第11話


 クリストフが迷宮都市アルカディアに来た次の日のことだった。

 シルヴィアが用意してくれた彼女の家の一室で一夜を明かしたクリストフは、慣れない環境ながらも意外とよく眠れていた。

 シルヴィアと同じ家で暮らすということに、少々気まずいものがあるかと思ったが、そんなことを考える必要はなかった。

 家があまりにも広いため、お互いの気配を過度に感じることもなく、むしろ質の良いベッドのおかげで高級な宿に泊まっているような感覚だった。


 シルヴィアが用意してくれた朝食を終えると、彼女はにこやかに笑顔を浮かべた。


「クリストフさん。昨日の今日で悪いのだけど、私のクラン『閃光の翼』のハウスへ来てほしいの。一応、皆にも紹介しておきたくて……」

「ああ、別にいいよ。俺も、迷宮都市の中をもっと見てみたかったしね」

「そう? それなら良かったわ。それじゃあ行きましょうか」


 シルヴィアがすぐに席を立ち、クリストフもそのあとに続いて家を出た。朝のまだ早い時間。

 しかし、村と違いアルカディアの街は朝から活気に満ち溢れていた。


「朝から……凄いね。ミドリバ村とは大違いだ」


 どちらかを貶すということではなく、純粋な驚きからの言葉。

 クリストフが周囲を眺めていると、シルヴィアはくすりと頬を緩める。


「ふふ、そうね。もしかして落ち着かないかしら?」

「まあ、ちょっとね。だけど、嫌いではないかな」

「ほんと? クリストフさん、私のクランハウスはこっちよ。ついてきて」

「ああ、分かった」


 シルヴィアは慣れた足取りでクリストフを先導する。

 店の開店準備などでバタバタしている人たちを横目にしばらく歩くと、ひときわ大きな建物がいくつも並ぶ通りへと到着した。


「ここが、アルカディアでも特に大きなクランの拠点が集まっている通りよ」

「……クランって、こんなにあるんだな」

「大中小……規模を考えなければたくさんあるわね。申請自体も難しくないしね」

「……なるほど。いくつか……大きな建物があるけど、あれもクランハウスなの?」

「ええ、そうよ。ぱっと見ても大きな建物が五つあるけど、あれが五大クランたちのクランハウスね」

「……ん?」


 クリストフはその言葉に、一瞬固まる。


「確か、『閃光の翼』も……五大クランだったね? ということは……あの大きな建物の一つがそうなのか?」

「そういうことよ。行きましょう」


 シルヴィアが悪戯っぽく笑い、歩いていく。

 凄いクランのリーダーが自分を治癒士として迎えるということが、クリストフの中でまだあまり現実のものだとは考えられなかった。

 やがて到着した建物の前で、シルヴィアが足を止め、振り返る。


「ここが私のクラン、『閃光の翼』のクランハウスよ」


 五大クランの本拠地が並ぶ通りの中でも、ひときわ目を引く壮麗な石造りの建物がそこにはあった。

 磨き上げられた扉、精巧な彫刻が施された窓枠、そして建物の最も高い場所には、翼を広げた雷鳥をかたどったと思われる、クランの紋章旗が風にはためいていた。


 シルヴィアが扉を開け、中へと入っていく。

 クリストフは一度深呼吸をしてから、そのあとをついていく。

 エントランスでは多くのクランメンバーが動き回っており、その活気に圧倒された。

 やがて、シルヴィアの姿に気づいたメンバーたちが次々と挨拶をしていく。


「し、シルヴィア様、おはようございます!」

「リーダー、お帰りなさい!」


 その声には、彼女への絶対的な信頼と敬意が込められているのがクリストフにも分かった。

 そして、彼らの視線がクリストフへと集まる。

 好奇と若干の戸惑いが入り混じった視線に、クリストフの背筋は自然と伸びた。


「ええ、ただいま。リーリエはいるかしら?」

「それが、先ほど……他クランからの重傷者が運び込まれたそうで、現在奥の治療室で治療中です」

「分かったわ、ありがとね。クリストフさん、そちらに行きましょうか」

「分かった」


 シルヴィアに案内され、クリストフがクランハウスの奥へと進んでいく。

 静かな廊下にはいくつもの部屋が並んでいた。そのうちの一つ、治療室と思われる部屋の扉が勢いよく開き、一人の女性が飛び出してきた。

 知的で涼やかな目元が印象的な美しい女性だったが、その表情には険しさと疲労の色が濃く浮かんでいた。

 彼女はクリストフたちの姿を認めると、わずかに目を見開いた。


「シルヴィア様、戻っていましたか」

「ええ、昨日ね。しばらくクランを任せてしまってごめんなさいね。それで、どうしたのかしら? 何か、慌てているようだけど」

「……それが――いえ、その前に確認したいのですが、そちらの方がクリストフ様ですか?」

「ええ、そうよ」


 シルヴィアがリーリエのただならぬ様子に眉をひそめると、リーリエはクリストフに向き直り、深く頭を下げた。


「クリストフ様。初対面の身で、このようなことをお願いするのは大変無礼かと存じますが……どうか、どうか、お力をお貸しいただけないでしょうか?」

「えっと、どういうことかな?」


 突然のことに戸惑うクリストフに、リーリエは顔を上げ、必死の形相で説明を始めた。


「今しがた、他のクランの方が迷宮で重傷を負い、ここに運び込まれたのです。すぐに治療を開始し、私も、他の治癒士たちも総出で全力を尽くしたのですが……傷はなんとか塞いだものの、どうやら強力な魔物の攻撃を受けたようで……下半身の感覚が完全に麻痺してしまっている状況です。……このままでは、彼はもう二度と満足に歩くこともできないかもしれなく……。あなたの腕はかなりのものだと聞いております。一度、診てくれないでしょうか?」


 リーリエの声は震え、言葉の端々に無念さと、患者への深い同情が滲み出ていた。クリストフとしては、治療ができるか分からなかったが、それでもすぐに頷いた。

 患者を治療したいという気持ちは、同じだったからだ。


「分かった。診てみようか。案内してくれないかな?」

「……ありがとうございます。こちらです、どうか、彼をお願いいたします!」


 リーリエは涙を拭うのももどかしく、クリストフとシルヴィアを治療室へと導き始めた。その足取りには、先ほどまでの絶望感はなく、希望が宿っていた。




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