第31話 付き人訓練

 その夜、俺はしごかれにしごかれていた。


「雑巾掛けが甘い! もっと丁寧に力強く、それでいてスピーディに行いなさい!」


 大声でそう命じるのは、老齢のメイド。それに俺は、大きな声で返事をする。


「はい! 師匠!」


「師匠ではありません! メイド長とお呼びなさい!」


「はい! メイド長!」


 俺は腰を入れて、再び廊下の雑巾がけに走り出す。


 廊下。学園のではない。王女様こと、イリューシア―――シアの戸建て寮の廊下だ。


 なんてことはない。俺は宣言通りに、シア付きのメイドに付き人の訓練を付けられているというだけのこと。


 俺はここに至るまでの経緯を、廊下を雑巾がけしながら思い出す。






 俺が王女様についていこうとした直後、アイギスが俺を呼び止めた。


「テクト、こうなった以上やるしかないと思うけど、気を付けなさい」


「……な、何が?」


 俺が戸惑っていると、アイギスが俺の耳に口を寄せ、素早く囁く。


「王女のよ! 男嫌いの女で百合ハーレム作ってる女が、男に付き人を求めてるのよ!? いじめ抜いてやろうって魂胆が見え見えじゃない!」


「うっ……。や、やっぱり?」


 百合ハーレムとか同性愛の噂は知ってたので、薄々勘付いていたが、やっぱりそうらしい。


 俺が緊張していると、「いい? テクト。良く聞いて」とアイギスは言う。


「これだけの大事になってるから、多分分かりやすくアンタを虐め抜く、みたいな事はないとは思う。けど、もし万が一ヤバかったら、これを擦って」


 アイギスが指輪を渡してくる。


「アタシが装備品呼び出すときの指輪と同じものよ。これを擦ったらアタシが召喚される。いざという時は、アタシが何とかするからね」


「お、おう。ありがとう……?」


「あぁっ! ちびっこズルいです! テクト君! 私も! 私も駆けつけますからね!」


「陰キャはすっこんでなさい! っていうか子爵家の娘ごときが王女様の前に立って歯向かえるの!?」


「テクト君のためなら国だって滅ぼしますよ私は!」


「と、とりあえず俺は行くな……?」


 またケンカを始める二人を置いて、俺は駆け足で王女様に続いた。


 王女様に追いつくと、無言のままに案内され、俺は王女様の寮に連れられていた。


「王女様、ここに住んでるんですか。デケー……」


 見上げるほどの寮は、集合住宅ではなく、戸建てだった。戸建てだったらもう寮じゃないだろ。王族すげぇ。


 そんな感心しきりの俺に、王女様は流し目を送ってきた。


「さて、ではまず簡単な命令から」


「……はい。何なりと」


 俺が警戒しつつ頷くと、王女様は言った。


「わたくしのことは、シア、とお呼びください。わたくしもあなたのことは、テクト、と呼びますから」


「は、はい。分かりました王女様」


「王女様ではなくて?」


「……シア、様」


「よろしい」


 俺の訂正に、満足気に王女様改めシアは「そうです。親しみというのは大事でしょう?」とクスクス笑っていた。


 意図が読めない、と思う。男嫌いの王女様の最初の命令。嫌がらせが飛んでくるかと思ったが、ふたを開けてみればこれだ。


 だが、俺も実家で散々鍛え上げられてきた身。何があろうと屈するまい。


 そんな風に思いながら、導かれるままに、俺はシアの寮の中に入った。


 現れたのは、何とも神経質そうな面持ちの、老齢のメイドさんだった。


「お帰りなさいませ、シア様。そして……男子のお客様」


 メイドさんは、俺を警戒の目で見ていた。まぁ、女子の寮に男子が来たら、警戒するのも当然だが。


 ……ん? いや、貞操逆転だから……んん?


 俺が推測に戸惑っていると、シアがメイドさんに言った。


「ヘッダ。彼は今日からしばらく、わたくしの付き人をしてくれるテクトです。下級貴族クラスの所属だけれど、使用人扱いで教育してさしあげて?」


「ふむ……承知いたしました。ワタクシはヘッダリス。イリューシア様の寮を管理するメイドでございます」


 老齢のメイドさんは、恭しく俺に腰を折って目礼した。


 それから、厳しい眼光で俺をねめつけた。


「詳しい事情は存じませんが、使用人扱い、ということでしたら。このヘッダ、容赦はいたしません。本来の身分が学生であろうと、ビシバシ鍛えて差し上げますので、そのつもりで」


 俺はそれに苦笑しつつも、ひとまず名乗り返した。


「初めまして、プロテクルスです。テクトと呼んでください。ご迷惑をおかけするかと思いますが、どうかよろしくお願いします」


 お辞儀を返すと、老齢のメイドさんことヘッダさんは、キョトンと目を丸くした。


 それから、シアに耳打ちを。


「妙に礼儀正しい男子でございますね……?」


「そうですわね。でも、手は抜かないように、ね?」


「承知いたしました……」


 耳打ち終了。俺はどんなやり取りがあったのか分からないままに、やる気だけは見せて行こうと決めた。


 すると、ヘッダはさんは言った。


「では、今日から早速叩き込んでいきます。ついていらっしゃい」


「はいっ!」


 俺は元気に返事して、ヘッダさんについていった。






 ―――そんな顛末があっての、今である。


「次はカップ磨きです! まさかこの程度でへばってはいないでしょうね!」


 ヘッダさんは俺と二人きりになるなり、この激しさでビシバシと指導を始めた。マジで容赦とかなかった。


 が、俺とてこの温度感には慣れている。


「余裕です! お任せください!」


「返事ばかりよくても意味はありませんよ! さぁ手を動かしなさい!」


「はい! 師匠!」


「師匠ではありません! メイド長と呼びなさい!」


「はい! メイド長!」


 俺は爆速で紅茶用のカップを磨く。高級品なので、手が滑らないように注意だ。


 曇り一つないように丁寧に、しかし丁寧だからと言ってスピードも落とさない。


 クオリティも速度もあって、初めて一人前。それが分からない俺ではない。


「終わりました!」


「拝見します。……ふむ、なるほど、ふむ……」


 ヘッダさんが、入念にカップ一つ一つを確認する。


 それから、言った。


「合格です! 良く磨かれています」


「ありがとうございます! 次は何ですか!」


「ありません! 休みなさい」


「はい! ありがとうございます!」


 そう言いながら使用人室の椅子につくと、ヘッダさんが、非常に上機嫌そうに、俺の目の前に座った。


「テクトさん、こちら紅茶とクッキーです。クッキーは余りものですが」


「え、ありがとうございます」


 紅茶を注いでもらい、目の前のクッキーを見る。「何をしているのですか? お食べなさい」と言われるので「では遠慮なく」と手を伸ばす。


「……食べる所作にも問題なし、と。テクトさん、あなたはどこの出ですか?」


「ガーランド騎士家です」


「まぁ。あの、有名なガーランド騎士のご子息ですか」


「はい。母をご存じで?」


「それはもう。お母様はお強い方でしたから」


 ヘッダさんはしみじみと頷く。それから俺を優しい目で見て、言った。


「しかし、納得いたしました。学園の生徒ともなればたとえ最下級でも貴族の血筋。甘やかされて育っただろうに、と不思議だったのです」


 言いながら、ヘッダさんは紅茶を啜る。


「怒声を浴びながらの指導にも耐え、手を抜かず速度を上げるということに慣れている。家でも家事をしていたのでしょう。このたった数時間の指導で、見違えるようになりました」


「いやぁ、師しょ……メイド長のご指導のお蔭ですよ」


「テクトさん……耐えましたね」


「耐えました」


 俺たちはニヤリと笑みを交わす。


 すると、こほん、とヘッダさんは咳払いをする。


「付き人、ということでしたね。では、明日の業務について、今の内にすり合わせをしておきましょう。あなたも学業があるでしょうし、その兼ね合いも取らないといけません」


「お気遣いありがとうございます。では、明日の授業なんですが……」


 俺はヘッダさんと明日の予定を詰め、それから夕食にまかないを頂いてから、帰宅する運びとなった。


 ヘッダさんは最初の刺々しい態度が嘘のように、俺に優しく見送ってくれた。


「では、明日からもよろしくお願いします!」


「はい、こちらこそテクトさん」


 笑顔で見送るヘッダさんは、それから、口の中だけでもごもごと呟く。


「……あなたなら、シア様を苦しみから、救い出してくれるかもしれませんね……」


 俺は何か聞こえた気がして、一瞬だけ振り返るも、ヘッダさんはすでに家に戻ろうとしていた。


「……?」


 ま、空耳だろう。俺は軽い足取りで、自室へと戻っていく。

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