第19話 魔王の盾と聖女の棘
「神の御名において、あなたたち異端者に、裁きの光を――」
聖女イリスがそう宣告した瞬間、天を覆う巨大な魔法陣が、眩いばかりの光を放ち始めた。
空気が震える。大地が呻く。
俺とライアスは、ただ、その絶望的な光景を前に立ち尽くすことしかできなかった。
肌を刺すような、神聖で、冷たいプレッシャー。
あれは、ただの攻撃魔法じゃない。
存在そのものを消し去る、絶対的な『浄化』の力。
「……冗談だろ、おい。あんなもん、どうやって防ぐんだよ」
ライアスの声が、乾いた地面に虚しく響く。彼の顔から、血の気が引いていた。
「防ぐ? 無理に決まってる」
俺は即答した。
そして、叫んだ。
「――逃げるぞ、ライアス!」
「なっ……!?」
プライドも、作戦も、今はどうでもいい。
あれを食らえば、確実に死ぬ。それだけは、生物としての本能が理解していた。
俺は踵を返し、魔王城に向かって全力で駆け出す。ライアスも一瞬遅れて、俺の意図を察し、後に続いた。
だが、聖女は、俺たちの逃走を許さない。
「逃がしません」
イリスの冷たい声が響くと同時に、俺たちの前方の地面から、無数の光の槍が突き出した。
それは、俺たちの退路を完全に塞ぐ、光の檻。
「神の裁きからは、誰も逃れることはできませんよ」
万事休すか。
俺が奥歯をギリ、と噛みしめた、その時だった。
「―――誰が、逃がすものか!」
凛とした、少女の声。
だが、その声には、絶対者としての威厳が満ちていた。
声の主は、魔王城の城壁の最上段に立つ、リリム。
「妾の獲物に、気安く手を出すでないわ、偽善者の聖女め!」
リリムが両手を天に突き上げると、魔王城全体が禍々しい紫色の光に包まれた。
城の頂点から、漆黒の闇が奔流となって噴き出し、俺とライアスの上空で巨大なドーム状の障壁を形成する。
魔王城の、本結界だ。
それを、俺たち二人だけを守るために、ここまで展開したというのか。
「リリム……!」
無茶だ!
あれだけの規模の結界を、城から離れたこの場所まで広げるなど、どれほどの魔力を消耗するか。
「さあ、来るがよい! お主の神の光とやらが、妾の深淵に届くものか、試してやろうではないか!」
リリムの挑発に応えるかのように、天の魔法陣から、極太の光の柱が、地上に向かって降り注いだ。
世界から、音が消える。
そして―――
ゴオオオオオオオオオオオオオオッッ!!
聖なる光と、魔の障壁が激突する。
凄まじい衝撃波が、戦場全体を吹き荒らし、聖王国軍の兵士たちさえも次々と吹き飛ばしていく。
俺とライアスは、その衝突点の真下で、暴風に耐えるので精一杯だった。
「ぐっ……おおおっ!」
見上げると、リリムの結界が、光の柱に押されて軋んでいた。
紫電が走り、黒い闇に亀裂が入る。
長くはもたない。
「ライアス!」
俺は、隣で耐えているライアスに叫んだ。
「リリムが、時間を稼いでくれてる! イリスを叩くぞ!」
「……!」
「あれを止めなきゃ、俺たちだけじゃない! リリムも、城も、全部やられる!」
ライアスは、一瞬、城壁に立つリリムの姿を見た。
そして、決意を固めたように、俺を見て頷いた。
「……指図されるのは癪だがな。今回だけは、お前の言う通りにしてやる!」
「行くぞ!」
俺たちは、再びイリスに向かって駆け出した。
リリムが作ってくれた、この僅かな時間を無駄にはできない。
光と闇がせめぎ合う、天地鳴動の光景の中。
イリスは、天に聖剣を掲げたまま、俺たちを静かに見据えていた。
巨大な魔術を維持しているせいか、彼女自身は動かない。
今度こそ、俺たちの刃が届く。
「愚かですね」
俺たちの覚悟を、イリスは鼻で笑った。
そして、俺たちが彼女まで、あと十数メートルという距離まで迫った、その時。
イリスの足元の影から、ぬるり、と。
六つの人影が、音もなく現れた。
全員が、顔を隠す不気味な仮面をつけ、漆黒の軽装鎧に身を包んでいる。
聖騎士ではない。
その動き、その殺気。こいつらは――暗殺者だ。
「なっ……!?」
「聖女様には、指一本触れさせません」
仮面の一つが、感情のない声で告げる。
六人は、寸分の狂いもない動きで俺とライアスの間に割って入り、その異形の刃を構えた。
聖女イリスの、親衛隊。
『六枚の翼(セシム・アレス)』。
教団の歴史の裏で、あらゆる汚れ仕事を請け負ってきたという、伝説の暗部。
まずい。
こいつらがいるなんて、聞いていない。
俺とライアスが、絶望的な状況で足止めを食らった、その瞬間。
ミシッ、と。
頭上で、嫌な音がした。
見上げると、リリムの結界に、ついに決定的な亀裂が走っていた。
光が、漏れ出してくる。
絶対的な死の光が、すぐそこまで迫っている。
前には、教団最強の暗殺者たち。
上には、全てを浄化する神の裁き。
俺たちの運命は、今、完全に、袋小路に追い詰められていた。
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