第7話


 ボロボロの体で村の近くに倒れていた女性。今にも死にそうだった彼女を治療し、村まで運んだことを。

 あれは数年前のことであり、彼女も少しばかり成長していたこともあり、思い出すのに時間がかかった。


(懐かしい、ね。……あの時、彼女が感謝の言葉を言ってくれたこと、嬉しかったものだ)


 懐かしく思っていたクリストフだったが、周囲は騒然としていく。


「なぜこんなところに……!?」

「ゆ、有名人だから……呼んでいたとか?」

「い、いや誰もそんな話聞いていないぞ……! まさか、プライベートでいらっしゃった……とか?」


 周囲の元冒険者たちは、口々に驚きの声を上げ、その視線は畏敬と興奮に染まっていた。


「あ、あれが『雷光』か……噂には聞いていたが……本当に若いんだな。実力はもちろん、その美しさも大陸随一の……」

「あの若さでSランク冒険者になったって……。単独でワイバーンの群れを壊滅させ、国家が総力を挙げても困難とされる古竜を打ち取ったと聞く。まさに武勇伝には事欠かない、生ける伝説の人だよね?」

「おまけにとんでもない速度で成り上がった天才……それも、新たなクランを創設して、わずか数年で五大クランの一角、今じゃこの国を代表する大クランのリーダーだもんな……」

「ていうか、本当に綺麗な人なんだな……」

「……三大貴族の筆頭である公爵家の子息が彼女に求婚して玉砕したとか、隣国の王子が彼女を一目見ようと密かに来訪したとか、そんな噂もあったよな?」

「そんな国の有名人が、なんでこんな場末の酒場に……?」


 口々に語られるシルヴィアの「凄さ」と、彼女が率いるクラン「閃光の翼」の名声。そのどれもが、クリストフにとっては現実離れしたものに聞こえていた。


 クリストフは周囲の噂話に耳を傾けながら、思わず笑みをこぼした。

 偶然にも自分が助けることのできた少女が、こうして立派に成長し、多くの人々から称賛されるような存在になっている。そして、あの時彼女が語っていた夢を、見事に叶えつつあることに対して、まるで自分のことのように純粋な喜びを感じていたのだ。


(シルヴィア。なんだか、凄い冒険者になっているようだ……とにかく、元気そうでよかった)


 クリストフもまた、呆然とその圧倒的な存在感を放つ女性――シルヴィアを見つめていた。

 シルヴィアは、居並ぶ元冒険者たちの驚愕の視線をものともせず、会場を一瞥すると、すぐに目的の人物を見つけたようだった。彼女は、迷うことなく、まっすぐにクリストフがいるテーブルへ、わずかに頬を赤らめ、輝くような笑顔とともに歩いていた。


(ん? ……気のせいか? なんだか俺の方に向かってきているような)


 クリストフがいたテーブルには、先ほど会話をしていたゴンゴルや、他の顔見知りが数名残っていたが、彼らは皆、近づいてくる『雷光』の威圧感と美貌に気圧され、困惑したような、あるいは羨望するような複雑な表情で固まっている。

 そんな中、シルヴィアはクリストフの前までやってきて、周囲のどよめきなどまるで聞こえていないかのように、その美しい鎧をカシャリと鳴らし、彼一人にだけ向けた親愛の情を込めた瞳で、丁寧にかしづいた。


「久しぶりね、クリストフさん」

「ああ、久しぶり、シルヴィア。なんだか、凄く活躍しているみたいだね。今日初めて知ったばかりでこういうのも遅いのかもしれないけど、頑張ってて凄いね。おめでとう」


 クリストフは、数年ぶりに会う彼女の変貌ぶりと、周囲の異常な反応に、まだ状況が飲み込めていないが、それでもまずは彼女を祝おうと言葉を口にする。


「そ、そんなことないわ。あなたに約束したもの。必ず、あなたに恩返しをするって」


 シルヴィアがそういうと、周囲の者たちのざわめきが溢れていく。


「『雷光』がクリストフに恩返しだって?」

「一体何をしたんだ、あのクリストフが……」

「何が、どうなっているんだ……?」


 ヒソヒソとした声があちこちからあがり、会場を満たしていく。

 クリストフは一つ咳払いをし、シルヴィアへと問いかける。


「恩返し、とは?」

「ええ、恩返し、よ。……うふふ。あの日の夜を、私は一生忘れないわ。あなたに、この体の隅々までを診てもらった、あの時間を……」


 シルヴィアの言葉に、周囲にいた人たちが声を荒らげる。


「み、見てもらった……体を……!? あの夜……!?」

「ま、まさか……クリストフとシルヴィアさんって、そういう関係だったのか……!?」

「あのクリストフが……あの地味なクリストフが、あの若く美しい英雄と……信じられん……」


 誤解は、見る見るうちに加速していく。


「シルヴィア。治療してもらったって言ってくれないと周りが誤解をするんじゃないかな?」


 クリストフが落ち着いて訂正しようとするが、シルヴィアはうっとりとした表情を崩さない。


「あなたとの、あの日があったおかげで……私は今日この日まで生きているのよ。それで、あの日の約束を果たすために、あなたを探していたの。今日ここであなたに会えるなんて運命ね」

「それは、確かに運命かもしれないけれどね」

「そうよね。数日前に一度ミドリバ村の診療所へ伺ったのだけど、留守だったから……。村の人たちに聞いたら、この街にいると聞いて……いてもたってもいられなくて、ここまで来てしまったのよ」

(それは運命ではないのでは?)


 クリストフは内心そう思っていたが、それよりも気になっていた言葉があった。


「あの日の約束?」

「もう、約束したではないの。私は必ずあなたを迎えに来るって。そして、あなたを私が作ったクラン専属の治癒士としてお迎えするって」

「そういえばそんなこと、言ってくれていたね」


 当時の情景を思い出していたが、その時の会話の詳細が出てこない。あと少しで思い出せそうなむずむずとした感覚にクリストフは一人もやもやしていた。

 クリストフは必死に記憶の糸を辿る。

 クリストフの曖昧な返事に、シルヴィアの瞳が不安そうに揺らぎ、美しい顔が今にも泣きだしそうに歪んだ。


「わ、忘れてしまっているの? じゃ、じゃあ私のクランと専属契約……してくれないの……?」

(それか。思い出した……あまりにも縁遠い話だったから、完全に忘れてしまっていたよ)


 クリストフとしては、感謝の言葉が聞けただけで十分であり、それ以外はほとんど忘れてしまっていた。

 潤んだ瞳で上目遣いに見つめられ、か細い声でそう問われてしまえば、この歳のおじさんには、正直、拒否できるはずもなかった。

 自分が頼まれると断りづらい性格であることを、この時ほど恨めしく思ったことはない。


「……いや、そういうわけではなくてね。――まさか、本気だったとは、正直驚いたよ」

「……もう、本気に決まっているじゃない。それで、専属契約は……してくれるのかしら?」

「……こんなおじさんでも構わないというのなら、別にいいけれど」

「本当かしら!? やったわ! それでは、これからよろしくね、クリストフさん!」


 本当に、心の底から喜びだした彼女に、クリストフは僅かに戸惑っていた。

 自分の回復魔法は大したことはないものであり、デメリットも多くある。

 「本当に、こんなおっさんでいいのか?」と改めて問いかけようとしたが、クリストフはやめた。

 嬉しそうにしている彼女の心を乱すようなことはしたくなかったからだ。

 そして、そんな風に期待している彼女が――クリストフの昔の記憶を揺り動かす。

 治癒士だからとパーティーに誘われたときは、大きく期待されていた。しかし、手で触れなければ使えない、となってから、評価は一変した。


(シルヴィアにも…………失望されるときが来てしまうのだろうか。ただまあ、いいか。傷つくのが俺だけなら、それで)


 ぼんやりとそんなことを考えていたクリストフだったが、周囲の人たちがぽかんとしていることに気づいた。

 いくつもの視線が集まっていて、これまでの人生でこれほどまでに注目されたことがなかったクリストフはとてもとても居心地が悪かった。


「それでは……早速、私の拠点がある町へ行きましょうか。ああ、でもクリストフさん、今は同窓会を楽しんでいたのかしら? それなら、後日改めて……」

「いや、その、もう友人たちへの挨拶は済んでいてね。そろそろ帰ろうかなと、思っていたところだよ。行こうか」


 まだ今すぐ帰るつもりのなかったクリストフだったが、周囲からの視線が集まり始めた現状で、この場に一人残りたくなかった。

 もはやこの場から一刻も早く立ち去りたい、逃げ出したかった。


「本当? それならよかったわ。では、私の馬車で一度ミドリバ村に戻った方がいいかしら? それとも、このまま私の家がある街へ案内しましょうか?」


 クリストフは少し考える。確かに、ミドリバ村に戻って最低限の身の回りの物をまとめたり、診療所のことを誰かに頼んだりする必要があるだろう。

 いきなり着の身着のままで新しい町へ行くのはさすがに現実的ではない。


「そうだね。一度村に戻って、少しだけ準備をさせてもらえると助かるかな。大した荷物はないけどね」

「ええ、もちろんよ。それじゃあ、まずはミドリバ村へご一緒させて。それから、準備ができ次第、私の町へ出発しましょう」


 シルヴィアは心底嬉しそうに微笑んだ。彼女にとっては、クリストフが専属治癒士になることを承諾してくれた事実が何よりも重要で、そのための段取りは些細なことなのだろう。

 こうして、クリストフの意思とは裏腹に、事態は急速に進んでいった。彼は、シルヴィアに導かれるまま、喧騒と驚愕の視線が渦巻く酒場を後にし、彼女が手配したという立派な馬車へと乗り込んだ。



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