第24話 過激な看病
どれくらい、そうしていただろうか。
戦場の喧騒が完全に遠のき、破壊された大地に、魔王城から駆けつけた者たちの声だけが響く。
俺は、もう指一本動かす気力もなかった。
親友が生きていたという衝撃。そして、敵として刃を向けられたという絶望。
その二つが、俺の精神を限界まで削り取っていた。
「アレン!」
「アレン様!」
リリムとルナリアが、俺の左右に滑り込んできた。
「しっかりしろ、アレン! 妾がついておる!」
リリムは、俺の頬をぺちぺちと叩き、必死に呼びかける。その瞳は、心配で潤んでいた。
「まあ、可哀想に……。すっかりお疲れですのね。大丈夫ですわよ、アレン様。わたくしが、身も心も蕩けるくらい、たーっぷりと癒して差し上げますから」
ルナリアは、そう言って俺の身体に寄り添い、豊満な胸をぐりぐりと押し付けてくる。いつもなら悪態の一つもつくところだが、今はその感触さえ、遠い世界の出来事のようだった。
「こら、痴女! どさくさに紛れてアレンに触るでない!」
「あら、魔王様こそ。そんな小さな身体で、アレン様を支えられるとでも?」
「なっ……! 小さいとはなんじゃ、小さいとは! 愛情の大きさと身体の大きさは比例せんのじゃ!」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ二人の声を聞きながら、俺の意識は、ぷつりと途切れた。
◇
次に目が覚めた時、俺は、見慣れた自室のベッドの上にいた。
だが、いつもと違うのは、そのベッドの柔らかさと、ふわりと香る、甘い花の香り。
そして――。
「ん……あら、お目覚めですの、アレン様?」
耳元で、吐息混じりの声がした。
横を見ると、そこには、ネグリジェ姿のルナリアが、俺の隣に添い寝していた。
ベッドの中に、いる。
「なっ……! る、ルナリア!? なんで、俺のベッドに……!」
「お加減はいかがです? 丸一日、眠り続けていらっしゃいましたのよ」
俺の驚愕などどこ吹く風で、彼女は妖艶に微笑む。
「『看病』ですわ。アレン様は、わたくしがつきっきりで、お世話させていただきましたの。もちろん、身も心も、ね?」
彼女は、そう言って俺の頬に、ちゅ、と軽いキスをした。
「な、ななな……!」
頭が沸騰しそうだ。疲労困憊の身体には、あまりにも刺激が強すぎる。
その時、ガチャリ、と部屋の扉が開いた。
「アレンの様子は……って、ルナリア! やはりお主か! アレンの寝込みを襲うとは、万死に値するぞ!」
お盆を持ったリリムが、鬼の形相で部屋に入ってきた。
「あら、魔王様。わたくしはただ、アレン様の熱が下がったか、肌と肌で確かめていただけですわ」
「その厭らしい手口を、人は『夜這い』と呼ぶのじゃ! さっさとアレンから離れんか!」
「魔王様こそ、そのお盆はなんですの? まさか、手ずからお食事を? 毒見はちゃんといたしましたの?」
「なっ! 妾がアレンに毒など盛るものか! これは、エリアに教わって、妾が丹精込めて作った、特製の滋養スープじゃ! アレン、さあ、口を開けよ! あーん、じゃ!」
リリムは、レンゲに盛ったスープを、俺の口元に突き出してくる。
「いえ、アレン様。病み上がりの身体には、わたくしの魔力を込めた、こちらの果実の方がよろしいですわ。さ、アレン様も、あーん……」
ルナリアも、皮を剥いた果実を、俺の口に運ぼうとする。
右からは魔王様。
左からはサキュバス。
まさに、甘くて危険なハーレム状態。
これが、数時間前まで死闘を繰り広げていた男の姿だろうか。
「あの……自分で、食える……」
俺が弱々しく言うと、二人はピタリと動きを止めた。
そして、同時に、じろり、と俺を睨みつけた。
「「駄目(ですわ)!!」」
「病人(なのですから)は、大人しく世話をされておればよいのじゃ(のです)!」
息ぴったりのデュエット。
結局、俺は二人に言われるがまま、スープと果物を交互に口に運ばれる羽目になった。
その様子を、部屋の入口から、メイド長のエリアが「やれやれ」といった顔で、しかしどこか嬉しそうに見守っていた。
食事を終え、二人が「次は身体を拭く」「いや、わたくしが」と新たな戦いを始めようとした時、エリアがすっと間に入った。
「お二人とも、そこまでになさってください。アレン様がお疲れです」
その一言で、二人はしぶしぶ引き下がる。
「エリア、ライアスたちは……?」
俺が尋ねると、エリアは静かに答えた。
「はい。ライアス様とシリル様は、地下の客間にて、手当てを施しております。リリム様のご命令です。『奴隷ではなく、客として扱え』と」
「……そうか」
リリムの、不器用な気遣いだった。
「アレン」
リリムが、ベッドのそばに座り、俺の手をぎゅっと握った。
「もう、一人で無茶をするでない。お主が傷つくのは……妾、見ておれん」
その小さな手の温かさと、真剣な瞳に、俺の胸の奥が、じんわりと熱くなる。
俺は、この手に応えたい。
そう、思った。
だが、脳裏に、あの光景が蘇る。
昏い瞳で、俺に刃を向けた、親友の姿。
「……シオン……」
俺の口から、無意識に、その名が漏れた。
その瞬間、俺の手を握るリリムの手に、ぐっと力が籠る。
部屋の温度が、数度下がったような気がした。
「……アレン」
リリムは、顔を伏せたまま、静かに呟いた。
その声は、地を這うように低く、魔王としての怒りが滲み出ている。
「その『シオン』という男……。次に会ったら、妾がこの手で八つ裂きにしてくれるわ……」
彼女はゆっくりと顔を上げた。その紅い瞳は、嫉妬ではなく、純粋な殺意に燃えていた。
「妾のアレンを、ここまで苦しめた罪は、万死に値するからのう」
俺は、息を呑んだ。
彼女の怒りは、俺に向けられたものではない。俺のために、俺を傷つけた者へ向けられた、純粋な庇護の怒り。
その事実は、恐ろしくもあり、そして、どうしようもなく、心を温かくした。
「……はは」
俺は、乾いた笑いを漏らした。
「あんたは、本当に……敵に回したくないな」
「当たり前じゃ。妾は、魔王じゃぞ」
リリムは、そう言ってふんと胸を張った。
だが、俺の手を握る力は、最後まで、優しく、そして強かった。
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