第7話 今できることを


 幻魔イルゾースト。


 その魔族の名が台頭してきたのは、ここ数年の出来事である。

 きっかけはアスラの郷の大遠征だった。

 初代勇者一行パーティーの戦士、アスラの名を冠するこの国の兵士は人類軍の中でも最強と言われており、魔領域への遠征には各国から大きな期待が寄せられていた。しかし、その期待は大きく裏切られることになる。遠征軍は壊滅したのだ。

 

 



「ふふっ。美しい……」


 イルゾーストは満足気に目を細めた。恍惚とした笑みを浮かべており、顔に彫った刺青が口角が上がるにつれて歪み、より不気味な印象を彼に与えていた。


 実情を知らなければ、まるで最高級の芸術作品を鑑賞しているかのように思えるだろう。しかし――彼の見つめる景色は、この世の終わりのような光景だった。

 

 夜の暗闇を聖都から上がる炎が明るく照らしだしていた。家族の思い出が詰まった家々、聖都の名物として住民や観光客から親しまれた料理店、アネスト国の開闢から人々を見守り続けてきた女神像、人々の幸福の象徴を火種として、それら全てが赤々と燃え広がっていった。

 

 そこに人々の悲鳴が音楽のように彩りを添えていた。家族の無事を信じてその名を叫び続ける父親、家財が燃えて泣き叫ぶ商人、母親を求めて泣き叫ぶ子供、それら全ての不幸が彼にとっての至福、至高の芸術だった。


「だが、これだけでは足りないな」


この夜、この芸術をより高みへ押し上げるには、ピースが一つ欠けている。


「勇者を磔にして、住民達をその周りに集めて絶望で満たす……これだ」


 魔王様には、極力無駄な殺しは控えるように厳命を受けている。ならば、生かしたまま人間たちを恐怖と絶望に浸してやる。

侵攻はまだ、始まったばかりだ。






「お母さん!」

「ニーナ!」


 狼にも似た魔物が女性に覆い被さり、その牙を突き立てようとする。

 素早く、獰猛で体格もそこらの狼とは比較にならない。開いた口から垂れた涎が女性の頬に当たる。生臭い血の匂いに、胃の中のものが溢れ出そうになった。


 それを娘が何とか引き剥がそうとするが、幼い体ではどうすることもできず逆に吹き飛ばされてしまう。


「逃げて!」

「嫌!お母さんも一緒に」

「早くしなさい!」


 狼が再度母親に襲いかかる。母は泣き叫ぶ娘に別れを告げるように優しく微笑んで――


「大丈夫?」


 娘の視界に金色の光が瞬いた。恐怖を忘れ、その光に魅入る。その正体が美しい少女だと気づいた次の瞬間には、狼の魔物は何か大きな力に切り裂かれたように真っ二つとなっていた。


「え、え……?」


 何が起きたか分からず、混乱する母娘を安心させるように微笑みを向けてルナは道を指し示した。


「早くあちらに。向こうに少し行けば緊急避難場所があります。簡易的ではありますが結界も貼ってあります。今なら周囲に魔物もいないので急いで避難して下さい」

「は、はい。ありがとうございます!」

「お姉ちゃんは?」


母に手を引かれながら娘が尋ねる。


「私は悪い魔物をやっつけてくるよ。他にも助けを求めてる人がいるかもしれないしね……だから、お母さんは君が守るんだよ?」

「うん!」


 避難する母娘に手を振る。その姿にどこか懐かしいものを感じながら、それを振り払うようにルナは聖剣を抜いた。


『友人は預かった。助けたければ聖剣を渡しに宮殿前まで来い』


 部屋に届けられていた手紙の内容が頭を過ぎる。手紙を出した人間とこの魔物の襲撃……タイミングから考えて無関係とは考えにくい。


「無事でいて。ウィル」






「うっ……」


 鈍い頭の痛みで目を覚ました。

 何も見えない。どうやら、目を何かで塞がれているらしい。助けを呼ぼうとして声を出すが、こちらも猿轡をかまされているらしく、くぐもった声しか出せなかった。当然、縄で体の自由も奪われておりろくに身動きすることもできなかった。


(僕は、どうしてこんな……そうだスネイルさんに痺れ薬を盛られて人質に。くそっ)


 後悔しても、もう遅い。何とかしてここから逃げなければ。反省はその後だ。

 

 必死に体を揺すって縄を緩められないか試した。そんな緩い拘束ではないのは分かっているが、少しでも可能性を試すしかない。


「やれやれ。そんなに暴れて……おとなしくしな」


 しわがれた声が聞こえ、目隠しと縄が外された。薄暗い視界に入ってきたのは……


「ローザ、さん?」

「全く。アタシが見つけたから良かったものの、敵に見つかってたらどうしてたんだい」


 ローザさんは、皺だらけの眉間にさらに皺を寄せる。何となく、先生に叱られる生徒のような気持ちになった。


「すみません」

「まあ、いいよ。説教している時間もないしね。アンタの剣も取り返しておいたよ、来な」

「は、はい」


 剣を渡したローザさんはズンズンと先へ進んでいく。その姿は全く老いを感じさせず、纏う雰囲気はどこかルナの戦う姿に似ていた。まるで歴戦の戦士のようだった。

 

 状況を確認するために周囲を見渡すと、見覚えのある華美な装飾が目に入った。ここは、宮殿内部だったのか。だとすれば神官たちはどこに。いや、それだけじゃない。


「待って下さい。きっとまだ見張りが」

「心配ないよ」

「えっ?」


 ローザさんが前方を顎で示した。そこには、床に倒れて呻く二人の男女がいた。その顔には見覚えがあった。


 スネイルさんの仲間達だ。その周辺には、同じく捕えられていたであろう神官達が気を失って倒れていた。


「せん、せい……どうして?」

「どうして、はこっちの台詞だよ。全く魔族に唆されるなとあれほど教えただろうに……」


 口調とは裏腹にローザさんは悲しそうな表情を浮かべていた。


「いくよ」

「神官さん達はいいんですか?」

「ここで起こすと、あの無能どもはかえって騒ぎを起こすよ。それにここにはスネイルの仲間達もいるし、無闇に襲うことはないだろうさ」

「……はい」


 出口を求めて、更に先へと進んでいく。その間、外からは悲鳴がひっきりなしに聞こえてきた。

 家族を殺された父親の慟哭、魔物に喰われる女性の悲鳴、その子供の泣き叫ぶ声。まるでこの世の終わりだ。


「魔物たちが攻めてきている。おまけにその大将は七魔ときた。かなりマズイ状況だよ。この状況をひっくり返すためには勇者の力が必要だ」

「ルナは今どこに?」

「おそらく、人質にされたアンタを取り返しにここに向かっているんだろ」

「どうして、スネイルさん達はこんなことを?」

「……」


 ローザさんが口を閉ざす。口に出すべきか迷っているように思えた。


「それは――」

「そこまでです。先生」


 冷淡な声が、続きを遮った。

 その声には聞き覚えがあった。忘れもしない、僕を罠に嵌めて捉えた男――スネイルさんが、炎に包まれた建物を背にゆっくりと近づいてくる。


「先生。残念です。仲間になってくれるかと思っていましたが」

「ふんっ、嘘つくんじゃないよ。その可能性はほとんどないって分かってたはずさ」

「まあ、低いだろうかなとは思っていましたが。それでも先生なら……アンナのために協力してくれると思いたかったんですよ」

「アンナさん……?でも、彼女はすでに」


 元聖女にして勇者。スネイルさんの幼馴染だったはずの女性はもう死んだはずではなかったか。


「死んだはず……ええ、そうですね。私たちもつい最近まではそう思っていました。けれど真実は違う。アンナはまだ生きている」






 


「先代の勇者が生きているってどういうことかな?」

「そのままの意味ですよ、勇者殿」


 燃え盛る宮殿を前に私はイルゾーストが対峙した。華美な衣装を身に纏い、度芸人一座の道化師のようにも思えるその姿は、とても戦いに臨む姿とは思えない。

 ……ふざけやがって。


「そんな筈ない。聖剣が次代に受け継がれるのは、その先代の勇者が死んだ時と決まっている」

「ええ。だからこそ、勇者をいくら殺そうと無限に再出現リポップするため、人類と魔族は争いを繰り返してきました。だからこそ、魔王様はそれを止める手段を編み出した」


 イルゾーストは宝玉を一つ取り出した。青黒い輝きを放つ丸い宝玉だ。明らかに人工物ではない、気味の悪い輝きだった。それをイルゾーストは空中へ放り投げる。宝石は眩い光を放って巨大化する。その宝石の中にいたのは――


「これが先代勇者アンナです」

「っ……!?」


 髪の長い、綺麗な女性だった。

 年齢は十七、十八といったところだろうか。黒い髪は封印の影響か傷み、千々に乱れていた。頬はやつれ、その瞳は虚ろで生気がまるで感じられない。衣服はボロボロで、過酷な戦闘の凄まじさを物語っているようだった。


「彼女に何をしたの?」

「封印ですよ、封印。聖剣が他の者の手に渡らないようにね」

「……魔王が言ってたのはこのことか」


『勇者は殺しても封印しても、すぐに再出現リポップするからの。戦っても不毛なんじゃが……』


 脳裏に浮かぶのは、魔王の台詞。あの時は何のことか分からなかったが、このことだったのか。


「ええ、そうです。一年前、我々魔王軍は勇者アンナを追い詰め、封印することに成功しました。しかし、封印される直前にアンナは最期の力を振り絞り、聖剣を次代の継承者の元へと――貴女へと送った。まあ、その反動で廃人同然ですがね」

「なるほどね。この聖都の結界がなぜ簡単に破られたのか、なぜ孤児院の人たちが私に憎しみの目を向けていたのか分かったよ。君はこの人を人質にとったんだね」


 イルゾーストの目が愉悦に歪む。

 ……ああ、本当に魔族こいつらは、どこまでいっても人類わたしたちの敵だ。





 


「アンナを解放する。そのために、聖剣を奪い勇者には消えてもらいます」

「勇者を消して、それで奴らがアンナを解放すると本気で思ってんのかい?いや、たとえ解放したとしても、アンナはもう……」

「分かってます……分かってんだよ、そんなことは」


 絞り出すような声でスネイルさんが答える。敬語が消え、言葉遣いが乱れたがこれが本来のスネイルさんなのだろう。今まで見えていた高位の神官としての仮面、蛇のような冷酷な仮面、それが剥がれて初めて彼の素顔が、年齢相応の青年の顔が見えたような気がした。


「だけどこれしか、これしか手はねぇんだ……!この手を血に汚しても俺は絶対にアンナを救い出す!」


 スネイルさんの周囲を青白い光が包む。冷たくて、痛々しくて、けれども覚悟に満ちた光だった。


「戦うしかないみたいだね」

「はい」

「いくぞ」


 勇者と七魔。僕達とスネイルさんの戦いが始まった。

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