第24話 過激な看病

どれくらい、そうしていただろうか。

戦場の喧騒が完全に遠のき、破壊された大地に、魔王城から駆けつけた者たちの声だけが響く。

俺は、もう指一本動かす気力もなかった。

親友が生きていたという衝撃。そして、敵として刃を向けられたという絶望。

その二つが、俺の精神を限界まで削り取っていた。


「アレン!」

「アレン様!」


リリムとルナリアが、俺の左右に滑り込んできた。


「しっかりしろ、アレン! 妾がついておる!」

リリムは、俺の頬をぺちぺちと叩き、必死に呼びかける。その瞳は、心配で潤んでいた。


「まあ、可哀想に……。すっかりお疲れですのね。大丈夫ですわよ、アレン様。わたくしが、身も心も蕩けるくらい、たーっぷりと癒して差し上げますから」

ルナリアは、そう言って俺の身体に寄り添い、豊満な胸をぐりぐりと押し付けてくる。いつもなら悪態の一つもつくところだが、今はその感触さえ、遠い世界の出来事のようだった。


「こら、痴女! どさくさに紛れてアレンに触るでない!」

「あら、魔王様こそ。そんな小さな身体で、アレン様を支えられるとでも?」

「なっ……! 小さいとはなんじゃ、小さいとは! 愛情の大きさと身体の大きさは比例せんのじゃ!」


ぎゃいぎゃいと騒ぐ二人の声を聞きながら、俺の意識は、ぷつりと途切れた。



次に目が覚めた時、俺は、見慣れた自室のベッドの上にいた。

だが、いつもと違うのは、そのベッドの柔らかさと、ふわりと香る、甘い花の香り。

そして――。


「ん……あら、お目覚めですの、アレン様?」


耳元で、吐息混じりの声がした。

横を見ると、そこには、ネグリジェ姿のルナリアが、俺の隣に添い寝していた。

ベッドの中に、いる。


「なっ……! る、ルナリア!? なんで、俺のベッドに……!」


「お加減はいかがです? 丸一日、眠り続けていらっしゃいましたのよ」

俺の驚愕などどこ吹く風で、彼女は妖艶に微笑む。


「『看病』ですわ。アレン様は、わたくしがつきっきりで、お世話させていただきましたの。もちろん、身も心も、ね?」

彼女は、そう言って俺の頬に、ちゅ、と軽いキスをした。


「な、ななな……!」

頭が沸騰しそうだ。疲労困憊の身体には、あまりにも刺激が強すぎる。


その時、ガチャリ、と部屋の扉が開いた。


「アレンの様子は……って、ルナリア! やはりお主か! アレンの寝込みを襲うとは、万死に値するぞ!」

お盆を持ったリリムが、鬼の形相で部屋に入ってきた。


「あら、魔王様。わたくしはただ、アレン様の熱が下がったか、肌と肌で確かめていただけですわ」


「その厭らしい手口を、人は『夜這い』と呼ぶのじゃ! さっさとアレンから離れんか!」


「魔王様こそ、そのお盆はなんですの? まさか、手ずからお食事を? 毒見はちゃんといたしましたの?」


「なっ! 妾がアレンに毒など盛るものか! これは、エリアに教わって、妾が丹精込めて作った、特製の滋養スープじゃ! アレン、さあ、口を開けよ! あーん、じゃ!」

リリムは、レンゲに盛ったスープを、俺の口元に突き出してくる。


「いえ、アレン様。病み上がりの身体には、わたくしの魔力を込めた、こちらの果実の方がよろしいですわ。さ、アレン様も、あーん……」

ルナリアも、皮を剥いた果実を、俺の口に運ぼうとする。


右からは魔王様。

左からはサキュバス。

まさに、甘くて危険なハーレム状態。

これが、数時間前まで死闘を繰り広げていた男の姿だろうか。


「あの……自分で、食える……」

俺が弱々しく言うと、二人はピタリと動きを止めた。


そして、同時に、じろり、と俺を睨みつけた。


「「駄目(ですわ)!!」」


「病人(なのですから)は、大人しく世話をされておればよいのじゃ(のです)!」


息ぴったりのデュエット。

結局、俺は二人に言われるがまま、スープと果物を交互に口に運ばれる羽目になった。

その様子を、部屋の入口から、メイド長のエリアが「やれやれ」といった顔で、しかしどこか嬉しそうに見守っていた。


食事を終え、二人が「次は身体を拭く」「いや、わたくしが」と新たな戦いを始めようとした時、エリアがすっと間に入った。


「お二人とも、そこまでになさってください。アレン様がお疲れです」

その一言で、二人はしぶしぶ引き下がる。


「エリア、ライアスたちは……?」

俺が尋ねると、エリアは静かに答えた。


「はい。ライアス様とシリル様は、地下の客間にて、手当てを施しております。リリム様のご命令です。『奴隷ではなく、客として扱え』と」


「……そうか」

リリムの、不器用な気遣いだった。


「アレン」

リリムが、ベッドのそばに座り、俺の手をぎゅっと握った。

「もう、一人で無茶をするでない。お主が傷つくのは……妾、見ておれん」


その小さな手の温かさと、真剣な瞳に、俺の胸の奥が、じんわりと熱くなる。

俺は、この手に応えたい。

そう、思った。


だが、脳裏に、あの光景が蘇る。

昏い瞳で、俺に刃を向けた、親友の姿。


「……シオン……」


俺の口から、無意識に、その名が漏れた。

その瞬間、俺の手を握るリリムの手に、ぐっと力が籠る。

部屋の温度が、数度下がったような気がした。


「……アレン」

リリムは、顔を伏せたまま、静かに呟いた。

その声は、地を這うように低く、魔王としての怒りが滲み出ている。


「その『シオン』という男……。次に会ったら、妾がこの手で八つ裂きにしてくれるわ……」


彼女はゆっくりと顔を上げた。その紅い瞳は、嫉妬ではなく、純粋な殺意に燃えていた。


「妾のアレンを、ここまで苦しめた罪は、万死に値するからのう」


俺は、息を呑んだ。

彼女の怒りは、俺に向けられたものではない。俺のために、俺を傷つけた者へ向けられた、純粋な庇護の怒り。

その事実は、恐ろしくもあり、そして、どうしようもなく、心を温かくした。


「……はは」

俺は、乾いた笑いを漏らした。

「あんたは、本当に……敵に回したくないな」


「当たり前じゃ。妾は、魔王じゃぞ」

リリムは、そう言ってふんと胸を張った。

だが、俺の手を握る力は、最後まで、優しく、そして強かった。

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