが、背中に繋がれている。怖くなった俺は、慌ててそれを振り払う。思ったよりすぐに外れたそれは、だらんと垂れ下がって地面に打ち付けられた。

本当に、ここはどこなのだろう。手足は自由であるから、監禁ではなさそうだが。俺は、記憶を一つ一つ辿っていく。確か、俺はどこかで倒れて、それで、それで…。そこからのデータは、何一つ無い。

こんなところで一人で考えていても、埒があかない。俺は決心して布団を払いのけると、ベッドから降りた。服も、知らないTシャツになっていて、少しサイズが大きいから動きづらい。どうやら、手足は上手く動くようだ。地面に足をしっかりとつけて一歩一歩慎重に踏み出す。扉の前まで来たが、特に何か起こる訳でも無かった。意を決して、冷たい金属製のドアノブに手をかける。扉は、いとも簡単に開いた。

暖かい風が、頬を駆け抜ける。ドアの先には、階段があった。音を立てないように、ゆっくり足を下ろす。一階と思われる場所まで来た時、誰かの話し声で俺は足を止めた。少し屈んで、声の主を探す。やがて、奥の部屋に人影が見えることに気が付いた。

「…聞いてよ、今週残業時間がもうすでに20時間超えたんだ!これやばいよね」

ドアの隙間から覗き込むと、一人の青年がいた。遠目からなので細かいことは不明だが、茶色の髪に黒いジャケットを羽織った格好をしているようだ。見た目には、特に不自然なところはない。部屋も、見たところ普通のダイニングのようで、奥にはこれたま普通のキッチンがある。しかし、異常な点が一つだけあった。それは…

「これってもしかして訴えれるかな、どっかの機関とかに」

この男が虚無に向かって話しかけているということだ!そいつは、話し相手が居ないのにも関わらず語りを辞めない。むしろ、話はヒートアップするばかりだ。そのせいで、どこにでもあるダイニングが恐怖の空間となっている。

考えられる可能性は三つ。

①とても大きな独り言

②俺には見えないなにかがいて、そのなにかに話しかけている

③その男の想像上の人物に話しかけている

このどれか以外にも選択肢があるかもしれないが、たとえそうだったとしても言えることは一つだ。

こいつに関わりたくない!

この男が敵か味方か判別出来ないが、とにかく見つかったら面倒なことになる。俺の本能がそう告げている。俺は尋常じゃないスピードで回れ右をし、外に通じる扉を探そうとした。しかし、その判断をするにはもう遅すぎた。

「あれ、ロボットくん、起きたんだ」

男はいつの間にか俺の後ろに立って、小さな微笑みを向けていたのだった。


「俺の名前はアルジ。主人って書いてアルジって読むんだ。かっこいいでしょ。君の名前は?」

アルジと名乗った青年は、温厚そうな笑みを浮かべてそう聞いた。今、俺とこいつは何故かダイニングテーブルを囲んで対面している。あの後俺は、抵抗も虚しく捕まってしまったのだった。その椅子は俺には少し高く、足が地面につかないのが不快だ。別に俺が小さいとかじゃ無いけど。

「なんでお前に教えないといけないんだ」

俺がそう突き放してみるとアルジは、ひどい‼︎初対面なのに‼︎と、ショックを受けたような顔をした。どうやら、彼は悪いヤツでは無いようで、俺に何か危害を加えることは今のところしない。うるさいけど。

それにしても、先ほどは分からなかったが、このアルジとかいう男は中々に整った顔立ちをしていた。太っているのか鍛えられているのか微妙に判断のつかない身体に、通った鼻筋と透き通った碧眼が輝いている。髪型も、セットされているのかいないのか分からない様子だったが、それすらも様になっていた。もちろん、口を閉じていればの話だが。そして、なんと言っても頬に刻まれたバーコードが異彩を放っている。いい意味で。

「えー…じゃあ、勝手にシロって呼ぶね」

「⁉︎」

勝手に名前をつける⁉︎やはり、不可解な男だ。そんな発想、俺には無い。いや、褒めては無いが。しかし、俺にはその時、本当に名前が無かった。と、いうか概念が無かった。製造番号ならあるが、こいつに番号で呼ばれるのはなんか癪だ。色々と思案したが、別に代替案は思いつかなかった。そういう訳で、俺は今日、晴れてシロとなったのだ。

「ちなみに、シロ、帰る場所とかある?」

「…無いが」

「やっぱり!でも、大丈夫だよ。シロには、俺の召使的な役割をやってもらおうと思ってるんだ。細かいことはおいおい説明するから、心配しなくていいよ。…他に、何か聞きたいことはある?」

いや、聞きたいことしかないが…。と、いうか勝手にこいつと暮らす展開になっているのが憂鬱だ。しかも、俺の方が立場が下だなんて!やはり、あの時無理やりにでも逃げ出しておけばよかったかもしれない。いや、今からでも逃げられるだろう。しかし、行くあてもないし…。ここは、一旦了承しておく方が無難かもしれない。覚えていないが、この感じだと俺はこいつに拾われたのだろう。そうだとしたら、今はこの家にいる方が安全だ。少なくとも、今すぐ倒れることはない。

「…分かった、了承し」

「あ、一個大事なことを言うのを忘れてた!あのね、俺、実は…」

せっかく乗り気になった俺の言葉を遮りアルジは立ち上がった。声だけでなく動きまでうるさいやつだな。彼が机に手をついた拍子に、卓上にあったカップの液体が揺れた。揺れはすぐに収まって、また元の状態に戻る。ほんの少しの沈黙があって、その時、部屋には確実に緊張が走っていた。


「…人間なんだ」

「!!!」


その瞬間、俺はあることを思い出した。そうだ、俺は、人類を滅亡させようと決意していたんだ。どうしてそんな大切なことを忘れていたんだろう。そして、その瞬間、この男に対する明確な敵対心が生まれた。人間は今すぐ排除してしまわなくてはならない。絶対に!

しかし、俺には何も無かった。武器も、力も

…。それに冷静に考えてみると、今ここでこいつを倒したとしても、無数に存在する人間のうちの一人が消えるだけだ。そんなんじゃダメだ。もっと大きな出来事がないと。

アルジはいきなり黙ってしまった俺を怪訝そうに見つめている。そうだ、こいつは俺が人類を滅ぼそうと考えているなんて毛ほども知らないのだ。それなら、今はこいつと友好な関係を作って、力をつけた方がいい。そして、何とかしてこいつを利用し、いつの日か必ず…!

「…問題ない。了承しよう。」

たっぷり間をおいた後、俺はそう言いながらできる限り温かい笑みとともに右手を差し出した。アルジもそれを握り返す。彼は俺を微塵も疑っていないようで、純粋な目を嬉しそうに細めていたから、それが面白くて笑ってしまった。そうして暗黙の契約が完了し、俺たちの少し歪な日常は幕を開けた。

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